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ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

みるみるとじっくり見てみる?藤野さんのレポートです!!

2016-02-29 21:01:33 | 対話型鑑賞


なたはどう見る? ~よく見て話そう、美術について~
島根県立石見美術館 関連イベント 第3回 みるみるとじっくり見てみる? レポート

■日 時   平成28年2月6日(土)
■ナビゲーター 藤野 孝之
■鑑賞作品 
作家 ベルナール・フォコン
到着〈夏休み〉より  1978年 フレッソン・プリント

■参加者 
40代~60代の一般の方2名、グラントワアテンダント2名、みるみる会員3名 計7名

■鑑賞会
今回、鑑賞した作品は、ベルナール・フォコンの写真作品です。画面に人形を配置した作者の代表的な作品で、鑑賞者にとって画面に写っているものがはっきりしていてわかりやすく、発言しやすくなるのではという思いと、見る人によって作品に対する捉えが様々で色々な意見が出ておもしろいのではというナビの思いから作品を選定しました。
鑑賞会ではキャプションや説明文が無い状態での対話型の鑑賞だったので、色々な視点からの意見が出ました。
世界情勢を風刺した作品、作者の心にある在りし日の思い出、物語の一部分を切り取ったもの人種を越えた友愛を表現しているといった意見が出て、ナビをするはずの私も思わず一人の鑑賞者として話に参加してしまう一面もありました。

■参加者の感想文から
・人形劇の一場面に見える。遠くにいる人影は人形でなく人間で、人形だらけの世界から恐怖で逃げ出しているのかと思った。
・最初に作品を見た時は、後ろの子どもたちが、旗を振って何かを応援しているように見えた。(何を応援しているかは写ってないのでわからないけど)
・人形に恐怖心があるので、全体的に少し怖いような雰囲気を感じました。
・自分だけで作品をみて考えるとわからないことがあっても「?」のままになるのですが、今日皆さんのお話を聞かせていただいて、色々な見方があって、とても面白いと思いました。「そういうことか」と気付けることもありました。

■ナビ反省会の話から
  反省会では話し合いの中から、「要所で話を小まとめができていてよかった。」「言い換え(パラフレイズ)で発者の意見を他の鑑賞者も一緒に確認できたのでよかった。」「最初の声が小さかった。(声が小さいと聞き取りづらい方もいらっしゃるかもしれない)」「情報の共有をするのはいいが、ナビの言葉によって発言者が自分の意見を否定させたように思ったかもしれないので、言葉の使い方やタイミングにも注意した方がよい。」といった意見をもらいました。声の大きさについては前回ナビをして時にも、同じ指摘を受けたので、気を付けたいと思います。また、ナビの一言によって鑑賞者がもっと発言をしたいという気持ちになることも逆に言いづらい気持ちにもなることもあり、鑑賞会全体の雰囲気にも影響するものだということを実感させられました。次回ナビをした時の課題にしたいと思います。

上坂さんの「みるみるとじっくり見てみる?」ナビレポートです!!

