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ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

5月28日に対面での初ファシリテーターを務めた2名からのレポートです。

2023-06-11 20:38:56 | 対話型鑑賞

5月28日に出雲市文化伝承館で開催中の「春日裕次展」で初めて対面でのファシリテーションを行った2名の方の感想が届きました。

 

初対面でのファシリテーターをしてみての感想 レポーター:吉澤敬士

 実物作品・対面でのファシリテーション(以下 ファシリ)どちらもが初めての経験をさせていただき、ありがとうございます。

 そのような状況の中、午前の部で春日さんと房野さんのファシリ後の午後の番であったことは私にとって有益でした。 今一度、ファシリが鑑賞会で何をなすのかを『ファシリの役割は、交通整理役です。』この春日さんの一言で、再認識できたからです。そして鑑賞者に向けたこの役割の言葉がけが、今回の鑑賞会で一番印象に残り、今も考えている部分になります。

 午後の部の鑑賞会も終わり、総ての会の振り返りで春日さんから私のファシリでの手の動かし方についての指摘がありました。主体は「鑑賞者」「発言者」でファシリは発言している鑑賞者に対しての立ち位置が大事だということで『発言している鑑賞者と作品の間に立って、鑑賞者に対してファシリは身体を開くように立ち、話されていることを一方の手で作品の中を指し示しながら、もう一方の手で「話者」の話を促すように動かすことで、「話者」の話を全身を使って受け取っているように心がける。そうすることで鑑賞者はさらに作品についてよくみて考えるようになる』ということが理解できました。

 そして役割が交通整理役であるとしたら、

〇動いているもの(鑑賞者の意識や思考の流れ)がそこにはある

〇どこか向かっていく方向性があるのだろう【コンセプト】

〇衝突を避けるのか?合流を促すのか?そこから動くことや立ち止まることを促すのか

これらのことを考えられるファシリテーションとは?を今も考え中です。

 対面での鑑賞の感想です。

3つのシークエンス作品の最後

春日さんがファシリの時に年配の男性が『作家は、どうしてこんなもの描いたのだろう。不思議だ。鉄くずのように見える。・・・ 働いてきた な・れ・の・は・て』記憶なので全部は定かではないのですが、最後の言葉 「成れの果て」この発言の仕方が何ともいえないニュアンスを含んでいるように聞こえたんのです愁いや嘲りを含んだような・・・。春日さんがパラフレーズでの確認の最後に『有終の美のように見ていただいているんですかね?』発言者はうなずく。このやり取りに鑑賞者の私は、ホッと救われる感じを受けました。どこから?鑑賞者とファシリのやりとりを『みて』『きいて』この場にいたことからだと考えます。つまり、これがLiveならではの感覚だと思いました。

 鑑賞者の表現も『ほれ、あれやんか、それああやんか、わかるやろ?』等々、夫が長く連れ添った奥さんに対して表現するような『アレ、ソレ』など、日常の中に埋もれてしまいやすい言葉が使われがちです。ファシリとしては、どんな世代にも伝わるような言語表現を意識していくことが大切であると思いました。

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対面での対話型鑑賞を体験してみた所感 レポーター:貞岡陽子

2021年に京都芸術大学の対話型鑑賞ファシリテーション講座を受講してから、鑑賞ファシリテーションの練習はずっとオンラインでした。対面での対話型鑑賞は、その様子を聞いていて全く想像できないものではなかったのですが、実践も参加する機会もありませんでした。対面での対話型鑑賞に参加できたのは、昨年茨木市で5回にわたって、春日さんがファシリテーターとして開催された市民向け鑑賞プログラム「アートでおしゃべり」でした。ここでファシリテーターのふるまい、鑑賞者との向き合い方が体感できました。

