紫の朱を奪う

日々の随想

Aventure

2014-03-04 21:35:49 | 日記
「人生なんて暇つぶし」、

そういう風に言う人がいる。

「肩の力を抜いて気楽にいこう」という意味で、

大胆不敵にポジティブな意味で使っているんだろうけれど、

私にはこのことばは、あまりしっくりこない。


大好きだった彼女は、自ら生をとじた。

彼女にとって人生は暇つぶしだっただろうか。

そうじゃなかったと思う。


なんで生きているのか、なんのために生きているのか、

そういう類の問いは、生まれてからおそらく、

生を全うするまで、繰り返し問い続けるだろう。

意味を見出すことに、何の意味があるのか。

それは各人が決めること。

たぶんきっと、意味をみいだすことに意味なんてない。

ただ各人の、生きる指針になるだけ。

それでも私はそれを考えることが好きだし、問い続けていたい。


自分が今どこでなにをしているのか。

それは自分の決断の積み重ねが運んできたところ。

ふと我に返るときがある。

過去の自分の決断は愛しいし、強い想いが自分を今の場所に運んできた。

だけど、その場所で違和感を感じるのなら、そこに居続ける必要はない。

過去の自分の決意にとらわれなくていい。

今の自分が感じることに、素直に、生きる。


今の自分を作っているものは、生きてきた中で培ってきた、記憶。

過去の記憶、昨日の記憶、一秒前の記憶。

聞き慣れた「記憶喪失」や「ボケ」がなす、切なさ。


自分が今この場所で、もし記憶を失ったらどうするのだろうかと、考えてみる。

私はどこで生きることを選ぶのだろうか。


人の生は短くて、だけどその中でいろんなことが起きるだろう。

私がいなくなったあとの世界は、どういう風に変わっていくのだろうか。


いろんな価値観のひとに出逢う。

いろいろな暮らしをしているひとたちに出逢う。

彼らがなにを考えながら生きているのか、知りたい。



喜ぶこと、楽しいこと、わくわくすること、それが一番大切で、

それは生きることと同義だと、体現してくれている大切な友人がいる。

彼女の存在は私の力になり、私もそうありたいと願う。

その教えがどこまでユニバーサルなのかも、考えてみたい。


「人生なんて遊びやで」

「life is party」

「La vie est une...」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする