●テレビの影響
(これも有田さんの話を聞いて)
私たちの日常生活では、メディアの影響がすくなからずある。
ラジオの時代から、情報による大衆のファシズム化は可能になってきたようだ。
情報が少なければ、その情報にとびついてしまうこともある。
現代は、どんどん情報にあふれ、逆にわかりにくくなっている。
単純明快なわかりやすさを求めたり、刺激的なものが印象にのこりやすかったりもするのだろう。
私たちは、テレビで放送しているものは正しいと思ってしまう心理が働く。
テレビは、情報の中でもストレートな影響を持っている。
「攻撃性が、テレビなどのメディアで養われていないだろうか。」
どう考えても私はあると思っている。
いまや生まれて0歳から家のテレビがついている時代だ。
(0歳ではワイドショーを観ていることが多いという。一緒にいる親の影響でしょうね)
認識するとしないに関らず、言葉や映像はその頃から頭に入ってゆくだろう。
社会的なメディアの影響もそうだけど、宗教団体内でも、いまやテレビやビデオ(衛生中継?)は当然のように使用され、
信者はそれらの情報を疑うことなく「当然正しいもの」としてみているケースは多々ある。
これだけ情報化社会の中でも、限られた情報の中でしか生きていないということも起こりえるだろう。
意外と盲点なのだ。
また、どれだけ情報をいただけても、十分に伝わらないことが必ずある。
例えば、テレビの前、パソコンの前にいる状態で得ている情報は何か、ということ。
情報はあくまでも「目、耳」の情報でしかない。
その情報に対して五感をフル活用しているわけではないのだ。
しかも、距離は省かれ、時間の前後はいくらでも分断できる。
におい、痛み、肌に触れる感覚、温度や湿度、空気の流れ、味覚、人との距離感で感じるもの。
その時代、その場全体を包む雰囲気、その場にいる相手の気持ちと自分の気持ち。
それらはあくまでも現実として体感して知っているわけではなく、情報の中では頭でのみ処理され、想像しているものなのだ。
人それぞれの経験、認識のちがい、想像力の豊かさなどが大きく影響するものでもあり、個々のキャパシティによっては限界もある。
中には自分のキャパシティ以上の部分は「ないこと」にして済ます人もみかける。
そここそが大事な部分だと思うのだけど。
(これも有田さんの話を聞いて)
私たちの日常生活では、メディアの影響がすくなからずある。
ラジオの時代から、情報による大衆のファシズム化は可能になってきたようだ。
情報が少なければ、その情報にとびついてしまうこともある。
現代は、どんどん情報にあふれ、逆にわかりにくくなっている。
単純明快なわかりやすさを求めたり、刺激的なものが印象にのこりやすかったりもするのだろう。
私たちは、テレビで放送しているものは正しいと思ってしまう心理が働く。
テレビは、情報の中でもストレートな影響を持っている。
「攻撃性が、テレビなどのメディアで養われていないだろうか。」
どう考えても私はあると思っている。
いまや生まれて0歳から家のテレビがついている時代だ。
(0歳ではワイドショーを観ていることが多いという。一緒にいる親の影響でしょうね)
認識するとしないに関らず、言葉や映像はその頃から頭に入ってゆくだろう。
社会的なメディアの影響もそうだけど、宗教団体内でも、いまやテレビやビデオ(衛生中継?)は当然のように使用され、
信者はそれらの情報を疑うことなく「当然正しいもの」としてみているケースは多々ある。
これだけ情報化社会の中でも、限られた情報の中でしか生きていないということも起こりえるだろう。
意外と盲点なのだ。
また、どれだけ情報をいただけても、十分に伝わらないことが必ずある。
例えば、テレビの前、パソコンの前にいる状態で得ている情報は何か、ということ。
情報はあくまでも「目、耳」の情報でしかない。
その情報に対して五感をフル活用しているわけではないのだ。
しかも、距離は省かれ、時間の前後はいくらでも分断できる。
におい、痛み、肌に触れる感覚、温度や湿度、空気の流れ、味覚、人との距離感で感じるもの。
その時代、その場全体を包む雰囲気、その場にいる相手の気持ちと自分の気持ち。
それらはあくまでも現実として体感して知っているわけではなく、情報の中では頭でのみ処理され、想像しているものなのだ。
人それぞれの経験、認識のちがい、想像力の豊かさなどが大きく影響するものでもあり、個々のキャパシティによっては限界もある。
中には自分のキャパシティ以上の部分は「ないこと」にして済ます人もみかける。
そここそが大事な部分だと思うのだけど。