紫の朱を奪う

日々の随想

枝葉

2011-05-31 02:11:28 | 日記
【写真:弘前りんご公園】

生きる意味



思考することができる幸せ。


自分はなにものなのか。





浴びせられた信条のシャワーと無意識下に作用する規制



もっともっと自由なはず。



本当は

生きることの意味なんて

考える必要なんて ないのかもしれない。


毎日を皆で笑い

生きるために、生きる日々。


ポンッと落とされた世界で。




13のときに演じた伊邪那美。

あの頃から、根っこの部分は変わっていない。


ただ、もっと枝や葉は自由なことに気付く。


思いも寄らぬ方向に伸びていく可能性も秘めている。

そのことを忘れたくない。


自分の恐れで、期待される方向には伸びたくない。

伸びたいと感じている間は伸びるのを止めたくない。

思った花が咲かないんだったら、見限ってくれてかまわない。

私はただ、自分の思うとおりの色を咲かせる。

「おまえたちがついてこい」


恐れずに、貫け。
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2011-05-24 17:48:52 | 
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2011-05-23 18:18:22 | 
青森湾
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2011-05-23 12:34:06 | 
弘前 りんご公園
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地下水脈

2011-05-15 05:00:32 | 日記
地下水脈のような穏やかな流れ。


上空を意識しながら浮ついた足に

大地とそれを捉える感覚を蘇らせる。


もっとしたたかに。


意識が安定する。



思い込みがもたらす想像力の限界。

自らが作り出したフィルターを通して

真実を誤解していく。

作り上げられる虚像。


フィルターを解除する術は

「思い込み」に気づくこと。

中途半端な情報に躍らされるな。

ひっかかることは貪欲に追究せよ。


壊れたフィルター。

透明にみる世界は

未知の感受を拓く。
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パン

2011-05-14 09:48:07 | 日記
焼いたよ~ん

今日のはなんだか特においしかった

もちもち


ジャムもあるよ。

昨日いただきました。

三条のmiel mieてはちみつ屋さんのジャムみたい。

1955年からやってるお店みたいだよ~。



マーマレードいただいたけど、甘すぎずちょうどよくておいしかったです


3時間半睡眠で眠たいけど、今日は二度寝しないでやることやりまっす

だ~


久々に日記らしい日記でした

最近暗かったので
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2011-05-13 01:45:12 | 
【京都 2011年4月29日18:09】


いろんなひとの思惑が交差する

透けてみえる

ちょっと苦しくなる

意識を別の方向に飛ばす

それは逃げ?


落ちてきた水滴がきれいな波紋を作れる穏やかさで在りたい
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八方開き

2011-05-11 03:48:14 | 日記
抜けた。

重たくて、もやもやしていたものが、抜けた。

やっと。


なぜだかわからないけど、ずっと浄化を欲していた。

そしてそれが終わった。

そう感じる。


友人が、「今年は私達は神道的に八方ふさがりの年だ」という。

もしこの7年か8年か、忘れてしまったけど、努力していたら

八方開きの年になるという。


ものは考えよう。


私は、八方開きの年だと考える。

結果や評価がどうあれ、真摯に生きることを怠ってはこなかった。

もっとがんばれた、のかもしれないけれど、

ダメダメでぐだぐだだったときだって

それが精一杯で、その時期を経て今ここに在る。


みんなだってそうでしょ。

八方開きの年だよ。



私が旅することが好きなのは、

浴びせられた、たくさんの作られた概念や

科せられた思考の規制を解除して、

フラットな状態で、「生きる」ことを体感したいからなんじゃないか

そんな風に最近感じている。
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呪縛

2011-05-06 22:15:28 | 日記
心や思考パターンがくだらないものに陥っている。

なにをくだらないとするかは、自分次第だけど、

敢えてくだらない、取るに足らない、と切り捨てたい。


思考がそっちにひっぱられすぎて、意識が足元の5cmぐらい先にしかいかなくなる。


くだらない。


もっとスコーンと意識高く飛ばして考えたいことがあるのに。


ひっぱられすぎていいことってあるのか?

追いかけるものの温かい空気をつかもうとして

時間を割いても、それはかすみになる。


不安と悲しみ。


万が一この手に落ちてきたとしても、今と同じ悩みは絶えないのだろう。


そういうイメージしかできない。


それをぶち壊すぐらいのかみなりが落ちないと不可能なことは解っている。

それがほぼ落ちないであろうことも、経験則からわかっている。


この思考から抜けだすには、逆のように感じるけれど、認めるしかない。


くだらないこと、切り捨てたいことが、まぎれもなく自分の一部であると。

受け入れて、解き放つ。


そうしたら、自分を愛すること、大切にすること、いたわることを思い出すだけだ。



自分を愛することを思い出したら、

生まれたこの時代と場所を愛し、

ともにこのほしに生きる仲間を愛し、

生きていること、生きていくことに

自然に寄り添っていける気がする。
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