ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

日本実践美術教育学会(@コープ・イン・京都)に参加してきました!(2020年1月12・13日開催)

2020-02-16 10:16:01 | 対話型鑑賞
日本実践美術教育学会

日時:2020年1月12日(日)・13日(祝・月)
会場:コープ・イン・京都  文責:房野      

 京都で開催された「日本実践美術教育学会」に参加してきました。世に学会は様々ありますが、この学会は「実践」にフォーカスして「幼児、小・中・高校生」と各学齢期の美術教育の実践発表が見聞できるというのが大きな魅力です。今回も「台湾」の実践発表があり、異文化でありながらも、根底に流れる指導者共通の教育観に触れることができました。



 発表を聞くだけではなく、その日の前半、後半には<ディスカッション>が設けてありました。この企画は今回の学会で試験的に取り入れられました。好評だったので次回も継続されることになりそうです。発表に関連したテーマを選んでその場でグループを作り、北海道から沖縄まで各地から集まった参加者が意見交換をしました。これがとても刺激的!所変われば、教育環境も指導の傾向も様々です。あるグループには小学校・中学校・大学の教員、放課後児童クラブの職員、元おもちゃメーカーの職員だった方、リトミックの指導者が集まりました。これだけバラエティ豊かな実践者が集まって語れば、多種多様な視点からの話になります。4回のディスカッションではそのたびに違うメンバーが集い、フランクに、真剣に、感動しながら話し合うことができました。そして、このディスカッションによって、参加者が発表を「自分事」として捉えることができていたように思います。これからの教育現場に求められる「学び」の姿がありました。


↑ご当地のお土産がずらり・・・

 令和2年度の「日本実践美術教育学会」は島根県出雲市で開催されます!
「みるみるの会」代表・春日さんからの、次回開催地アピールがありました。令和3年1月10日、11日には、「神々の国・出雲」へ、どうぞお越しください。


<みるみるの会からのお知らせ>

今年度もグラントワ内島根県立石見美術館にて
コレクション展 関連トークイベント「みるみると見てみる?」を開催いたします!
2020年2月15日(土)、29日(土)、3月7日(土)
いずれも14:00~展示室B 
コレクション展「陰と影」(2月6日~3月16日)の関連事業として、みるみるの会のナビゲートで「みるみると見てみる?」という意見を交換しながら作品鑑賞を楽しむ催しを行います。皆さまお誘いあわせて、どうぞご参加ください。
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「みかんはなきの会」の山口県立美術館 雪舟展 での実践を紹介します(2019,11,30開催)

2020-01-13 11:34:43 | 対話型鑑賞
 みるみるの会研修会(前回の記事2019年12月28日参照)にも参加いただきました「みかんはなきの会」(山口の鑑賞学習研究会)より、対話型鑑賞会のレポートが届きましたので紹介します。


みかんはなきの会 20191130 山口県立美術館
「騎獅文殊・黄初平・張果老図」(三幅対) 雪舟等楊 室町時代 
ナビゲータ 津室和彦

1 事前の心づもり


 三幅対のユニークな作品である。一幅ごとに,人物がひとりずつ・動物がひとつずつ描かれていて,互いに対比的にみることができる。というより,みてしまう。ポイントは,二幅や三幅を繰り返し往復しながらみていくことだと考えた。他にはモチーフはなく,一見少ない情報の中で,どう深められるかが課題だと思った。
 学芸員によるギャラリートークを聴き,題名でもある作中人物のエピソードもわかったので,話し合いの中でそのような情報を示せるタイミングが来たら,提供していこうと考えた。

2 記録と考察 ナ:ナビ発言 A~L:参加者の発言 (※青字は考察)