今回、出雲で2回の対面の対話型鑑賞ファシリテーションの機会に恵まれました。5月27日に、出雲市駅近くのオトナキチコーヒーでの大人向けの対話型鑑賞会「みんなでアートを見てみよう」において、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「女占い師」の鑑賞をファシリテートしました。女性6人が参加されました。初めて対話型鑑賞に参加された方が多かったです。まず作品をじっくりみてもらいました。作品に登場する5人の人物の顔つきや服装、装飾品から、「険悪な感じがする、使用人が何かを訴えているように見える」という発言から始まりました。それを聞いて、「私は制圧しているように見える」など、参加者からそれぞれの発言があふれ出てきて、最初はパラフレーズするのが追い付かないくらいでした。ソファに座りくつろいだ雰囲気のせいか、参加者の皆さんは人間模様をいろいろと想像され、話はつきなかったのですが、描かれているそれぞれの人物の役割についてもっと話を広げられるようにできていたら話が少し整理されたのではないかと思いました。

振り返りで、場の流れをつくれるよう「一人ずつ手を挙げて発言してほしい」などの言葉も、ファシリテーターが頭に入れておかないといけないと反省しました。

5月28日は、出雲文化伝承館の春日裕次展で、ファシリテーター3人が連続で行う対話型鑑賞をしました。私は2番目のファシリテーションを担当しました。事前に、他の2作品のテーマを念頭に入れつつ、ファシリテーションを考えるという練習もしていました。「扉」の作品を私が選んだのは、バイクをテーマした作品が先に選ばれていたので、今回の出展作品を見せてもらう中、違うモチーフの作品にすると、鑑賞の世界が広がるのではないかと思ったからです。展示会場で実際の作品で鑑賞会をするのは初めてで、会場で作品を見たときに、オンラインでみていた作品とは感じるものが少し違いました。オンラインでは、男性の後ろに鉄の扉がそびえたつように見えていたのですが、男性と扉が対峙しているように見えました。鑑賞会は午後だったので、午前中に実際に作品をじっくり見ることができてよかったです。

前日よりも鑑賞者が多く、鑑賞者と作品との距離があり、仕事でプレゼンするのと同じく、鑑賞する場所によって、場の雰囲気は変わるのだなと感じました。作品自体が大きいのと鑑賞者に顔を向けておくため、ポインティングの仕方には気を遣うということと、それに慣れないといけないと思いました。オンラインでは今回の人数ぐらいだと全員の顔を見ることができ、発言していない鑑賞者に発言を促したりできなくはないのですが、対面で全員に発言を促す工夫も考えおくことが必要だと感じました。今回の鑑賞では、男性の落ち着いた顔の表情、シンプルな服装から現在の心境を考えていただき、また扉のさびやNOの文字、外れている掛け金などからの男性の過去の様子や未来の予兆と紐づけた発言をしていただき、これから男性が扉を開けるのか、別の方向へ行くのかという発展的な問いを残して終わりました。3人で回していくので鑑賞時間が気になり、時間感覚を養う必要もあると感じました。

対面での対話型鑑賞をやってみて、作品と鑑賞者からの刺激を身体感覚で受けて、ファシリテーターというよりも一緒に楽しめたように思います。機会を作って修練していきたいです。

春日裕次先生、春日さん、房野さん、2つの鑑賞会で出会った方々、練習会メンバーには大変お世話になりました。


出雲市文化伝承館で開催中の「春日裕次展」で対話型鑑賞会を行いました

2023-06-06 16:41:26 | 対話型鑑賞

5月28日(日)春日裕次展 「みんなで一緒にアートをみてはなそう!」

会場:出雲市文化伝承館

午後の部 13:30~14:30

ファシリテーター:①吉澤敬士 ②貞岡陽子 ③春日美由紀

参加者 一般の方 8名・みるみるの会メンバー 2名

鑑賞作品 ①胎動 ②扉 ③スクラップ

レポーター:春日美由紀

 

今回は「鑑賞作品のシークエンスについて」レポートします。

※シークエンスとはVTS(Visual thinking strategies)で言うところの、複数のアート作品を連続して鑑賞する場合に、作品を脈絡なく鑑賞するのではなく、鑑賞者が順序にもとづいて鑑賞していくとことで連続して鑑賞していく作品の中に包含される解釈にある種の通底するものが見い出せ、そのことによってより深く作品を味わうことができるように、あらかじめ仕組まれた作品群のこと。(シークエンスはファシリテーターが構成する。)

 

 私以外の2名のファシリテーターは、対面で実物の作品を前にしての鑑賞会が初めてだったので事前に画集に収められることになっている作品画像を提供し、フリーに選んでもらうところから始めました。

 吉澤さんが「胎動」を貞岡さんが「扉」を選ばれたので、私は「スクラップ」にしました。この「スクラップ」は2作品あって、私は当初、画集の「13.スクラップ 2000年」を選んでいたのですが、この作品が展覧会では展示されていないことが判明し、「12.スクラップ 制作年不詳」に変更しました。それは、初対面・初実物・初ファシリテーションのお二人と共に28日の本番に向けてオンラインでファシリテーション練習を行うためでした。鑑賞会に参加してくださった皆様に有意義なひと時を過ごしていただくためには「事前練習」は欠かせません。また、3作品を1時間の時間内に収めるのはかなりな難度です。お客様はファシリテーターが初なのかそうでないのかはご存知ないですし、そのようなことは関知しないところですが、開催者としては、鑑賞者満足度を上げて帰っていただかないと「対話型鑑賞」ってこんなものだったのね・・・。という評価になりかねません。それを最大限避けるためにも2週間に渡って連夜練習を行いました。

 初対面・初実物・初ファシリテーションを行ったお二人の感想も次回にアップしますのでご覧ください。

 

 さて、前置きが長くなりましたが、今回の鑑賞会の3作品のシークエンスについてです。

 鑑賞順は制作年と逆行するものになりました。

 最初は「胎動」です。この作家のテーマともいえる人物とバイクが描かれた作品。今回の展覧会でも多数展示されています。作家のメインテーマと言えるものですので、この作品から始めるのが鑑賞者にとっても受け入れやすいと考えました。また、人物が描かれていることから、鑑賞者にとって親しみやすさもあると思われるからです。「胎動」を鑑賞することで、他の「人物とバイクを描いた作品」の鑑賞の手助けになればとも期待しました。

 次作は「扉」です。こちらも人物が描かれています。しかし、バイクのようなはっきりとした具体物ではなく「扉」のようには見えるけれども「どこの扉?」「何が入っている?」「鍵がかかっていない」「開くの?」などの問いが自然に起こる作品です。「扉」の前に立つ人物も結構意味深です。最初の「胎動」で「どこからそう思ったのか?」と考えることに少し慣れてきた鑑賞者は「みる・考える・話す・きく」ことを他の鑑賞者と行う中で、「この扉の前に立っている人物」の意味を考えることになりました。

 こうして、1作品➡2作品と作品を続けてみて行く中で「人とモノ(バイク➡扉)との関係」について考えるようになります。

 そうして最終作品は人物のいない「モノ」のみの描かれた「スクラップ」へと移行していきます。3つ目の作品ですので鑑賞者は作品をみることにずいぶん慣れてきていますから「モノ」だけでもみることや考えることができるようになっています。でも、この作品を最初にみていたらおそらく「何をどうみればよいのか」と、戸惑いが生じていたのではないかと思います。今回のように連続して作品を鑑賞していく場合は作品の難度を徐々に上げていくのが鑑賞者には受け入れやすいと考えます。

 「人物」の消えた(鑑賞者は消えたとは思っていないでしょうが)「モノ」だけの作品ですが、そこに「人」の存在を感じるとともに、廃材とも思える機械部品に思いを寄せ、「再利用」とか「再生」といった言葉が生まれました。

 これは最初の作品からずっと「人」と「機械(バイク)」や「扉(人の作ったもの)」との関係について考えるようにファシリテーターがファシリテーションしているからです。それは「誘導」とは違うと思います。だからこそ最後の廃材(スクラップ)にさえも、もう使えないかもしれない機械の塊であっても、「人」と「機械」の関係について考えていくことができたのだと思います。

 

 この3作品を鑑賞者はどのようにみるのでしょう。最後にみた「スクラップ」は彼の愛するバイクの最期かも知れませんし、この「スクラップ」の中の部品から新たな命が吹き込まれて「胎動」したかも知れません。あるいはかの「扉」の中にこの「スクラップ」があったのかも、「バイク」が置かれていたのかも知れません。このように3作品をつなげて物語を紡いでいく、今回はそのようなねらいのシークエンスを組みました。

 

