・「人と違う意見を持った人を尊重する」という「回路」が無かったゆえに、日本は戦争に突入し、そしてそれだけではなく、戦後も変わらなかったのです。(p.75)
・社会が「悪」のレッテルを張ったものが本当に「悪」なのかを、如実に知見するこころの力が必要ではないか、ということです。ブッダやナーガールジュナの姿勢はまさしくそうでした。(p.76)
・少し考えれば、少し実証的になれば、虚構だと分かるはずのものなのに、しかし、考えさせずに、感情に訴える。感情に訴えるが故に、一見それは、分かりやすく見え、多くの支持を得るのです。(p.116)
・直接的暴力とは、力であり武器、兵器です。しかし、間接的暴力、組織的暴力、社会的暴力とは、物事の複雑性を見ることを嫌がり、すべて単純に善・悪などに分けて、人なり物事なりを、「悪」や「敵」としてレッテルを貼り、「一件落着」させようとする態度をいうのでしょう。(p.117)
・つまり、智慧とは、単純化しないこと、常に排除(はいじょ)されがちな「他者」「少数者」を思考の視野に入れ続けることであると思うのです。(p.117)
・智慧とはあくまで多様へと開かれ、単純化という暴力に抗する力なのです。(p.120)
・今まで問題でなかったものが問題になった時に、他の“問題なきもの”に逃走するのではなく、問い続けることが精神の働きなのです。(p.128)
・必要なのは、ある集団で通用する“一人前”という常識を常に検証する態度です。(p.157)
・ブッダは、「何か」と言う言葉で表される実体的、固定的なもの“を”知ったのではなく、その固定的なもの“から”離れたのです。「何か」という固定的、実体的なものは「悟るべき対象」ではなく、そこから「離れるべき呪縛」「目覚めるべき夢」なのです。(p.165)
(参考)『ブッダは歩む ブッダは語る』、第三文明社より。
Leoさん抜粋
・社会が「悪」のレッテルを張ったものが本当に「悪」なのかを、如実に知見するこころの力が必要ではないか、ということです。ブッダやナーガールジュナの姿勢はまさしくそうでした。(p.76)
・少し考えれば、少し実証的になれば、虚構だと分かるはずのものなのに、しかし、考えさせずに、感情に訴える。感情に訴えるが故に、一見それは、分かりやすく見え、多くの支持を得るのです。(p.116)
・直接的暴力とは、力であり武器、兵器です。しかし、間接的暴力、組織的暴力、社会的暴力とは、物事の複雑性を見ることを嫌がり、すべて単純に善・悪などに分けて、人なり物事なりを、「悪」や「敵」としてレッテルを貼り、「一件落着」させようとする態度をいうのでしょう。(p.117)
・つまり、智慧とは、単純化しないこと、常に排除(はいじょ)されがちな「他者」「少数者」を思考の視野に入れ続けることであると思うのです。(p.117)
・智慧とはあくまで多様へと開かれ、単純化という暴力に抗する力なのです。(p.120)
・今まで問題でなかったものが問題になった時に、他の“問題なきもの”に逃走するのではなく、問い続けることが精神の働きなのです。(p.128)
・必要なのは、ある集団で通用する“一人前”という常識を常に検証する態度です。(p.157)
・ブッダは、「何か」と言う言葉で表される実体的、固定的なもの“を”知ったのではなく、その固定的なもの“から”離れたのです。「何か」という固定的、実体的なものは「悟るべき対象」ではなく、そこから「離れるべき呪縛」「目覚めるべき夢」なのです。(p.165)
(参考)『ブッダは歩む ブッダは語る』、第三文明社より。
Leoさん抜粋