ナ:真中の軸には,何が見えますか。 
A:女性
ナ:女性だと思ったのは?
A:髪の長さと曲線的な服の描き方
B:ライオンか竜のどちらかに,女性が座っている。麒麟かもしれない。何の動物かわからない。
 ※1分間の個人鑑賞の後,「三幅のうち,気になるのはどれですか。」と参加者の意識を尊重してトークをスタートする方がよかった。
 ※最初は,三幅からどのような話題が出るか,鑑賞者に任せても良い。言いたいことがある人に,ざっと言ってもらう。その後話題として挙がったものを,一つずつ丁寧にみていくという流れ。

ナ:左右の軸でもいいです。
C:右側の軸,おじいさんが何かを見つけて自分の裾を持って手を伸ばしている。
ナ:もうちょっと詳しく。
C:右の袂を左手でつかみ,右手を伸ばしている。
D:右の人の鼻の下に薄い線があって,鼻息なのかなと。興奮している感じ。
E:わくわくしながら,何か取っている。取りそう。「何かなあ。」って感じ。
ナ:何かって,何?おじいさんらしき人が,鼻息荒く,一生懸命取ろうとしているものは何か?
F:左下のあれは,角が生えていて山羊みたい。山羊が倒れているのを見て,「あ,いいもんみっけ!」口角が上がって微笑んでいるみたい。
ナ:みなさん,どれが山羊か大丈夫ですか?ちがうよっていう人いませんか?死んでるんですか?
F:あとの2つが動物だから,動物つながりなんじゃないかと思って,無理矢理つなげてみた。
ナ:今,動物つながりという発言があったが,左のはどうか?
 ※あとの2つという発言から,左側の一幅についても発言を促した。
 ※右の作品の「こまとめ」をして左へ移ると良かった。山羊→羊と修正し,正確な情報を示して移る。

G:こっちの絵もおじさんが描かれていて,同じように左手で右手の袖をつかんでいて,右手が出ている。
ナ:左右の軸には,共通点があるのではないか。
 ※「同じように」という発言が示すように,どちらも手に動きがあるという発言が出てきたので,そのことが動物とどう関係しているかを見て欲しいと思い,促した。
 ※共通点とだけ言ったが,例えば,「二人の手についてじっくり見てみましょうか。」と焦点化するほうがよかったと反省。
 ※さらにいうなら,焦点化よりも動作化がベター。

H:左は,馬ですよね。ただ,馬にしてはあまりにも小さい。
ナ:頷きがたくさん。馬というのは大丈夫ですか?みなさん。納得ですか?Hさんは首傾げているが,馬にしては小さいと言われ,それに頷き多数ですが。どこから,馬だと考えたのか。
 ※後の発言で,犬と思っている人もいると分かったが,ここも人と馬のスケールの違和感にもっと焦点化して,深く考えるよう揺さぶればよかった。馬の小ささに共感している人は多くいたのだから。また,大きさについて突っ込んだ議論となれば,その過程で犬だという発言も引き出せただろうと思われる。
H:尻尾,後ろ脚と前脚の感じ,たてがみ,馬なんだろうけどそれにしては小さくかかれていて不思議。
ナ:真中は,ちょっと大きくて強そうな動物に乗っている女性,左右は,どちらも中高年の男性がどっちも手を伸ばしていて,なぜか動物がいる。三幅で一つの作品なので,共通点差異点も含めて全体を考えてみましょう。
F:左は,馬が小さいのではなくて,もしかしたらおじさんが大きいのかもしれない。とすると人間ではあり得ないので,もしかしたら仙人か何か霊的な偉大なものなのかな。
ナ:馬は普通サイズ,相対的なもの。おじさんは,特別な存在ではないかという意見。右のおじさんはどうでしょう。また,真中の女性は,何者で何をしているのか。
B:左は犬に見えて,おじさんが右手に何か丸っこいものを持っている。自分の想像ではそれは餌で,おびき寄せて捕まえようとしているのではないか。右側の絵も,何かを捕まえようとしていて,両側は動物を捕まえようとしているおじさん。真中の女の人は,動物の味方で,「なんてことするんだ。」という思いで見ている仏様のような。
ナ:動物愛護団体?なぜ,女性は,動物を捕ろうとしていると左右のおじさんたちをにらんでると言われましたっけ?
B:女性の表情を見ると悲しげで「やめて」と言いたいのか。
ナ:表情から,動物を捕ろうという行為には賛成できないと。
ナ:真中の女性のことが出ているが,真ん中の女性の立場というか,左右の人物との関連があるのかないのか。
I:真中にあるということは,格が一番高い。獅子みたいな動物もちゃんと言うことを聞かせられる。左右は言うことを聞かせられていないから,やっぱり真中が一番偉い。力がある。
ナ:獰猛な獣もちゃんと服従させている。コントロールしている。左右のおじさんたちは,そこまでではない。
J:真中の人はやっぱり格が高そうに見える。後ろに丸があって,あれは何なんだろう。
ナ:先ほどは太陽か月じゃないかと。
J:格が高いから,やはり光が見えているのかと。
ナ:それはもしかして光背。光背があるということは?
J:神様か仏様。
ナ:左右には光背はない。センターは,やっぱり格も高いし力もあるんじゃないかという皆さんの意見かと思うが。
A:真中は神様,太陽の天照ぐらい上なのかな。左右は人間の男の浅ましさ。だとしたら,女性は1cmでもいいから上にかいてくれたら,格上な感じがもっとわかるのに。
ナ:基底線,足下のラインがそろっている。三つ通しての気づき。絵からは,真中が偉いように見えるが,なぜ上にかかなかったのかという疑問がある。
K:女の人のお腹の辺りに入れ墨みたいな模様ものが見え,頭のてっぺんが丸い変わった髪型をしていて,魔女のように見える。獅子が足下に魔法の杖みたいなものを守っているように見えるので,魔術を使う女の人なのかなと思う。
ナ:やっぱり特別な存在。光背,それから獅子を従えている,魔法の杖らしきものもある。そして入れ墨?そんなものから,やっぱり人間ではない特別な存在ではないかと。
F:左の方は,手に瓢箪みたいなものを下向きに持っている。もしかしたら,あの馬は,薬か何かで縮めたか中国の伝説にある(瓢箪に)吸い込んじゃうものじゃないかと。大きさも(真中と)同じぐらいに描かれているし,左右の男性は冠をつけて沓も履いているので庶民ではなさそう。真中は光背もあるから仏様だと思うのだが,左右もちょっと偉い人なんじゃないかなと。
ナ:瓢箪,見られましたか?左のおじさんが右手に持っている丸いもの・・・瓢箪から?・・・駒!そうなんです。張果老。右側も共通点で冠と沓と言っていただきましたが,こちらも仙人をえがいていると考えられます。仙人だけに,普通の人間にできないことがあるようなんですが・・・時間が来たので,言い残したことがある人はどうぞ。
 ※右隻,黄初平の仙術について,参加者も気になってきたところで時間となった。ナビとしては,羊の頭部・前脚がわずかに描かれていることと手を伸ばしただけという要素(情報)の少なさから,石⇔羊と変身させる仙術というところにはたどり着けないだろうと予想していた。しかし,やはり鑑賞者を信じて,敢えて投げかけるべきだったと反省している。
L:水木しげるの「悪魔くん」という漫画に八仙,8人の仙人というのがいる。多分その内の3人だろうなと思ったんだけど,あとの5人はどこにいるのかな。
ナ:真ん中は文殊菩薩。知恵の仏様。組み合わせはなぜだかわからないのだが,武士が客間に三幅対で飾るのが室町時代にはやり,その頃に雪舟がかいた作品だということ。皆さんの話の中に,やはり三幅対で並んでいると,関連付けて見ていくことが分かった。動物がみんな出てくるよとか,左右はおじさんだけど真ん中はちょっと立場が違う女性がえがかれていて,それはなぜかということがでた。共通しているのは,3人の人物はどれも普通の人間ではなく,人間を超越した能力をもっているかまたは神々しい雰囲気を感じ取られたのかと思う。

