人に与えることの出来る施しが3つあるといわれます。
仏教で言われている事だけど、私は宗教宗派を問わず、人の為に施す気持ち、
それが尊いと思う。
何気ない家族のなかで、友人のなかで、ネットのなかで、
感じられるものがある。
ブログでも優しい言葉に満ちた、読むだけで穏やかな気持ちになれるものもありますね。
それだけで施しをいただいています。ありがとう。
・【財施】
そのまま、財を施すこと。個人的には募金なんかも当てはまるのではないかと思う。
・【法施】
説くべき教えを説くこと。いわゆる法話。
人を導いてゆくものなので、重要かと。
仏教では仏陀の言葉だし、キリストさんの言葉なんかもそうなのではないかと思う。
特に宗教にこだわらなくとも、後世に普遍的に残る名言てありますね。
個人的にはそんなのも含めちゃいます。
・【無畏施】
恐怖や畏れなどを取り除くこと。
カルトに傷ついた人々を救う行為、虐待に取り組むボランティアの皆さん、
怖い夢を見た子供の頭をなでる、ハグする、安心を与える、それだけで施し。
心の支えになること。それも無畏施かな。
では、お金が無ければ、伝えるべき法を知らねば、恐れを取り除く力が無ければ、
人へ施しはできないか、そんなことは無く、
「無財の七施」というのがある。
1【眼施(がんせ)】
暖かいまなざしで接するということ。
目は口ほどにものをいうというけれど、ごまかしがきかないので意外と難しいもの、らしい。
暖かい気持ちで接する、慈しみをもって接する、というのが当てはまると思う。
見守る、なんてのもそうかな。
慈眼施(じげんせ)ともいう。
2【和顔施(わげんせ・わがんせ)】
和やかな、穏やかな表情で接すること。朗らかな表情。笑顔をいただく。
自分の機嫌がいいときは出来るけれど、腹が立っている時ほど自分をコントロールし、心がけるべきもの。
マリリン・モンローやリタ・ヘイワーズの微笑みも個人的に魅力的なのだけれど、
「ああ、こういう方の表情が菩薩像とかになったんだなぁ」
と思ったくらいホントにリアル菩薩のまなざしを感じた方が私には今までいる。
顔の造作じゃなくて、心からの慈しみの表情なんですね。
和顔悦色施(わがんえつじきせ)ともいう。
3【愛語施(あいごせ)】
思いやりのある言葉、優しい言葉で接すること。
やってるようでやってない。
特にネットでは文字として現れるから、受け取り方によってはニュアンスがこれまた難しい。
結構学会問題なんか取り組んでいると、殺伐としがちです(自分含む)
言辞施(ごんじせ)ともいう。
4【身施(しんせ)】
自分の体で奉仕すること。自ら進んで他の為に尽くす姿勢が大事だそうです。
ボランティア活動、道端のごみを捨てる、ちょっと体を動かせば出来ることってありますね。
5【心施(しんせ)】
心くばり。相手の立場に立ってものごとを考えること、
相手の喜びを共に喜べること、悲しみや苦しみを自らのものとして感じ取れること。
相手の立場に立っているようで、実は自分の主観でしかないということがしばしばある、ということにも気づいておかねばならないようで。
結局のところ、この「心」無いことには施しも無いのではと思ったりもする。
6【牀座施(しょうざせ)】
席を譲ること。相手に地位や立場を譲ることなども含まれるそうです。
ちなみに私は妊婦さんや子供連れには「どうぞ」と声をかけますが、
年配の方には、黙ってその席を立っていなくなります。
元気で立っているほうを選びたい方がたまにいらっしゃるので、
席だけあけて、座るかどうかは本人にお任せします。
7【房舎施(ぼうしゃせ)】
雨風をしのげる場を提供すること。
相手を傘にさしかける、家の軒をちょいと貸す、なんてのも含まれるそうです。
*呼び名は宗派などによっても違うみたいです。
言ってしまえばなんでも当てはまりそうですが、
こうやってあらためて分類してみると、やっているようでやっていない。
簡単に思える事ほどやっていないんじゃないかしら。
逆に皆さんからいただいていることって、たくさんありますね。
もちろん功徳を求めてやったらそれは施しではないわけで。
微妙に、でも大きく違うみたいです。
(ちなみに私はお坊さんではないので、興味のある方はご自身でも検索されてみてくださいね)