 今回初めて対面での実物作品を前にしてのファシリテーションを行った2名の感想については後日アップします。

 

 最後に

 2週間にわたり夜の練習会に鑑賞者として参加くださった「アートな会」の皆様のご協力に感謝します。お陰様で、実に楽しく充実した鑑賞会となりました。


5月14日安来市加納美術館「アートdeトーク」のレポートです

2023-05-28 21:15:07 | 対話型鑑賞

2023年5月14日(日曜日)

安来市加納美術館:安来市加納美術館の名品展~収蔵品カタログ~

イベント:「アートdeトーク」

鑑賞作品:「湖辺(こへん)」小野竹喬作

参加者 3名 うち一般の方1名

ファシリテーター(レポーター):春日美由紀

 

 同日の午後の鑑賞会は5月17日付の山陰中央新報でも紹介されたので、午前の鑑賞会の様子をレポートします。

 1時間の鑑賞会なので、2作品を鑑賞することにしました。1作品目は平面作品(日本画)、2作品目は立体作品(木彫)としました。みるみるのメンバーが紹介してくださった一般の参加者が1名いらっしゃると伺っていたので、対話型鑑賞が平面の絵画作品のみならず、立体作品でも可能であることを体験していただこうと考えて作品を選定しました。

 今回のレポートは1作品目の平面作品での鑑賞の様子とします。

 A)B)C)は鑑賞者 ※ファシリテータの介入や鑑賞時の気づきについてのコメント

 

 鑑賞の流れ

A)きれいな景色、空が金で、素朴な景色にちょっと不似合いな感じ。

B)空が、日本画特有の金箔でのキンキラキンではなくて、近づいたら金で、ぼんやり光らせる技術がすごい。そこが周りと比べて目立つ。

C)いつの時間なのか、空を見て考えていた。たなびいた雲が夕方を感じさせる。夕日が雲を照らして金色に光っているよう・・・。

※背景の金地の空と雲から対話が始まり、時刻「夕方なのか朝なのか」に話題が移る。

B)ボート部の生徒の話とかで、朝は水が凪いでいるとのことなので、この水面も波が立っていないから、朝なのではないか?朝焼けの中、舟に乗って仕事をしているのではないか?それにしてもお日様を描かれていないのはなんでなのかな?

※画中に描かれている人物について言及がある。水面の話が出るが、水面が川なのか湖なのか海なのかについて語られないので、そこを問うてみる。

B)川の終わりかけ、河口部なのではないか?背景の山並みがはっきりと描かれている所と、その奥がぼんやりと霞んでいるところがあるので、あのあたりが川の出口なのではないか?

C)川にしては大きすぎる気がする。湖のような・・・。背景の山並みがはっきりと描かれている所と、その奥がぼんやりと霞んでいるところがあると言われたところが、湖の奥行に思われる。また、2隻の舟の距離感が思ったよりも遠い気がする。手前はかなり人物の描写が細かいが、奥の人物は省略されていることから、みている以上に遠い気がするので。

※水面の広がりの広大さが語られるが、場所によっては大きな河口もあるだろうし、この場所がそもそもどこ(国など)なのかが語られていないので、国について訊いてみる。

A)日本だと思う。民家の様子から・・・。宍道湖か中海、それにしても、現代ではなく、少し古い時代。家の様子は日本には限定できないかも?中国もあり?

B)中国なら、もっと壮大な自然を演出するのではないか?

A)春だと思うので、桜?と柳?桜なら日本かな?

※初めて植物について言及、特に桜について。

C)あえて桜を描いているので日本ではないかと思う。

※残りの2人も賛同の様子

A)舟は渡し舟なのではないかと考え、奥の舟には2人の人が乗っていることから、で、最終便か始発便なのではないかと思う。手前の舟は渡し終えて対岸へ帰るところ、奥はこちらの岸へ渡して、今日は終わり。絵の右の外側に人家がある。

B)緑の木は柳ではないか?枝がしなって揺れているようにみえるところから。

※季節は春で、人物の様子から、朝のようでも夕方のようでもあるとは?