3 全体を通して

 振り返りの会での,一対一対応になってしまっているという指摘が胸に響いた。一つ一つの発言を丁寧にパラフレーズしようと心がけているが,全体的な流れや参加者の意識・雰囲気を感じ取り,もっと焦点化したり思考に広がりが出るように働きかけたりできればよかった。
 特に,左右に描かれている仙人の動きについて,発言が出てきたときに,それぞれ動作化をしてみることは重要なことだった。手を伸ばしているように見えるがそれぞれ意味ありげな動きであることや得意げな表情とも結びついたのではないかと思う。
  右:鼻息荒い→山羊?羊(情報)→動作化  
  左:瓢箪→馬?犬?馬(情報)→動作化  
  中央:格の高さ→架空の獣を従えている  最後に三幅つなげての解釈へ促す
 また,少ない要素で表現している水墨画の特徴については発言がなかった,引き出せなかったことも残念に思う。例えば仙人の冠の発言があったときや文殊の服装や入れ墨のくだりで,「冠と言われましたが,どれかわかりますか。」とか「冠の表現,特徴的ですね。」とか「一本の線で表していて,ぼくはすごいなと思いました。」などと水を向けることもできたと思う。※ストーリーか表現方法か,という点については,作品の特性によるので,鑑賞者の発言に注意しながらナビをする必要があるとの指摘をいただいた。12月7日(土)みるみるの会で実践された渡邉貴之ナビの横山操作「塔」の実践と比べてみるとわかりやすい。この三幅については,どうしてもストーリー中心の解釈になってくるので,水墨画の特徴(表現方法)よりも人物の動きや訳の方に鑑賞者の関心が寄っていることは明らかだった。となると,表現方法に誘導することはしなくて良かったかもしれない。

以上のように反省点は多いが,雪舟の真筆でトークができるという得がたい機会をいただいた,山口県立美術館に感謝したいと思う。
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みるみるの会 研修会 のレポートをお届けします(2019,12,7開催)

2019-12-28 10:59:31 | 対話型鑑賞
みるみるの会 研修会 
日 時:2019年12月7日(土) 14:00~17:00
場 所:浜田市世界子ども美術館 図書室
参加者:13名(一般3名 山口県の美術教育関係者5名 みるみる会員5名)
文 責:房野伸枝
 
 この日は展示室で一般の方を対象とした鑑賞会が行えなかったので、図書室をお借りして内輪の研修会という感じで行うことにしました。…ですが、いつにも増して熱い研修会となりましたので、レポートします! 
 みるみるの会員は5名でしたが、近隣中学校美術科教諭2名、山口からの参加者5名、地元在住の方1名で、図書室の一角は人口密度も内容もギュウッと濃いものになりました。今回、山口からの参加がたくさんあったのは、前週に山口県立美術館で行われた対話型鑑賞会での出会いがあったからです。今年、山口市内に「みかんはなきの会」という鑑賞学習研究会が発足されました。これは、みるみるの会員でもある山口市立中央小学校教諭の津室和彦さんと、山口県で美術教育を進めておられる「ラボ・コンタンポラン」主宰の高下正明さんが立ち上げた研究会です。会の名称の由来は「みる・考える・話す・聴く」の頭文字と、山口県の花でもある「なつみかん」にあるのだそうです!な~るほど!



 山口県美で行われていた「岸田劉生展」「雪舟展」で11月30日に「みかんはなきの会」主催の対話型鑑賞会が行われ、みるみるの会の春日、上坂、房野も参加しました。そこに集まった山口県内の小中学校の先生方に、ちょうど次の週に予定されていたみるみるの会の研修会を紹介したところ、参加してくださったのです。県をまたいで研修しあう意欲の高さが教育現場に還元できるとよいですね。

