【写真:小原一馬撮影】
フォトジャーナリストの友人が、福島第一原発の取材をしてきました。
彼が取材に行くと言ったとき、私は迷った。
彼の心情を汲むと、止めるべきかもしれなかった。
だけど「こういうことなんだと思う」と言う彼を、
「そう言うなら、がんばってこい」と見送った。
そこで働いてくれている人たちがいるのに、止めるのはその人たちに失礼な気もした。
わからなかった。
これでよかったんだろうか、無理やり止めるべきだったんだろうかと迷っていたら
彼が取材に入っていたときに、1万ミリシーベルトが検出された。
数字は正直わけがわからない。
わかったとしてもその数値や、だからどうだと言われていることにはちっとも信憑性が感じられない。
友人がいると思うといてもたってもいられなかった。
電話で「無理するな」と伝えると、彼は
「無理しなきゃいけないときがあるとすれば、それは今なんだと思う」
と言った。
第一原発で働いているひとや、その家族は、
いつもこんな不安や恐怖を抱えているのだろうことは想像に難くない。
こんなネガティブな断定的言い方をすることは、普段なら好まずに避けていることだが。
放射能は目に見えない。
影響がでるのが10年後かも20年後かもしれない。
福島市に先日3日間だけ滞在したが、
桃屋のおっちゃんが「桃食べてけ~」ってにこにこすすめてくれたら
ベクレルやセシウムなんかについては到底聞けなかった。
どこまで気にしたらいいかもわからん。
みずみずしい桃はおいしかった。
第一原発で働いてるのはおっちゃん世代のひとたちかと思っていたら、
下請の会社の私と同い年、むしろもっと若いひとたちらしい。
報道ではおかしいぐらい個人個人の顔が見えない。
友人は「私たちは自分の生活を守ってくれている人間の顔を隠さなければいけない状況を
もっと重く受け止めなければいけない。」としめる。
http://kazumaobara.com/2011/08/flontline-in-fukushima.html
9月号のDays Japanでも8Pに渡って掲載されています。
http://www.daysjapan.net/index.html
立ち読みでもいいので、よかったらみてください。
私たちはいつか死ぬ。
それは、あなたにも
私にも
平等に与えられたこの世界のしきたり。
いかにこの世界に捕われようが
囚われなかろうが
それは
あなたの
自由。
「設定」に
惑わされすぎるなよ。
五感ばかりを過信するな。
解放せよ
あの
宙の
向こうへ。
それは、あなたにも
私にも
平等に与えられたこの世界のしきたり。
いかにこの世界に捕われようが
囚われなかろうが
それは
あなたの
自由。
「設定」に
惑わされすぎるなよ。
五感ばかりを過信するな。
解放せよ
あの
宙の
向こうへ。