A)「春はあけぼの、ようよう白くなりゆく山際・・・」だとすると、朝かな?働く人も、朝なら元気、夕方だとちょっと疲れた~~、で、ご苦労様。

C)夕方にもみえる。人の営み、民家を描いていることから、人と水の関りとか、人が重要なのでは?

※時間帯についての疑問がわくのは、人物や民家が描かれているからではないかという意見が出る。

C)道がある。描かれているものは自然物と人工物。道ができるほど人の往来があるということ。

※やっと、道についての言及がある

B)道があることで、人の生活感、暮らしが景色の中に感じられる、でも、道には誰も歩いていない、道に人が歩いていると日常になってしまう、そうはしたくなかったのでは?画中の人に注目させて、労働賛歌?

A)ごちゃごちゃした説明的なものは省略(船着き場などは描かれていない)されて、絵として、そこまでの生活感はやめて、かな?

※春の日の何気ない人の営みから、この景色の中で人が自然の中で共に暮らしていることが皆さんのお話から伝わってきました。

振り返り

 初めて「対話型鑑賞」に参加される方がいらっしゃったので、その方が発言しやすい雰囲気を大切に進めました。みるみるメンバー2名も初参加の方の発言を大切に鑑賞を進めてくれたので助かりました。

 「朝なのか夕方なのか?」という問いを投げることで、その根拠を探すために作品をくまなくみてくれるのではないかと考え、ちょっとしつこいくらいに、その問いを繰り返したことは反省です。もちろん、決着は出ないのですが、終盤に「どちらにもみえるということから考えられることは?」というちょっとチャレンジングな問いを投げてみたことで「自然に囲まれた中での人のひそやかな営み、暮らし」のような話が出てきたのではないかと思うところです。

 単に「美しい春の自然を描いただけのものではない」という気付きによってこの作品の持つ豊かさを鑑賞者の皆さん自身が感じてくださったのではないかと思います。

 

みるみるメンバーの振り返り

 Sさん

 最初に金箔が貼られた空に注目し、この時間帯がいつ頃なのかという話になりました。朝焼けの時間と夕暮れの日の落ちゆく時間と意見が分かれていたのですが、対立した見方に対してどちらか正解を決めなければならないという流れにならないように注意を払いながら、ファシリテーションを進めていくのは流石だと思いました。また、途中日本の風景画という話も出てきてかなり時間をかけてここが日本であると感じる理由について家々の景色や植物に着目しながら話を進めていきましたが、これも最終的に自然と人の営みの重なる美しさや勤労の美という日本人の美徳と上手くマッチする見方に落とし込まれたのではと思います。

 Iさん

 3人という少ない人数での対話型鑑賞を行うということで,この人数でまだ鑑賞を行ったことがなったので,とても興味深い鑑賞の経験になりました。鑑賞者の人数が少ないということはそれだけ意見の幅が狭まる危険性があることがわかり,鑑賞者の性別や年齢によっては意見に偏りが生じかねないため,ファシリテーターができるだけ鑑賞者の視点が広がるような問いかけや鑑賞者の発言をより深めるワードが重要になると,人数が少ない中での鑑賞から気づくことができました。


3月みるみる鑑賞会 @加納美術館 「アート de トーク」のレポートです

2023-03-29 00:17:58 | 対話型鑑賞

レポート:猪俣悟

日時:3月12日(日) 11:00〜12:00    場所:加納美術館

作品タイトル「夜の音楽(仮)」      作品タイトル「忘れられた風景」

作家「湯浅栄一」            作家「近藤隆」

ファシリテーター:春日美由紀      ファシリテーター:房野伸枝

鑑賞者:7名              鑑賞者:7名

鑑賞時間:25分             鑑賞時間:25分

 

1,はじめに

 今回,加納美術館で行われた対話型鑑賞のイベントでは展示されていた「夜の音楽(仮)」「忘れられた風景」の2作品を鑑賞作品とし春日さん,房野さんのお二人が25分ずつそれぞれファシリテーターを行った。参加者の7名のうち1名は対話型鑑賞未経験者であったが6名は対話型鑑賞を経験している経験者であった。このイベントは午前の前半,午後の後半と2回行われたが,このレポートはその中の前半について書くものとする。

 

2,鑑賞を通して

作品タイトル「夜の音楽(仮)」 

 