 今回の参加者はこれまでに対話型鑑賞のナビゲーターをしたことのある方、未経験の方などその経験値は様々でしたので、まずは、みるみるの会の春日会員がゴッホの《椅子》でナビをしました。これまで何度も授業や仲間内で対話型鑑賞を行ってきた作品ですが、鑑賞日やメンバーが違えばまた違った見え方をするのが本当に不思議で、対話型鑑賞の奥深さとこの作品の魅力を再認識しました。
 初めて参加された一般の方は、美術に関して高い見識をお持ちで、後半にゴッホについての詳しい情報を提供されました。ナビとしてはちょっと冷や汗ものの場面ですが、そこは春日さん、鑑賞を深める方向へさらりとナビゲートしていました。鑑賞後の振り返りの会でも、情報の扱いをどうするべきかが話題になりました。「情報にとらわれないようにしたいが、情報(作者やタイトルなど)を知らないことにしながら話を進めるのも不自然かなと思う。」という意見に「情報の有り無しは、良い面もあり、よくない面もある。」「情報がない時に話したことが無駄とは言えない。」「一般に知られている情報も、美術家や評論家の一見解に過ぎない。」「鑑賞者から作者や作品の詳しい情報が提供された時に、もしそうだとしたら、どう解釈をするのか、さらに深めることができる。」などの意見が出ました。いずれの意見も情報の取り扱いについてはナビを行ううえで常々心に留めておきたいことです。

 次に山口市の小学校教諭、渡邉貴之先生が 横山 操による日本画《塔》でナビをしました。私は初めて目にする作品でしたが、画像をご覧いただくとわかるように一見抽象画にも見える黒いモチーフが様々な想像をかき立てる作品でした。

対話を重ねるうちに「塔」というモチーフに解釈が徐々に近づいていくのがエキサイティングでした。ナビは参加者の発言の根拠を大事にしようと心掛けておられて、パラフレーズも初めてとは思えないほどスムーズでした。その後の振り返りでも様々な意見交換がなされました。

〇「沈黙」は怖いものと怖くないものとがあって、怖いのは、ナビがうまく返せない時。また、何の話をしているのかわからなくなった時。つい、ナビが鑑賞者より作品に見入ってしまっていることがある。
〇もっと、鑑賞者を信頼して、鑑賞者をよく見ること。「首をかしげていましたね、どう思われましたか?」「うん、うん、とうなずいていましたね。何かお話できることがありますか?」など、鑑賞者をよく見ていれば、そこから問いが投げかけられる。
〇ナビが情報を出して終わりではない。鑑賞者から情報が出た時もそこから解釈を深めるチャンス。
〇作者とタイトルを知っているからといって、その作品をみている(鑑賞している)とはいえない。
〇鑑賞者とナビが1対1で対話するのではなく、ナビは他の人へ振る。ナビは物分かりが悪いくらいの方がよい。「〇〇という意見ですが、皆さん、どう思われますか?」というふうに。

 この日はYCAM(ワイカム・山口情報芸術センター)のエデュケーターである原さんも京都造形芸術大学福のり子先生の生徒であったというご縁もあり参加されました。みるみるの会員でもある島根県立石見美術館廣田主任学芸員も加わり、学校と美術館との連携について話が盛り上がったり、山口県での鑑賞教育に関する情報も交換できたりと、新たな刺激がうれしい時間ともなりました。

 みるみるの会の会員も公私ともに環境や立場に変化が生じてきて、今年はなかなか鑑賞会が開けなかったり、参加者が減少したり…と、発足8年目にして会の在り方を見直す時期に来ているのではないかと案じていたところです。しかし、主体的に学ぶ姿勢を継続していれば、新たな出会いに恵まれ、そこで生じる化学反応に新たな刺激を受けることができるのだと、今回の参加者を見て感じました。
 今回、参加いただいた方々には本当に感謝しています。また、研修会場の寺尾堂館長様には、この度も急きょ図書室を拝借したいとお願いしたにもかかわらず、自ら使いやすいように部屋を整えていただきました。いつもご支援ありがとうございます。今後もどうぞよろしくお願いします。



