「人生なんて暇つぶし」、
そういう風に言う人がいる。
「肩の力を抜いて気楽にいこう」という意味で、
大胆不敵にポジティブな意味で使っているんだろうけれど、
私にはこのことばは、あまりしっくりこない。
大好きだった彼女は、自ら生をとじた。
彼女にとって人生は暇つぶしだっただろうか。
そうじゃなかったと思う。
なんで生きているのか、なんのために生きているのか、
そういう類の問いは、生まれてからおそらく、
生を全うするまで、繰り返し問い続けるだろう。
意味を見出すことに、何の意味があるのか。
それは各人が決めること。
たぶんきっと、意味をみいだすことに意味なんてない。
ただ各人の、生きる指針になるだけ。
それでも私はそれを考えることが好きだし、問い続けていたい。
自分が今どこでなにをしているのか。
それは自分の決断の積み重ねが運んできたところ。
ふと我に返るときがある。
過去の自分の決断は愛しいし、強い想いが自分を今の場所に運んできた。
だけど、その場所で違和感を感じるのなら、そこに居続ける必要はない。
過去の自分の決意にとらわれなくていい。
今の自分が感じることに、素直に、生きる。
今の自分を作っているものは、生きてきた中で培ってきた、記憶。
過去の記憶、昨日の記憶、一秒前の記憶。
聞き慣れた「記憶喪失」や「ボケ」がなす、切なさ。
自分が今この場所で、もし記憶を失ったらどうするのだろうかと、考えてみる。
私はどこで生きることを選ぶのだろうか。
人の生は短くて、だけどその中でいろんなことが起きるだろう。
私がいなくなったあとの世界は、どういう風に変わっていくのだろうか。
いろんな価値観のひとに出逢う。
いろいろな暮らしをしているひとたちに出逢う。
彼らがなにを考えながら生きているのか、知りたい。
喜ぶこと、楽しいこと、わくわくすること、それが一番大切で、
それは生きることと同義だと、体現してくれている大切な友人がいる。
彼女の存在は私の力になり、私もそうありたいと願う。
その教えがどこまでユニバーサルなのかも、考えてみたい。
「人生なんて遊びやで」
「life is party」
「La vie est une...」
そういう風に言う人がいる。
「肩の力を抜いて気楽にいこう」という意味で、
大胆不敵にポジティブな意味で使っているんだろうけれど、
私にはこのことばは、あまりしっくりこない。
大好きだった彼女は、自ら生をとじた。
彼女にとって人生は暇つぶしだっただろうか。
そうじゃなかったと思う。
なんで生きているのか、なんのために生きているのか、
そういう類の問いは、生まれてからおそらく、
生を全うするまで、繰り返し問い続けるだろう。
意味を見出すことに、何の意味があるのか。
それは各人が決めること。
たぶんきっと、意味をみいだすことに意味なんてない。
ただ各人の、生きる指針になるだけ。
それでも私はそれを考えることが好きだし、問い続けていたい。
自分が今どこでなにをしているのか。
それは自分の決断の積み重ねが運んできたところ。
ふと我に返るときがある。
過去の自分の決断は愛しいし、強い想いが自分を今の場所に運んできた。
だけど、その場所で違和感を感じるのなら、そこに居続ける必要はない。
過去の自分の決意にとらわれなくていい。
今の自分が感じることに、素直に、生きる。
今の自分を作っているものは、生きてきた中で培ってきた、記憶。
過去の記憶、昨日の記憶、一秒前の記憶。
聞き慣れた「記憶喪失」や「ボケ」がなす、切なさ。
自分が今この場所で、もし記憶を失ったらどうするのだろうかと、考えてみる。
私はどこで生きることを選ぶのだろうか。
人の生は短くて、だけどその中でいろんなことが起きるだろう。
私がいなくなったあとの世界は、どういう風に変わっていくのだろうか。
いろんな価値観のひとに出逢う。
いろいろな暮らしをしているひとたちに出逢う。
彼らがなにを考えながら生きているのか、知りたい。
喜ぶこと、楽しいこと、わくわくすること、それが一番大切で、
それは生きることと同義だと、体現してくれている大切な友人がいる。
彼女の存在は私の力になり、私もそうありたいと願う。
その教えがどこまでユニバーサルなのかも、考えてみたい。
「人生なんて遊びやで」
「life is party」
「La vie est une...」