 まず,行った鑑賞の音声データから行われた発話を文章に起こした。そこから見えてきたこととして,ここで扱った作品に対しての鑑賞者の話の広がりを見ていくと初めに作品の中央に描画された2人の人物に注目が集まり,その関係や場面を人物のフォルムや人物が手にしている笛や花といった持ち物から想像を広げていった。そして今度は背景に目を向け時間帯についての話が行われ,人物の周りを浮遊する2枚の羽を広げた昆虫について「蝶」や「蛾」なのではないかという意見が挙げられた。終盤は出てきたそれらを繋ぎ合わせて生成された見解が多く見られた。図1 鑑賞者の使用頻度の多い語句

全体を通して鑑賞者に使用された語句をテキストマイニング(図1)にかけ,使用頻度の高いものをわかりやすくしてみると,「蛾」「蝶」に関する語彙が多く,鑑賞者の中でイメージするモチーフが「蛾」であるか「蝶」であるかによって作品のイメージが変容するのではないかと予想される。こうした,作品のイメージが鑑賞者によって揺れ動く作品の際にファシリテーターとして留意したい点として鑑賞者によって不意に思考が吐露されるとき,その言葉が具体的なようで広義の意味を含む語彙を拾い上げ掘り下げることが重要と考える。

・例として鑑賞中の対話の抜粋

 

鑑賞者:なんかこの辺に謎の球体もあって蝶々とかもよくよく見てみると結構毒をもってそうな蝶々だったり,ただ単に明るい楽しい絵というよりか,もしかしたらちょっとピリっとしたような毒があるような感じがしました。

ファシリ:楽しいだけではないんじゃないか,ちょっと毒もあるんじゃないか,どんな毒?

 

この会話では鑑賞者が毒という語句を生成したが,それに対し毒という広義な言葉に内包される要素としてその毒に対する説明を求めた。そうした時に鑑賞者は返答として

 

鑑賞者:男女の仲かもしれない,いざこざとか,二人の関係を表しているような…

 

というように毒という言葉に内包された人物に関する語句を自身の意味生成として,今回の鑑賞会ではほとんどの鑑賞者が対話型鑑賞をすでに経験しているため,他の鑑賞者に伝わるような伝え方をしていたように感じるが,そうした時に見落としてしましそうな不明確な語句を拾い上げ,それを掘り下げていくことで話が全体として動いていったように感じた。

 

作品タイトル「忘れられた風景」

この作品では,作品の構図としては中心にコンクリートでできた四角いブロックが積み上がっているとても印象的な作品であった。鑑賞者の話の広がりとしては,印象的なブロックについての意見から始まり,そのものが積み上げられている空間について,そしてまたブロックに立ち返り,その存在や置かれていた時間についてなどが挙げられた。描かれているモチーフとしては背景の曇天やコンクリートのブロック,避雷針のようなものといったシンプルなモチーフ配置ではあるものの,コンクリートが持つ重さや人工物というイメージからそこには描かれていない人の営みの持つ傲慢さであったり,積み重ねられた時間といった意見が終盤多く見られた。

 作家がどんな思いを込めこの作品を描き上げたのかその真意を知ることはできないが,シンプルなモチーフでありながら,これだけ鑑賞者にそこに描かれていないはずの人の営みや,時間の流れや時代を想起させるというのは「忘れられた風景」を思い出そうとしているようで,作家の力量に驚かされるような気持ちになった。

3,まとめ

 両者の作品に共通することとして,実際に画面に描かれていることだけではなくそこから様々なことを想起させる,メタ的思考の強い作品であったように思う。そのため鑑賞者の意見として「楽しそう」という意見と「怪しい」という意見が出たり「ネガティブ」な意見だけでなく「ポジティブ」さを併せ持っていたりしたのではないかと考えられる。今回の鑑賞会ではそうした多義性の広い作品を扱った対話型鑑賞でのファシリテーターの立ち振る舞いや,対面での鑑賞の際のスピード感や声のダイナミクスを感じることができ,自身にとっても勉強になるものであった。