今年度もグラントワ内島根県立石見美術館にて
コレクション展 関連トークイベント「みるみると見てみる?」を開催いたします!
2020年2月15日(土)、29日(土)、3月7日(土)
いずれも14:00~展示室B 
コレクション展「陰と影」(2月6日~3月16日)の関連事業として、みるみるの会のナビゲートで「みるみると見てみる?」という意見を交換しながら作品鑑賞を楽しむ催しを行います。皆さまお誘いあわせて、どうぞご参加ください。


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中学校での対話型鑑賞の実践レポートをお届けします

2019-12-07 21:59:52 | 対話型鑑賞
3年生対話型鑑賞会 第2回目 生徒の感想より
鑑賞作品 ゴッホ:椅子



A
 僕は今回の鑑賞で、今回のような鑑賞もおもしろいと思いました。①絵を見て絵から得られる情報だけで絵の中のストーリーを考えるところがおもしろいと思いました。②自分では気づけないところも他の人の意見を聞くことで気づくことができたのでよかったです。また違う絵で同じように鑑賞をしてみたいです。

B
 ③自分が見つけられなかったところを、友達が見つけて発表すると、「あっ、こんなものもあったんだ。」と感じるし、④同じところを見ていても、とらえ方によって違うものに見えたりするので、それを発表することで、自分の考えや、この絵の場面がどんなところなのか、⑤何パターンかできるので、おもしろいなと思いました。

C
 最初は何もわからなかったけど、⑥いろんな意見が出て、一つの情報から、⑦みんなで見て考えると、⑧たくさんの情報を得ることができることがわかりました。

D
 一つの絵から、⑨いろいろな手がかりを探していくと、ストーリーを思い浮かべることができて、とても驚きました。絵をじっくり見ず「へ~~。」で終わっていたけど、⑩いろんな人の考えを聞いて、気づかないところまでみえてきました。全く知らない絵からストーリーを思い浮かべることをして、とても楽しいと思いました。⑪人それぞれの見方や考え方は違うけど、それを聞くことによって、新しい発見や自分の意見と比べて納得できたので、また、授業でしてほしいと思いました。

E
 始めは絵を見るだけでぜんぜんおもしろくなかったけど、⑫深くまで考えてみると、案外楽しくておもしろかったので、またやりたいです。⑬人によって考えが多少違ったりして「あー確かに。」とか、納得することが何度かあったし、みんなの意味を聞くのはおもしろかったです。⑭1枚の絵でだいたいそこの場面が分かるなんて「すごいな。」と思いました。

F
 鑑賞は考えを豊かにしてくれるし、⑮人の意見を聞いて、発想を広げられたのでよかった。⑯一人で鑑賞するのではなく、複数人で鑑賞した方が、絵についての考えが広がることが分かりました。それと、⑰人は偏見で物事を決めつけてしまう生き物だと思いました。レンガだから西洋、パイプのタバコだから年配の男性とは決まっていないのに多くの人がそう感じていたので、そう思いました。このように考えがとらわれてしまうのはいいのかよく分かりません。僕はもっと頭を柔軟にしてたくさんの面からその作品を見られるようにしたいと思いました。あと、この作品はレンガの並びが不規則だったりして、きれいだとは思わないけど、とても分かりやすい作品でした。⑱きれいに描くだけが芸術ではないんだなと思いました。

G
 ⑲一つの椅子を主役としたこの絵から、どんな人が使っている椅子なのかや、どこの国のものなのかなど、細かいところまで推測できるのだなと思った。⑳人の意見を聞くことで、自分にはない見方や発想をすることができた。どんな物なのかを、色や形で考えるだけでなく、塗り方で考えている人もいて驚いた。血が付いたティッシュがあることから外で作業をしていると考えた人もいて、その発想は自分にはない発想だなと思った。(※椅子の上の白い物体を血の付いたティッシュと考えた生徒の発言を受けている。)