2016-02-20 08:56:23 | 対話型鑑賞


グラントワ 
コレクション展「あなたはどう見る?-よく見て話そう、美術について」関連イベント
第2回「みるみるとじっくり見てみる?」
☆日 時    平成28年1月30日(土)
☆ナビゲーター 上坂美礼
☆鑑賞作品   山崎修二《緑の静物》昭和25年頃(1950年頃)130.0cm×80cm
        山崎修二《窓辺の静物》昭和25年(1950年)91.0cm×116.5cm
        デュフィ《ダンス》←モノクロの木版画 縦長の作品
☆参加者    益田市内の一般の方数名、県外の方1名、みるみるの会員4名 
        計12名くらい
☆鑑賞会   
展示室Aに入ってすぐの壁に6枚の作品が並んでいて、右から2枚ごとに、モノクロの木版、油彩、テキスタイルの原画(水彩でしょうか???)と、異なる技法で表現されていることが分かったものの、6枚の作品群の並び方について、にわかには判断しかねました。油彩の左右に、テキスタイルデザインが並んでいる・・・。果たして。
とりあえず、会場のなかで最も大きな画面の、縦長の油彩画をみんなで見たいと思って選びました。
浜田市内の中学校に展示されていたなぁと、いくつかの作品を思い出すような、なつかしい構図や色合いの魅力について話題になるのではないか、という期待もあったのです。戦後、浜田市内で数十年年来続いた絵画講習会の歴史について何か面白い話も聞けるといいなぁなどという密かな野望も抱きつつ、個人的に、とにかく昭和の油彩は何故か気になる存在で、「みんなで見よう」という方針一本、戦略なしのスタートでした。
2時スタートの鑑賞会には、みるみるの会の先生方や常連のOさん、山口県からお越しの先生、そのほかに、私にとっては初対面の一般の方も何名かおられましたので、改まって「見る、考える、話す、聞く」の口上を述べました。この口上で声の調子やスタンスを整えられたら、少しは緊張もほぐれるというものですが、やや声のボリュームに乱高下も漂わせ、早々に「しばらく、ご覧ください。」とみなさんに委ねました。果たして。
「しばらくとは、さて何分くらいにするか。」と時計をにらみ、「どのように口火をきって問いかけるのだったっけ。」と動揺しながら、「では。何か、見えていることや感じたこと考えたことなど、お話して『下さる方は挙手をお願いします。」と再び、みなさんへ委ねたところ、即座に手が挙がったので本当にありがたかったです。ありがとうございました。
 対話による鑑賞の授業を実践されている先生方が口火を切ってくださったので、描かれているモチーフの質感や色について、丁寧に言語化していただき、初めて参加される方にも何かしらのヒントになったのではないかと思いました。例えばリンゴのような丸い果物が三つ見えるという話題から、それぞれの形状や色を比較して見ると、一つは梨なのではないかと共通認識が変容しました。また、丸いいくつかの形状のモノは、どうやら玉ねぎではないかと思うが、その根拠は、球の真ん中の凸部分から緑色の芽が伸びていて、球の下の方は薄茶色の皮がめくれて玉ねぎの白い肌が見えているからだと、細部に注目する発言も出ました。その発言を聞いて、一般の参加者の女性がふいに「くたびれた玉ねぎね!」と思わず声を挙げられたのは、とても印象的でした。他の鑑賞者からも、おお!という納得のどよめきが起こりました。
 順調な滑り出しにナビゲーターとして安堵するなか、後方から新たな参加者が3名~5名加わりましたので、それまでに出た話題の小まとめをして、改めて「見る、考える、話す、聞く」の口上を述べ、声の調子を整えてから再スタート。ここは、いつからでも参加可能な場を提供できますようにと、ナビゲーターとしての自覚をもって小まとめを試みることができたかな、と自負するところでしたが、どうだったでしょうか。
 
