走るナースプラクティショナー ~診断も治療もできる資格を持ち診療所の他に診療移動車に乗って街を走り診療しています~

カナダ、BC州でメンタルヘルス、薬物依存、ホームレス、貧困層の方々を診療しています。登場人物は全て仮名です。

安楽死についての会話

2019年07月20日 | 仕事
昨日安楽死について書かれているこちらの記事についてのコメントをツイッターの方に出したので、ツイッターをしない私のブログ読者のためにこちらにもあげます。

カナダで緩和ケアの認定看護師として緩和ケアの発展に携わった後にナースプラクティショナー(NP)となり、Medical Assistance in Dying (MAiD) -日本で言う安楽死の法制化を間近で観てきた者として書かれている論点に同意をします。

しかし死に方の選択としてMAiDの存在価値はあると思います。MAiDのプロセスでは初期に2人の医療者(医師かNP)によるアセスメントが必要で、その中で死に方の会話が十分にできるようになっています。誰がMAiDの対象者となるか、どんなプロセスなのかも明確化されており、どこに住んでいても患者側にも医療者側にも

安全で公平なプロセスとなっています。もちろん緩和ケアへのアクセスも重要なポイントとなっています。MAiDによって亡くなった数が前面に出ていますが、プロセスを始めて最終的にMAiDを選択された数は予想より下回っています。プロセスを始める前の数は不明なので推測ですがかなりの

数になると思います。理由は新城医師が書かれた通り、会話を通して死に方を見つめ考えを変える人が多いからです。いくら緩和ケアが広まっても、じっくり医療者と会話して今一度自分の考えを見つめなおす体験は貴重です。ヘルスリタラシーの問題もありますが、勘違い、死への漠然とした恐怖は大きいものです。

私自身、NPになりMAiDが合法化されて以来3人の患者からMAiDの相談を受けました。治すことのできない病気を持っている方々です。MAiDについて詳しく説明するだけではなく、MAiDを希望する理由なども深く聞きます。そのような会話の後で決まって「安心した」と言い次のステップに行く人は皆無が私の経験です。

私が思うにMAiDの「プロセス(会話)」が医療の中で重要な意味があるのでは ないでしょうか?先にも書いたように自分の死に方を見つめ直すきっかけ作りのような。選択肢があると色んな意味で個人の自立や意思尊重を促す環境を作り出すと思います

そしてこのような会話に役立つのは長年を費やした緩和ケアとしてのスキル(会話力、思考過程、思想なども)だと思います。MAiDの中で重要な役割を担っているのは緩和ケアチームです。より良い緩和ケアを行なった先に存在するMAiDのイメージでしょうか?なので緩和かMAiDかと言う二極化的な言い方には反対です。

広義の緩和ケアの中に存在するMAiDと言った方がしっくりします。だから緩和ケアへのアクセスなしにはMAiDは存在しない理論が成り立つと思います。


ツイッターは一度あげると訂正できないし、一回一回に字数制限があるので、ここでは少し修正してより自分が言いたいことになるようにしています。「個人の自立や意思尊重を促す環境に」付け加え。日本ではまだまだお医者様信仰と言うか、医師を神のように崇め、言われるがままに治療を受ける事が当たり前の事に思っている方が多いと思うが、先進国では患者中心の医療へ移行し、患者の意思を中心に医療が行われるべきと言われています。そのためにも国民1人1人が自分がどう生きたいか、病気になってから病気とどう生きていきたいかを考え、その意思表示が重要で、医療者側はそれをサポートできるようにする役目に徹する事です。この辺りの思考の発展の有無も安楽死の議論が深まるかどうかに関係していると思います。賛成反対、同意かどうかの二極ではなく、話し合いのプロセスが最も大事なので、日本の方々にもこのような記事の後に家族や同僚で話し合ってもらいたいものです。



残念ながらホタルの時期は終わっていましたが、河鹿を聴きながらゆったりと浸かる夜は素敵でした。

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