 転任して3年生の美術の授業を担当することになり、1学期の初顔合わせのときにゴッホの「ひまわり」(損保ジャパン日本興亜東郷青児記念美術館蔵)を使って「あなたはどのひまわり?」という対話型鑑賞の導入のような鑑賞活動を行った。それ以降、2回目の対話型鑑賞で、いわゆる1コマの授業で作品をじっくり鑑賞するのは初めてである。
 その中で、上記の感想からも分かるように、私のめざす「みる・考える・話す・聞く」活動を通して、この鑑賞から体感してほしいと思うことを生徒が1回目にしてすでに掴んでいるということには、喜びと生徒の潜在能力の高さが、驚きとともに手応えとしてあった。

 生徒の記述の中で、「みる・考える・話す・聴く」に関わるもの等、この活動において重要と思われる部分に下線を引き、番号①~⑳を付した。それらを以下に分類した。

何の情報もない中で、純粋に1枚の作品を「みる」ことによって起こることからの気づき
 ①⑨⑫⑳
みることから起きる「考える」ことの楽しさ
 ⑫⑮⑳
みえたことを仲間と「話す」ことによって起こる各人の思考の変化の気づき
 ②③⑦⑩
他者の考えを「聴く」ことによって起きる自分の考えの変化等への気づき
 ④⑦⑩⑮⑳
「みる・考える・話す・聴く」活動を通して起きることへの気づき
 ⑪⑭⑯⑲
「みる・考える・話す・聴く」活動を通して起きる、物事への多様な解釈への気づき
 ⑤⑥⑬⑰⑱

 特筆すべきは、Dの⑪である。このコメントは「みる・考える・話す・聴く」ことの重要性に気づくものであり、まさに、「主体的・対話的で深い学び」につながっていると考えられる。
 また、Fの⑰は既成概念にとらわれることへの危惧やそこから解放されての思考の柔軟性を希求する真摯な姿がうかがえる。そして、「きれいに描くだけが芸術ではない」とArt作品の多様性にまで言及している。これらがわずか1回の「対話型鑑賞」で起こっていることにこの鑑賞法の底力を感じ、新学習指導要領のめざす「主体的・対話的で深い学び」となっていることがうかがえる。
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R元年 島根県造形教育研究会夏季研修会~レポート~をお届けします(2019,8,5開催)

2019-10-13 21:11:05 | 対話型鑑賞
R元年 島根県造形教育研究会夏季研修会 ~レポート~     
日にち 8月5日(月)
時間 10:30~15:30
場所 石見美術館多目的ギャラリー
講師 福 のり子(京都造形芸術大学教授 同アート・コミュニケーション研究センター所長)
   三重野 優希(京都造形芸術大学アート・コミュニケーション研究センター講師)
   廣田 理紗(島根県立石見美術館主任学芸員)

 今回の研修会は福先生の講義はもちろんのこと、対話型鑑賞会が設けてあることが、私にとって大きな楽しみだった。なぜなら、授業で対話型鑑賞を行っているが「上手くいかない」と感じることが増えてきたからだ。なぜ、上手くいかないのだろう。それが今の私の悩みだったので、この度の研修会で何かヒントがつかめるのではないかと期待して参加した。研修会は以下の流れで行われた。

 1,講義「生きのびるために」(福 のり子)
 2.対話型鑑賞会(ナビゲーター:三重野優希)鑑賞作品:「カラカラ帝」
 3.アートカード研修(廣田 理沙)