 「画家は、ガラス越しのモノを描きたくてモチーフを並べた。」と、常連のOさんが新しい見方を話してくださったのも、ひとつのターニングポイントでした。ナビゲーターの私自身、鑑賞者の一人となって、眼が開かれたような発言でした。ナビゲーターは一人の鑑賞者でもあろうけれども、本来は中立的な立場のファシリテーターであるからには、誰に対しても、どのような発言にも等しい距離感で接するべし、というスタンスではあるのですが、「ガラス越しの質感かぁ!」というビックリ!エクスクラメーションマークが明らかに頭上に発生し、感銘を受けた顔をしていたのではなかったか、と思い返します。
 実は、当日の鑑賞会が始まる寸前に、みるみるの会の先生から「地と図の関係だよ」とヒントをいただいたのです。「テキスタイルデザインは地と図。だが、油彩画については???」と6つの作品のなか中央の2枚の油彩画についてはイマイチ、ピンとこないままに鑑賞会をスタートさせてしまったのです。そのため、せっかくの機会を少しもったいないことにしたかもしれません。デュフィのモノクロの木版画と、縦長の油彩画を比較して話してくださった鑑賞者の声を、うまく受けとめることができませんでした。油彩画は複数の視点が見受けられるが、モノクロの木版の視座は一つ、という話題について、もっと詳しく聞かせてください、という姿勢が足りなかったと思います。モノクロの版画について、油彩画と比較し、平面性の強さについて話されているのかな、という早とちりもありました。「地と図」はある程度、平面性の強い作品だからこそ、見えてくるものという思い込みもあったかと思います。
 モノクロの木版画の視座に関する話の前後には、縦長の油彩画は、斜め上から見たモチーフを、奥行きを感じさせない配置で描いていることが話題になり、見えたままを写実的に描いたのではなく、何かしらの意図をもって、デザイン画の意識を感じさせるという発言も出ました。ここでも、左右に並ぶテキスタイルデザインに通じる要素が話題になったのですが。
ガラスの瓶や器の並ぶモチーフの下に見える長方形の緑色の敷物は、テーブルクロスではなく、毛足の長い絨毯なのではないか、という発言も出ました。それまでは、縦長の油彩画について、なんとなく敷物の上に並ぶ静物のモチーフに注目していたのですが、フワフワとした毛足の長い絨毯の模様がクローズアップされた局面だったかと思います。
また、それにしても画面の上方に描かれている縦縞模様に意味があるのか、という問題提起が鑑賞者から出ました。これはナビゲーターに代わって、鑑賞者の視点を「地と図」へと促す布石となる問いかけだったのでは、と振り返ります。緑色の絨毯の面は床と平行な水平面を描いたもので、縦縞模様の面は壁と平行な垂直面を描いたものであると、他の鑑賞者によって述べられました。縦長の油彩画が縦長の外面構成である所以は、床に平行な水平面を大きく描きたかったからだという話にもなり、画面の上方の縦縞模様は小さい面積だが、壁を表し、しかも縦長の画面を強調していて意味があるという話も出て、鑑賞者同士で問答が成立したことも面白い展開でした。
鑑賞者のみなさんの話を聞きながら、そういえば、縦長の油彩画が意図的に複数の視点で描かれているのはキュビスムの感覚につながる意識からかなと、ぼんやり考えているうちに、また新たな話題が出ました。それまでの鑑賞者の話題展開から「画家が描きたかったのは、並べられたモチーフではなく、緑色の敷物なのでは。」という発言が出たところで、「地と図の反転だ!」と、私もようやく開眼した感がありました。「地と図」という語彙も発言のなかに出てきて、私にはよく分かったのですが、ややもすると専門用語ともいえる「地と図」の意味について確認すべきだったかもしれません。確認の代わりに、「地と図」の解釈としてナビゲーターは言い換えを試みました。「画家が描きたかった主役は、実はモチーフではなく、緑色の絨毯みたいな敷物であって、モチーフは引き立て役ということですね。」このコメントは「地と図の反転」を例え話で言い換えたつもりでしたが、少し乱暴だっただろうかと反省もします。発言者のコメントが簡潔で適切だったので、みなさんには伝わっていた感はあります。他の鑑賞者からも、枯れた花がモチーフになっているのは、緑色の敷物の色を引き立てるために、あえて鮮やかな色彩を抑えたのでは、という視点も出ました。
それにしても、複数の作品が意図的に、シークエンスを組んで展示されている場合は、ナビゲーターが促すことがなくても、鑑賞者は自然に比較し、関連性を考えるようになるのですね。そこまで戦略を練らずに、鑑賞者の前に立ってしまっていたので、鑑賞者にナビゲートされている感も漂わせながら、時に空白の沈黙をもってナビゲーターの視線の先は、昭和の油彩画に戻るのでした。戦略をもって臨めば、もっと注意深く、鑑賞者の動向を観察し、思考が深まるような投げかけをするところです。今日は、それが無い。如何せん。
そうしていると、まだ話題に出ていない多くのモチーフの中から、朱色の有田焼のような丸い形に注目する発言が出て、隣に展示されている横長の油彩画の作品上にも、同じように朱色の有田焼が見えることが話題になりました。そのような展開から、自然に鑑賞者は二つの作品を見比べ、「くたびれた玉ねぎ」の入った染付の器が、横長の油彩画の中にもモチーフとして登場していることなども話題となりました。鑑賞者同士がお互いの発言を受けて、改めて二つの静物画の違いについて考えていった感があります。
よいタイミングで、「二つの作品を比べてみましょう。」とナビゲーターからの投げかけがあれば、鑑賞者の思考を促したであろうと反省もするのですが、鑑賞者の発言によってナビゲートしてもらっていた感じもあるので、本当に助けていただきました。
横長の油彩画にも見える有田焼のような円い容器の朱色が、ガラスの格子窓の外に見える森の中の朱色の煙突の朱色と同じで、画面に色彩でリズム感を表す効果があるという話題も出ました。
平行・垂直の面の描かれ方について、縦長の油彩画は床が大きな面積を占めていることに対し、横長の油彩画は窓の面積が大きいことも言及された。「地と図」と「水平な面と垂直な面」といった要素から二つの作品を比較してみると確かに対照的!と、またもやビックリ!マークが生じたのですが、うまくまとまりません。「ナビゲーターも一人の鑑賞者として発言してもいいでしょうか。」と断り、横長の油彩画も「ガラス越し」の風景ですねと、二つの作品の共通項を挙げてみた次第です。
 