オンラインみるみる鑑賞会1月は初ファシリの体験レポートです

2023-02-13 22:49:19 | 対話型鑑賞

オンライン鑑賞会 レポート

レポート 嶽野 志乃

 

・日時  2023.1.31(火)19:30~20:40

・作品 「祈祷師」カメロン・ロマーズ・ガーッサ

・参加者(合計9名)

Fさん、Tさん、Sさん、(みるみるの会)

Wさん (みかんはなきの会)

Wさん、Hさん、Sさん、Yさん(うーばー・プロジェクト)

Yさん(高校2年生)、  *ファシリテーター:嶽野(みるみるの会)

 

〇はじめに

房野さんよりお声がけいただきファシリテーターを初めてやってみることになりました。どんな作品がよいかもわからず、房野さんから数点作品を紹介していただいたりzoomの使い方をレクチャーいただいたりと大変お世話になりました。また、お忙しい中参加いただいた皆様にも助けていただき、私自身も楽しく進行することができました。ありがとうございました。

 

〇ファシリテーターをして思うこと

今回ファシリテーターをさせてもらって特に思うことは、「心があたたかくなる体験だった」ということです。私の質問に丁寧に答えていただけたことや、最後のふりかえりで「言葉の受け止め方」に心地よさを感じたと言っていただいたことなどは、自分が一番気になっていた事について良い印象をもってもらえることもあるのだなぁと嬉しく思いました。

どんな言葉や伝え方が最適か?というのは答えがないとは思いますが、参加者の皆さんにとって良い時間であったと感じてもらえるように、これからも学んでいきたいと思います。

 

〇鑑賞会

 ベッドに寝ている人物について、部屋にある物などから性別や信仰する宗教や暮らしのこと、薬瓶が見えることから容体が悪いのではないか等、人物像を考えるところから始まりました。そして、「かたわらに立つ人物が植物を持っているのはおまじないや民間療法によって快復を願っているようだ」、「出かけるはずだったのにそれができなくなってさみしがっている男の子がいる」など描かれる人物の内面に関わる発言が増えていきました。また、ラジオや製作途中の洋服があること、現代医療も民間療法も使っている様子などから、寝ている人物(女性)は長患いをしていて、もしかしたら治る見込みが薄いのではないか?という意見もでてきました。肌の色や複数ある写真から住む地域や家族愛についても話題がありました。さらに、お互いの話を聞いて作品の見え方や受け取り方が変わったという発言もありました。

 この後からは、この作品から受け取れる解釈についての意見へと変わっていったと思います。「描かれる人物やモチーフの大きさの違和感は存在感の大小ではないか?」「画面の左側にドクロに見える部分がある。でも色調は明るい。中南米地域の“死”とは誰にでもあり悪いものではないという考え方を感じる。」「窓の外に見える植物と、中央の人物が持つ植物が同じに見える。『最後のひと葉』を連想した。」など、ヒトの生死に関わる考え方の発言もあり、約30分の鑑賞会を終えました。

 

 

〇ふりかえり

 ・ファシリテーターがおもしろがってきいていると話しやすい(間口が広く感じる)。

・回数を重ねることで、進行の仕方などもよりわかってくる。

・自分の価値観をもってファシリテートしてもよい。途中で考え方が変わることもある。

 ・作品によっては大きくみえ方が変わることもあるが、今回の作品は考えが深まる感じがした。

 ・参加者の意見を丁寧に受け止めている感じがした。

 ・考える切り口として具体物やストーリー性のある作品も面白い。

 ・様々な意見を聞くことは別の考えに気づいて面白い。対話型鑑賞の価値を体験できてよかった。

 ・ファシリテーターが言うのではなく、参加している人に言ってもらうように進めるとよい。

 

〇最後に

 対話型鑑賞に慣れておられる方も多かったので、作品の解釈や内面について参加者全員で考えていくという雰囲気も自然にできたのではないかと思います。中学生と対話型鑑賞を楽しむ時にも、「そこからどう思うか?」という“もう一歩”深い内容に入っていけるといいなぁと思いました。

 また、今回は鑑賞会の最後をどのように閉じてよいか進行しながら悩みました。もう少し鑑賞会全体を振り返れるコメントができれば良かったかなとも思います。ありがとうございました。