テレビ嫌いの私が久しぶりにテレビを見た。
ニュースと天気予報以外の番組を見るのは、年に1・2度しかない。それくらい見たいと思わせる番組がないということだ。私にとってテレビはおおかたビデオやDVDのためにある。
その年に1・2度のことに向かわせたのは、去年の7月、75歳でこの世を去った小田実(まこと)だった。
ETV特集「小田実・遺(のこ)す言葉」。
小田実の存在を知ったのは、私がセツ・モードセミナーで絵を描いていた70年頃のこと。ベトナム戦争が激化していたあの時代に、私の師であった長沢節がベ平連(ベトナムに平和を!市民運動)を立ち上げた小田実に大いに共感し賛同していたからだ。
当然の事ながらセツの学生は全員平和主義者だったので、あの歴史に残る“新宿騒乱”の時は、皆思い思いに新宿に繰り出し、私も警官隊に石を投げつけに行った。
集会やデモにこそ参加しなかったけれど、石を投げつけている時、私は紛れもなくベ平連の一員だった。そして、小田実という名前が私の頭に刻み込まれた。
行動する作家として、国際的市民運動家として、あるいは憲法9条を守るために作られた「9条の会」の呼びかけ人の一人として、60年安保の時期から平和運動を開始し、ベトナム戦争中期に ベ
平連を結成した。また阪神大震災のあと、被災者に対する救済を“法案がない”ことを理由に、国として何もなされないことに怒った彼は、それなら全国から署名を集めて法案を作らせようと立ち上がった。その運動はまたたくまに全国に広がり、かつてない膨大な数の署名を集め、ついに政治を動かし被災者救済法案を成立させた。
60年代末から70年代にかけての、あの激動の時代を生きて闘い続け、その後も死の直前まで闘う姿勢を崩さなかった彼の著書は300冊にも及ぶという。
このような健全な思想と勇気と行動力を持った、小田実という人間について思いを馳せる時、私は日本はけっして捨てたものではないと思うと同時に、人々の持つ個々のパワーが集結すればどんなことでも実現できる、世界を変えることもできるという希望を持てる。
まさに“Power to the People”。私は彼を誇りに思う。
死を目前にした病床で、彼は語っている。
日本人はこの国に対してもっと誇りを持つべきだ。日本は戦後アメリカから民主主義と自由をもらった。そして素晴らしいのは、その上にさらに「平和主義」をくっつけたことだ。こんな国は世界中どこにもない。ドイツにしてもフランスにしても根底は今でも軍事産業で成り立っている。アメリカは言うまでもない。しかし日本は戦後ずっと平和産業を基盤にして国を立て直した。
世界は今、世直しが必要だ。そして日本にはその世直しのためのヒントがある。特に若い人たちに、日本はアカンと言うのではなく、日本こそは世界に希にみる“価値ある国”だという認識をもっと持ってほしい。それには日本の歴史と日本人の特質をよく知ることだ。
少しろれつの回らなくなった口で、このような言葉を静かに語る小田実の髪はすでに白く、その頬はこけていたけれど、目には何とも言えない優しい光が宿っていた。
小田実の魂はじつに日本人の魂であり、人間の良心であり、コズミックな根源の意識に貫かれた魂であり、そして私の魂でもあり・・・永遠のものである。