【鑑賞者からのアンケート回答より】
☆「緑の静物画」について、作品のなかで「いったい何がおこっていたでしょうか?」
◎「とにかく構図が面白い静物画だったので、みなさんのご意見をたのしく拝聴させていただきました。よく、「主役・脇役」といわれますが、難しいことは考えず、楽しんで描かれている絵なのだろうと思った。
◎静物の配置が不自然なことが、まず気になりました。それは、やはり「描くために配置した」のだと考えていました。「地と図」「デザイン化」というお二人のお話から、もしかしたら、リアルにその場にあるわけではないモチーフも描いているのかもしれないと考えられるようになりました。
◎絵を詳しく見ると、ガラス越しに見える絨毯や下のモノが違って見える。また、じっくり見てみようと思う。緑色が強い絵だと思った。
◎隣同士の作品の中に、同じ器が描かれていることについて、目からウロコでした。気づかなかった自分に、ショック!
◆立派な絵ではあるけれど、何を訴えたいのか解りませんでした。(→ナビゲーターとして戦略をもって臨まなかったために、話題を収束できず、空中分解させていたからかもしれません。基本的にはオープンエンドで、鑑賞者の皆さんがそれぞれ、ご自分の考えが変容したり、深まったりされることを期待しているのですが、何かしらナビの戦略は必要だと思い知ったところです。)
◆会場に入っていきなりのスタートだったので、6枚の絵をじっくりと観る時間がなかった。視力が弱いので、近づかないと細部が分からず、特に今回、対象となった絵は色調が暗く、なかなか感じとる間がとれませんでした。(→6枚のシークエンスをじっくり見る、という作戦は、やはり必要だったかなと反省します。また、「もっと近寄って見てみましょう」の呼びかけもしなかったのは、痛恨です。)
「高校時代の油絵の先生の作風に似ていた」というお話をしてくださった方もおられました。ありがとうございます。きっと、その油絵の先生も、浜田高校で行われていた絵画講習会に参加されたことはあるのではないかと推測してみたのですが、どうでしょうか。浜田の絵画講習会には、私と同じ年に生まれたある女性も高校時代に参加した経験があるそうで、津和野から出かけたと聞いています。数年前には中学生の引率で参加したこともあるのですが、絵画講習会の歴史は絵画文化を牽引していたのだなぁと感慨深く思うところです。

☆鑑賞会の感想
・絵の鑑賞は、見ることだけと思っていたが、その絵のなかに作者の意図がどのように含まれて描かれているのかという点に気づいた。ただ、美しいか否かだけでは計れないことを感じられた。また、参加してみたいと思える不思議な時間でした。【当日の会場アナウンスをきっかけに参加の方】
・隣接する作品の話題も、トークが進むにつれて絡んでくるとは。美術館でトークすることの素晴らしい効果ですね!
☆展覧会の感想 
・作品名やキャプションを提示しない展覧会を毎年、実施されているのが素晴らしいと思います。よさを簡にる人はいても、実行するのは、公立美術館では難しいことだと思うので。印刷物でフォローもされていますし、ぜひ続けてほしいです。応援しています。
☆みるみると見てみる振り返りより(正田先生 記録をしてくださってありがとうございます。)
自評 
・たくさんの鑑賞者があり多くの発言があって嬉しかった。
・その分、鑑賞者の複数の視点での発言が有り、終わりのタイミングと話題のまとめをどうすればよかったか迷った。
・描かれている玉ねぎの様子についての発言では、さらに詳しい発言を求めることができて良かった。
・静物画であるこの作品に描かれているガラス器やに果物(図)とそのガラス越しに見た絨毯のゆがみ(地)のどちらを主な表現の主題かという言及があったが、それを他の鑑賞者と共有できていたか。
・地と図の話題が出た時に、隣の白黒二色の版画を参照して、さらに詳しく説明すればよかったかもしれない。
・制作経験のある方から制作意図という視点で専門的に話しを聴くことができておもしろかった。

