走るナースプラクティショナー ~診断も治療もできる資格を持ち診療所の他に診療移動車に乗って街を走り診療しています~

カナダ、BC州でメンタルヘルス、薬物依存、ホームレス、貧困層の方々を診療しています。登場人物は全て仮名です。

患者に寄り添う その6

2019年03月22日 | 仕事
昨日の続き シリーズ6日目

北米圏の看護師に患者に寄り添うと言うとどうして、なにそれ?となるのでしょうか?

日本の看護観は博愛精神論が非常に強い。その反対に北米では理論やサイエンス的に捉えてる人が圧倒的に多い、と私は思います。

前者をあえて例えるなら、絶対的忠誠心、根性論、感情論、経験論とでも言いましょうか?看護を教わる上で人格を否定されたり、どうしてOOするのですか?と学生が看護師に質問した時、エビデンスや理論で答えられる人が少ない。北米はきっちりここを抑えることが何よりも重要視されます。この違いは非常に大きいと思います。

看護師はアメリカでもカナダでも国民に最も信用される職業として、弁護士や医師や警察を抑えて毎年一位の職業に選ばれています。私が住むカナダBC州では看護学士はとても人気のある学部で数が限られているので、Waiting List と呼ばれる順番待ちが何年もの長さです。よって成績の良い学生が順番待ちをしている人を追い越して選ばれる状態なので所謂「頭の良い、できる子」が入学する状態です。こんな状態なのでエリート意識も高いし、看護師は自分の仕事にプライドを持つしプロ意識も高く働いています。教える側も同様です。大学側には看護協会から課せられるクレデンシャルシステムを合格する教育水準でなければならず、教員の質もジャーナルへの執筆など厳しい目で評価されます。そして3年制の看護学校はなくなり4年制の学士課程のみとなり久しい。学士課程と言うぐらいですから、職業訓練校的な内容は少なく、理論を構築する教育内容に重点を置いています。よって理論に強い看護師の育成にも繋がっています。

このシリーズその4で書いたように、看護の目的は明確でそれに向かってのケア。それ以外の何ものでもありません。そして看護全体が端的に、クリアな言語で表記され、「寄り添う」と言うような曖昧な言葉が入り込む場所はありません。シリーズその5で書いたように、そばにいるだけなら家族でも誰にでも出来ること。4年間そんな事をするために大学へ行ったのではない!と思う看護師が多いと思います。

もう一つの理由は、、、

続く



シーズンも終わり。高速も雪もあっという間に溶けてしまうほど気温はぐんぐん上がり春を超えて夏が来たみたい!

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