仏教で言われている事だけど、私は宗教宗派を問わず、人の為に施す気持ち、
それが尊いと思う。
何気ない家族のなかで、友人のなかで、ネットのなかで、
感じられるものがある。
ブログでも優しい言葉に満ちた、読むだけで穏やかな気持ちになれるものもありますね。
それだけで施しをいただいています。ありがとう。
・【財施】
そのまま、財を施すこと。個人的には募金なんかも当てはまるのではないかと思う。
・【法施】
説くべき教えを説くこと。いわゆる法話。
人を導いてゆくものなので、重要かと。
仏教では仏陀の言葉だし、キリストさんの言葉なんかもそうなのではないかと思う。
特に宗教にこだわらなくとも、後世に普遍的に残る名言てありますね。
個人的にはそんなのも含めちゃいます。
・【無畏施】
恐怖や畏れなどを取り除くこと。
カルトに傷ついた人々を救う行為、虐待に取り組むボランティアの皆さん、
怖い夢を見た子供の頭をなでる、ハグする、安心を与える、それだけで施し。
心の支えになること。それも無畏施かな。
では、お金が無ければ、伝えるべき法を知らねば、恐れを取り除く力が無ければ、
人へ施しはできないか、そんなことは無く、
「無財の七施」というのがある。
1【眼施(がんせ)】
暖かいまなざしで接するということ。
目は口ほどにものをいうというけれど、ごまかしがきかないので意外と難しいもの、らしい。
暖かい気持ちで接する、慈しみをもって接する、というのが当てはまると思う。
見守る、なんてのもそうかな。
慈眼施(じげんせ)ともいう。
2【和顔施(わげんせ・わがんせ)】
和やかな、穏やかな表情で接すること。朗らかな表情。笑顔をいただく。
自分の機嫌がいいときは出来るけれど、腹が立っている時ほど自分をコントロールし、心がけるべきもの。
マリリン・モンローやリタ・ヘイワーズの微笑みも個人的に魅力的なのだけれど、
「ああ、こういう方の表情が菩薩像とかになったんだなぁ」
と思ったくらいホントにリアル菩薩のまなざしを感じた方が私には今までいる。
顔の造作じゃなくて、心からの慈しみの表情なんですね。
和顔悦色施(わがんえつじきせ)ともいう。
3【愛語施(あいごせ)】
思いやりのある言葉、優しい言葉で接すること。
やってるようでやってない。
特にネットでは文字として現れるから、受け取り方によってはニュアンスがこれまた難しい。
結構学会問題なんか取り組んでいると、殺伐としがちです(自分含む)
言辞施(ごんじせ)ともいう。
4【身施(しんせ)】
自分の体で奉仕すること。自ら進んで他の為に尽くす姿勢が大事だそうです。
ボランティア活動、道端のごみを捨てる、ちょっと体を動かせば出来ることってありますね。
5【心施(しんせ)】
心くばり。相手の立場に立ってものごとを考えること、
相手の喜びを共に喜べること、悲しみや苦しみを自らのものとして感じ取れること。
相手の立場に立っているようで、実は自分の主観でしかないということがしばしばある、ということにも気づいておかねばならないようで。
結局のところ、この「心」無いことには施しも無いのではと思ったりもする。
6【牀座施(しょうざせ)】
席を譲ること。相手に地位や立場を譲ることなども含まれるそうです。
ちなみに私は妊婦さんや子供連れには「どうぞ」と声をかけますが、
年配の方には、黙ってその席を立っていなくなります。
元気で立っているほうを選びたい方がたまにいらっしゃるので、
席だけあけて、座るかどうかは本人にお任せします。
7【房舎施(ぼうしゃせ)】
雨風をしのげる場を提供すること。
相手を傘にさしかける、家の軒をちょいと貸す、なんてのも含まれるそうです。
*呼び名は宗派などによっても違うみたいです。
言ってしまえばなんでも当てはまりそうですが、
こうやってあらためて分類してみると、やっているようでやっていない。
簡単に思える事ほどやっていないんじゃないかしら。
逆に皆さんからいただいていることって、たくさんありますね。
もちろん功徳を求めてやったらそれは施しではないわけで。
微妙に、でも大きく違うみたいです。
(ちなみに私はお坊さんではないので、興味のある方はご自身でも検索されてみてくださいね)