☆振り返りコメント☆ ナビゲーター:N
・鑑賞の流れの中で「あれ、隣の作品にいっていいの?」と思ったが、美術館でやるおもしろさを感じた。
・今日は参加者が多く自然と集まってきた様子があった。普段なら遠巻きから見て場を離れる人もいるが、場を離れた人も無く、挙手による発言をされた方もいて、この鑑賞のおもしろさを感じられたと思う。
・子どもではちょっと分からないかもしれないが、今日は「地」と「図」の説明の時に隣の同じ作家の風景画(油彩)にも同じ効果があると説明するとより分かりやすかった。
N:今日は、いろんなトピックスが出たけれど、どこをどうするといいのか、どこを深めれば良いのか自分ならどうしていいか分からなかった。戦略も無し(笑い)
・授業内で、生徒対象で行うと整理しながら会話をし「こまとめ」として思考の流れを確認するが、「主題のモチーフが何か」とか「構図上の工夫」など話題が色々出た中だったので、参加者の発言を止めないためにもそれで良かった。
・トピックがいろいろ出ている時は、こちらが「そのことについて」と発言を焦点化する方向性を提示しても良かった。今日のナビゲーターもしていた。
・授業の時は、目標と照らして発言を重く取り上げないこともあるけれど、美術館では鑑賞者に来て楽しんでもらうのが1番だと思うので、「絵」ってこんな風に見ることもできるのかなと思ってもらえば良いと思う。
・山崎修二氏の二点が隣同士で展示され、今日もこれの二点は比較とみる意味はあったと思う。
・ナビゲーターが鑑賞者の発言をしつこく繰り返してしまって対話の流れがまどろっこしく感じることがあるけれど、黙ってじーっと見るのはいいなと思った。自戒を込めて、しゃべりすぎない方がいい。
・隣の作品と関連づけて説明した時に、「せっかく隣の作品に話題が及んだので少し見てみましょうか。」と話題を振ってもいい。
・終わりのタイミングについて、短くてもきゅっと内容があれば、無駄に時間をひっぱることもない。
・たくさんの鑑賞者があった中で、グループで来られた方にも話しやすいように少し隣の人と話してもらってもいいかも。
・指名してもいいけれど、手を挙げ(自発的な発言が)なくなってしまうのでそれが難しい。いつのまにか男性の方が、二度も手を挙げておられてすてきな鑑賞者だった。
・だけれど、(この鑑賞スタイルに慣れていない方が)手を挙げずに思わずしゃべっておられたけれど、それはそれで意見を拾うのが大事。
・前回Nが「聞こえにくい」と言われたことに対して、今日は鑑賞者に「聞こえましたか。」と確認していたところが良かった。鑑賞者も発言しやすかったと思う。
・「ガラス越しは・・・」の発言内容は興味をそそられる面白い発言だった。ほぼ欠かさず来てくださるすてきなリピーター 。楽しんでおられる。

~その後も、今回ナビゲーター自信の授業実践や振り返りに参加した方からの疑問「幼児に適する鑑賞作品はどんな作品があるか」など質問が続き、振り返りもさらに盛り上がり、明日への実践への意欲につながる振り返りとなりました。
疑問「幼児対象の鑑賞にはどんな作品が適するか」に対する提案
◎ 対象者の身近な生活で共感しやすい場面が描かれている作品が適している。 
◎ 描き方が複雑でないものが、話しやすい。
※ 約束は「だまってみる」「考える」「手を挙げてはなす」「人の話は聴く」
 「見る 考える 話す 聴く」のルールそのまま幼児におろしている。
 学び方の学習にもなる。

その他の作品例
◇「径(こみち)」小倉遊亀  所蔵:東京藝術大学
 母と子どもが散歩する姿を描いている。描かれているものが少なく、身近な生活が連想されやすく意見がよく出る。
◇「お誕生日」藤田嗣治  所蔵:ポーラ美術館
 11人の子どもたちが、ケーキのあるテーブルを真ん中にして座っている。外の窓からのぞいている子どもがいる。誰のお誕生日?ときくといろいろ言う。
◇「カントリースクール」ウインスロー・ホーマー  所蔵:セントルイス美術館
 小学校入学を控えた幼稚園の子にみせる。教室にいる子どもたちの様子や服装について色々なことに気づく。

力作なレポートをありがとうございました。しっかり振り返って、次回に生かしましょう!!

山口から参加の津室さんからみるみるレポート届きました!!

2016-02-18 20:16:56 | 対話型鑑賞


みるみるの会に参加させていただいての感想 

2016/02/13
津室和彦(山口県・小学校教員)

 今年も,飛び入りでファシリテーターをさせてもらいました。美術館で,しかもトークを前提に工夫して展示された作品群を見ながらのトーク,大変勉強になりました。  
そして,トークの後,すぐにみるみるの会の皆さんが行うふり返り。これが大変に深く,面白い。メンバー全員がファシリテーターとしての経験を積んでおられるからこそ,実感のこもった,考えさせられる話し合いになるのでしょう。厳しくも温かい意見や代案が飛び交う話し合いは,必ず次回のファシリテーションに生きると確信しました。こんなすばらしい話し合いにも混ぜていただけたこと,本当に感謝しています。ありがとうございました。

 さて,今期グラントワでの第1回目と今回のトークで感じたよさと,私自身の反省を以下に常体でまとめて記します。

よさ①
 実物なので,近寄ったり離れたり,鑑賞者自身が好きに動きを選べる。スクリーンに映像として提示する場合と違い,鑑賞者ひとりひとりに自由がある。動けるので話し手と聞き手の位置関係が微妙に変化するのも,コミュニケーションをとるうえで,よい方向に働く。