 その中で、2.対話型鑑賞会についてレポートする。
 「カラカラ帝」は私が最初に対話型鑑賞を体験したときの作品だ。その時のナビゲーターは福先生だった。鑑賞者の発言が絡み合って、他者の発言からインスピレーションを受けて、さらに深い思考につながっていく。カラカラ帝のことは知らなくても、その内面や心情をありありと想像してしまう。カラカラ帝の頭が、ぐっと立体的に見える…。「これはすごい!この方法で生徒と鑑賞したい!」と思った。それから何度も対話型鑑賞を行っている。しかし、「上手くいかない」と感じることが多くなった。
 今回の鑑賞会は、全体的に発言が続かなかったり、一人の発言が長かったりと、時間ばかりが過ぎる印象だった。こういうことは、自分自身がナビゲーターになった時もよく起こる。勇気を出して発言してくれた生徒の言葉がつながっていかない。そういう時の鑑賞は、読み取りの浅い、印象に残らない鑑賞になる。「なぜそうなるのか」が私の今の悩んでいるところだ。最初は「何が見えますか?」という投げかけから、鑑賞者の発言が多かった目に注目した。次は顔の右半分と左半分とに注目して、次に傷に話題が移って…鑑賞者は、決して見ていなかったわけではないし、消極的だったわけではない。ただ、それなりに経験を積んだ大人なので、それぞれに独特の言い回しがあり、発言の真意がつかみにくいなと思った。また、年齢層も幅広く、年配の方が発言されると、全体的に「そうだよな。」とわかったような気持ちになったような気がした。この研修会での対話型鑑賞の時間は40分間だったので、三重野先生は、30分経ったところでまとめに入ろうとされた。私もそうするだろうと思う。しかし、福先生は、「まだ、全部見ていない!」「口はどんな口?」「耳のことも話題になってない、髪も、髭も!」と厳しく言われた。そして、「目のあたりが、とかではなくて、どこがどうだから、こう見えるという、根拠をはっきり言って」ということを何度か言われた。そのナビをみながら、「そうか、自分も鑑賞者の発言を分かったつもりになって、きちんと求めていないな」ということが分かった。また、「作品の細部まで、全部見て、話題にしたかという確認を怠っていたかもしれない」と思った。福先生は、「そういうことをきちんと話題にしていくことで、一つ一つが鑑賞者の頭にインプットされていく。」と話された。それが、「作品を深く考える」ことにつながっていくのだ。中学校では、なかなか発言が出ないことが多い。やっと出た発言を「勇気を出して発言してくれた生徒」に対する遠慮から、ソフトにふんわり扱ってはいなかっただろうかと反省した。また、「この人が自分の上司だったら?」という投げかけがあり、「ついていくか?ついていかないか?」という二者択一を迫られたときに、鑑賞者は作品を鑑賞するということが初めて自分ごととして考えられ、多くの挙手につながった。このように、ナビゲーションには、作品鑑賞を自分ごとにできる問いかけが必要であることを痛感した。
 「眉間のしわが意志が強そうに見える。目標に向かって無理難題を言われそうなので、ついていきたくない。」など、それぞれが、見えることを根拠にしてその人物像を解釈していた。私は「ついていきたい」方で発言した。「いろいろな負の感情があっても、それを強い意志で隠して、みんなをひっぱるなんて、力のある人だと思う。」と。福先生は「でも、負の感情は見えるんでしょ?隠せてないやん。」と言われた。「う…、たしかに…。」(というか、そこまで突っ込まれる!?)と思ったが、このような問いかけこそが、鑑賞者の意識していない矛盾する思考を気づかせるきっかけとなり、作品とさらに深く対話することを促す。だから、私は、なぜ自分は、「隠して」と思ったのだろうと自問した。鑑賞者の気がつかないうちに「主体的に作品をみる」ことができる仕掛けとしての発問をすることができるようになることが大切だということ、そして、問い返されることで、さらに考えることができることにも気がついた。問い返した時に、すぐに反応はないかもしれないが、頭の中では必死に考えている。
 後半は、福先生がナビをされ、ぐいぐいひっぱっていかれる感じだった。福先生のようなナビは自分にはできないと思う。しかしそれは、「私にはナビゲーションはできない」ということではない。福先生のナビから学んだことは、作品の細部まで見て、話題にしたかという確認を行うこと、鑑賞者の発言を分かったつもりにならないで、問い返しを行うこと、鑑賞者が作品を主体的にみるための仕掛けとしての発問を考えること、である。以上のことを心がけて、二学期の対話型鑑賞を実践していきたい。
(文責:中嶋 寛子)
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