メグブログ(美咲歌芽句)

Jeane+荒涼天使
 (ex.Mr.Kite)

声の力

2007-10-31 00:14:47 | 日記
昨日、新宿の武蔵野館で映画「エディット・ピアフ」を観た。
この映画館は、「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」「2001年宇宙の旅」等、若い頃、よく通った映画館だ。30年ぶりに同じ映画館に足を運んでみたが、昔のままの雰囲気が感慨深い。
まさにはまり役の主演女優マリオン・コティヤールの迫真の演技は、多少過剰気味に思えたにしても、一ピアフ・ファンとしては、心に残る映画だった。二十歳代のころ、私はピアフやバルバラをよく聴いていたし、その後はブリジット・フォンテーヌにはまり、最近はセルジュ・ゲーンズブールもお気に入りだ。フランス語の言葉の、あの玉を転がすような響きに加えて、ピアフの類まれなる歌唱力と、その魂を揺さぶる歌声を聴くと、やはり「声の力」の凄さというものを実感させられる。言葉はわからずとも、その言葉の意味を超えて確実に伝わってくるものがある。これは神に授かった天性のものか、数奇な運命のなせる業なのか。今、私がバンドでポエトリーリーディングをやっていることの意味と同等のものがそこにはある。それはもはや意味を持った言葉でなくてもよく、極端にいえばあのランボーの詩「母音」のようにアー・ウー・イー・オーといった単なる「声」であればいいとさえ思える。声は波動であり、肉体の楽器だ。ある種の波動はビルをも崩壊させ、地震さえも起こす事ができるように、声の波動もまた人々の魂を揺さぶり、あるいは鎮め、時には雷鳴を轟かせ、精霊を召喚し、風を起こし、雨を降らせることもできる。空海や出口大仁三郎(でぐちおにさぶろう)がそうだったように...天河神社の柿坂宮司の祝詞の声に呼応して御簾(みす)を巻き上げる突風のように...(これは私の体験だが)
私が詩集を出してから、ポエトリーリーディングを試みたのも、やはり紙に印刷された言葉よりも、肉体の楽器である声、つまり波動を使って表現した方が、より人の心に響くということに確信を持っていたからにすぎない。そしてその次には歌うという行為が待っていて、やっぱり私も最終的には歌いたいな。

昨日の夜、吉祥寺のヨ○バシカメラでフリクションのレックとえみちゃんに、ばったり遭遇。30年ぶりくらいか。このシンクロ二シティにお互いに感激しあい、近くのカフェでコーヒーを飲みながら歓談した。30年近くたっても、人ってあんまり変わらないものだ。互いに昔と同じような格好をして、同じようなことをやり続けている。ここでもまたマヤ暦の2012年のことに話が及び、盛り上がる。楽しい夜。シンクロって素晴らしい。