よさ②
 ユニット展示してある関連作品と並んだ状態で時には比べたり結びつけたりしながらみることができる。単体でトークするよりも,思考が広がったり深まったりすることが多い。

よさ③
 もちろん,本物作品を五感で感じ取りながら考えられること。参加者のモチベーションが違う。

反省①
 アイスブレイクに時間がかかった。特に,しっかり「みて かんがえて はなして きく」という基本ルールの確認をし,この場に集まったみんなで絵の意味をみつけて行こうという「めあて」の明示を怠ったことがまずかった。中学生の集団は,対話型鑑賞について経験があるだろうという思いこみで端折ってしまったのと,全体の時間枠がわかっていなかったため,焦ってしまった。基本は守るべきだった。

反省②
 緊張がとれず,自主的に挙手・発言できない参加者に対して,指名も含めて発言しやすい状況を作り出すべきだった。発言しづらい雰囲気を感じ取ったならば,こちらが選択肢を示し必ず挙手するなど体を動かせる場をつくるべきだった。体を動かすことで,緊張もほぐれ,発言しやすくなっただろう。

反省③
 「マネキンと生身の人間と両方がいる」という発言について,明確に根拠を話すようしつこく促すべきだった。一見しただけでは判断がつきかね,参加者に迷いや驚きが生じるよい発言だったので,それを手がかりに思考を深められる場面だった。後に出てきた「本物の毛でできた毛髪とプラスチックの作り物の頭がある」のような発言につながる可能性があったと思う。

反省④
 みるみるメンバーの助け船的発言「不安感や不安定感」については,子どもたちが感じ取りにくいようだった。子どもたちからこのような発言を引き出すには,どうすればよかったのか考えさせられる。表情に乏しくしかも作り物っぽいマネキン特有の雰囲気や,さらには生身ではなく敢えてマネキンを用いた意図などに気づいて行けるような支援が必要だったのかもしれない。このことは,反省③ともつながる。

 見ず知らずのメンバーでトークをする良さを引き出すには,ファシリテーターも瞬時に状況や雰囲気を察知し,柔軟かつ瞬時に状況や雰囲気を判断し,次の一手を打っていかなければなりません。この緊張感あふれるライブな感覚は,美術館での一期一会ならではです。担任しているクラスで行うトークとは,また違う醍醐味がありました。 

石見美術館「みるみるとじっくり見てみる?」の4回目のレポートです!!

2016-02-14 19:42:07 | 対話型鑑賞


石見美術館「あなたはどう見る?-よく見てはなそう美術について」関連イベント
みるみるとじっくり見てみる?
・平成28年2月13日(土)14:00~14:40
・鑑賞作品(数字はキャプションナンバー、展示室ではナンバーのみ表示):18 女性用乗馬服(1890年頃)、19 水着「モノキニ」(ルディ・ガーンライヒ 1964年)
・鑑賞者 中学生7名、みるみる会員2名
・ナビゲーター 金谷

 こんにちは、みるみるの金谷です。今回、中学校の美術部のみなさんと鑑賞ができるということで、ナビをするのをとても楽しみにしていました。そこで、一緒に「みる、考える、話す、きく」をしたい作品として“ファッション”を選びました。若々しい感性で、これらの作品をどうみたり、考えたりするのか、とても興味があったからです。一緒に、鑑賞をするなかで、感動したり、驚いたりすることがたくさんありました。そんな、鑑賞会の様子をレポートします。

 展示室には、マネキンが4体(4作品)あったので、まずはそれぞれをじっくりみてもらいました。作品の後ろにもまわったりしながら、一通りみおわったところで、中学生のみなさんが一つの作品の前に集まって、しきりに何かを数えていました。そこで、その作品「18(女性用乗馬服)」から鑑賞をスタートしました。
数えていたのは、ジャケットについているボタンの数でした。「ボタンの数が多すぎる」等のことから、この服を着ていたのは、「時間に余裕がある人で、貴族の人かもしれない」。また、全体が黒っぽいところから、「お葬式に着たのかも」という意見を受けて、「(よくみると)チェックの模様がある!じゃあ、何?」と、友達の話をきいて、みて、考えて、話すというサイクルが起こっていきました。他にも、この服のウエストの細さから「あまり動かない人が着ていたかも」という意見も出てきました。そこで、この服は「乗馬服」であるという事実(情報)を伝えると、「えーっ!」という声とともに、「どう乗るの?」「何で、スカート?」という新たな疑問が浮かんできました。「この服で横乗りをして乗馬するなら、ゆっくりしか走れない」という意見も出てきました。その意見をきいて私は、一つの服(作品)が時を超えて、いきいきと動き出すような感じを受けました。鑑賞者のみなさんにも「みんなでみるから、みえてくる」ものがあったように思います。

次に、他に気になる作品は?と聞くと、「あれです」と、指や目線で指されたのが「19(水着「モノキニ」)」でした。まず服の形に注目して、マネキンの胸があらわになっていることから「下着」「腹巻」。いや、この服の形をはっきりみせるために裸のマネキンに着せているのかもしれないから「服の上に着るもの」。また、素材は冬っぽいが、露出が多いから夏に着るもの?という、やり取りが続いたあとに、「夏に着る、露出が一番多い服は?」と問いかけて、この作品が「水着」であることを伝えました。またもや「えーっ!」という驚きの声とともに、「男子用?」「女子用?」「どこで着るん?」「男用でも着たくない!」「ゴムがないから、(ひもを外したら)泳ぐとき脱げそう」「(着るなら)何歳位の人ならOK?」・・・と、着る人の性や年齢、シチュエーションにまでかかわる疑問や意見が交わされました。その中でこの作品の形や素材から、「この水着は、あらそい用(競技用)ではないと思う」という意見がでました。それをふまえて、今回みた2作品を振り返ると、どちらもスポーツをする時の女性服であることから、「女性にとっては競技というよりも、おしゃれ(ファッション)としてのスポーツ」ということが言えるのではないかという意見もありました。また、2作品を比べてみると、スポーツという共通性はありながらも相違点も多く、好対照な2点であることにも対話を通して気づくことができました。

今回、鑑賞者のみなさんの関心が高い作品で対話をしたのですが、隣り合った2作品の共通点や相違点などからも、作品に関連性を持たせた展示の工夫を改めて感じました。また、ナビとして、みなさんと楽しくリッチな時間を過ごすことができたことに感謝しています。より楽しく深くリッチな時間を過ごせるように、ナビゲーションの腕をもっと上げていきたいと思います。参加していただき、ありがとうございました。

最後に、鑑賞者の方の感想を一部紹介します。
・同じスポーツウエアでも、全く異なる感じがしていてすごくおもしろかった。

・2作品を見て、今だったら絶対着ないだろうという服で、どのように使うのか、どんな目的で使われるのか、すごく不思議で興味深かったです。今まで、あまり考えてなかったけれど、服には色んな目的や機能が考えて作られているのが分かりました。よくよく見てくると分かることがあり、とても楽しかったです!

・2つの服を中心に見て、どれも昔のように思いました。スポーツの服だったということが、とてもおどろきました。前からしかみれないと思っていたのですが、後ろからみたり、みんなの意見をきけたりして、どういう服だったのかがわかりました。乗馬の服では、とてもスカートが長く、ボタンも多くて、お金持ちの人がきているのかと思いました。

・右から2つ目の服は、すごくボタンが多くて、第一印象は「オシャレ」と思いました。「オシャレ」ときたら、レストランなどに行くイメージがあったけれど、本当は乗馬用の服と聞いておどろきました。そして、もう一つの左から2つ目の服(水着)は、すごく昭和っぽい感じがしました。

・いろんな所に着目できて良かった。自分の考えを言うことができたし、人の意見を受けてから、より深く考えることができたので良かったです。

・みんなの意見がそれぞれちがっていたので、驚きや共感があってとても面白かった。みんな思うことはそれぞれちがうんだなと思った。

・今日はいろんな意見をきけて、とても楽しかったです。こんなに深く考えるのはたくさんあるわけではないので、また来たいです!!

 次回、2月20日(土)が、今年度最後の「みるみるとじっくり見てみる?」です(14時開始)。ぜひ、石見美術館に足をお運びください。みるみるメンバーと、リッチな時間を楽しみましょう。

愛媛県美術館で開催されたセミナーのレポートをお届けします!!

2016-02-08 19:54:08 | 対話型鑑賞


こんにちは、みるみるの金谷です。
2016年1月23日に、愛媛県美術館で開催されました公開セミナーの様子を、レポートします。

文化庁 平成27年度 地域の核となる美術館・博物館事業 公開セミナー「ともにみる、ともに学ぶ ~アクティブ・ラーニングのススメ~」

朝の会:愛媛県美の鈴木さんから、今日のめあての確認。「ともにみる、ともに学ぶ」“聴く”を大切に!(このセミナーは、チャイムではじまりチャイムで終わる、学校の時間割スタイルで進みます)

1時間目:基調講演『みる・考える・話す・聴く』担任:福のり子(京都造形芸術大学教授)
「みる」:意識をもってみる→単に「みえているもの」を意識的に「みている」ものにする。私たちはみたいものを、みたいようにしかみない。誤解と妄想だらけ(ポジティブに言うと創造的解釈)。だからこそ、意識をもってみる。
「考える」:まずは、直感でいい。根拠を作品の中にもとめていく。
「話す」:コミュニケーションにも、芸術にも一つの正解はない。コミュニケーションの主役は、私。失敗するからこそ、訂正の道が開かれる。美的価価値は一つじゃない。「今の子どもたちは、極端に失敗を恐れている。解釈は一つじゃない、人の数だけある。いつでも訂正の道が開かれている。」
「聴く」:意識をもって聴く→きこえてないこと、ききとれてないことがあると意識して聴く。みるという体験が、経験となるためには、言葉が必要→他者の意見を取り入れて、自分の意見が深まる。
 福先生のお話をきくと、もっと前を向いてやっていこう!という気持ちになります。「失敗するからこそ、訂正の道が開かれる」の言葉に、勇気をもらいました。
そして、忘れてはいけない言葉、
“Education is not pouring, but lightning the fire.”
子どもたちに、火をつけていける教師でありたいと思います。

給食:給食と言っても、各自でランチタイムです。

2時間目:小学校での試み『やってみませんか?“対話型鑑賞”』担任:吉文子(伊予市立郡中小学校教諭)
 小学校1年生での実践を中心に発表された。10回の対話型鑑賞(1回につき2作品を鑑賞)を通して、子どもたちの鑑賞の能力が向上したことや、意欲的に楽しく絵をみることができたことを成果としてあげられた。ナビゲーター(教員)も、鑑賞の回数が増えるにしたがい、問いかけの言葉を増やすなど、ステップを踏みながら鑑賞者を育てていた。
吉先生の発表から、一足飛びに、満点を目指すのではなく、子どもたちと作品をみることを楽しみながら、学びを積み重ねていくことの大切さを感じました。
 また、時数をどう確保するかという課題から、朝の会での実施も提案されました。私も、自学級で朝学習の時間を使い実践しようと思います。

3時間目:中学校での試み『みる・考える・話す・聴く~中学校の現場から~』担任:春日美由紀(出雲市立大社中学校主幹教諭)
昨年度の光中学校での実践を発表された。発表の最後に、昨年度鑑賞の授業を受けた現役高校生からのビデオメッセージが印象的でした。ビデオの中で彼女は、対話型鑑賞をしたことで、話している人のことを考えるようになった。「なんでそう思うの?」と感じながらも、相手の気持ちを想像できるようになった。また、他人の意見をもっと聞きたい思ったり、自分も簡潔に分かりやすく伝えたいと思うようになった。そして、このような変化は、対話型鑑賞をして、頭と心を働かせて考えられたから、と結んでいます。
まさに、対話型鑑賞はアクティブ・ラーニングであり、“lightning the fire”だと思いました。

4時間目:教育心理学の立場から『学び発達するとは-他者視点を取り入れるということ』担任:鈴木忠(白百合女子大学教授)
 はじめに紹介された、描画刺激のない環境で育った大人の絵が、衝撃的でした。20代の方が描いた人は、頭足人でした。そこから、鈴木先生のお話に、惹きつけられていきました。そして、これはまさに対話型鑑賞をするなかで起こっていることだ!とうなずきながら、お話をききました。
・絵への関心が低いと、正しい表現が身につかない。主体的なかかわりの重要性。
・他者の意図を通して学ぶ。人が媒介することも必要→リフレクションが大切。自分の中に他者を取り入れる(一人で考えるときも○○さんなら、と考えてみる)。他者視点と、自己視点をつきあわせる。
・「ゆらぎ(個人内多様性)」を保障する。学びや発達が進むためには、異なる表象の中での「ゆれながら」が大切。的確な言葉にするためには、時間がかかる。
・教育的な達成とは、ファミリアなものをストレンジに思えるようにすること。
 対話型鑑賞をした後、知っているつもりだった作品が、まったく別のいきいきしたものに思えたりすることがあります。これがきっと、「ファミリアがストレンジに」ということなのかもしれません。

終わりの会:ふり返り&質疑・応答をして、本日の全日程が終了。もちろん、最後も、チャイムがなって下校の時間となりました。

登壇された先生方、関係者のみなさん、ありがとうございました。