goo blog サービス終了のお知らせ 

あったこと、おもったこと。

あったことと思ったことの中から、書きたいことだけ書きます。たまに長期間ブログUPしないことあり。

診察の結果。

2013-09-11 11:05:11 | ブログを書くきっかけになったサイアクな日々のこと。
昼を食べてからも検査。


足の付け根から血液を取ったり
CTの検査もした。

認知症の検査と思われることもした。

その結果、そうだろうとは思っていたが
体の内部に「食べられなくなるような原因」は無いとのこと。


つまりは食べられないのはストレスとか精神的なことから。

そして今の体は
完全に栄養失調。

ビタミンB不足。
つまりは昔よくあった「脚気」状態ですねといわれる。


とにもかくも、食べれば治る!


という状態。。


ただ、そうはいっても
すぐに量を食べるのは難しいでしょうと
ビタミン剤、漢方薬、栄養飲料を出してもらった。
次回3週間後まで
とにかく薬を飲んで、ご飯を口から食べてください!と言われる。

病院から帰宅したら午後3時を過ぎていた。






この日も、子供たちをほぼ一日放置してしまった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父を病院へ連れて行く。

2013-09-11 10:44:00 | ブログを書くきっかけになったサイアクな日々のこと。
8月8日。

とんでもないことをしてくれた姉は
とりあえず入院している。

退院するまでに
しておかなきゃいけないことは何か!




姉のことであとまわしになっていたが
ほとんどご飯を食べず
弱ってまともに歩けない父をなんとかしないといけない。

ずっと説得のようなことをしていたが
姉の入院を機に
これはもはや本人の意思とか待ってる場合じゃないと。

最寄のかかりつけの内科(といっても病院嫌いでほとんど行ってない)に行くか
総合病院へ行くか、どっちがいいのか父に迫る。

もはや行くか行かないかじゃない。
どっちに行くのかという選択。

自分もやばいと思ったのか
それとも私に従うしかないと思ったのか
何なのか知らないが
ようやくこの日、父は総合病院へ行くことを承諾した。

午前10時、病院へ到着。
案内の人に相談すると、総合診療科に行くように言われる。

午前11時半、診察。

まともに歩けない父は
車椅子に乗せてもらったのだが
その父の、これまでのことを最初から説明するのも一苦労だった。

当然姉のことも母のことも話さなきゃいけないし
話したいこと?話さなきゃいけないこと?が
次から次へと沸いてくる。

でも先生は、きちんと話を聞いてくれてとても助かった。


父は父で
他人にはありえないくらい愛想がよく格好つけるので
それを訂正したり、補足するのが大変だった。

食べられなくなったおそらく精神的な原因は、まず置いておいて
とにかくまず今の健康状態を調べることとなる。

血液検査
尿検査
心電図
胸のレントゲン

お昼になったので
院内のレストランで食事。
(先生が、必ずお昼を途中で食べて!と言われたのでそれは素直に聞いてくれた)

父は食べやすそうな温かいそばを頼んでいたが
半分も食べなかった。
「もうおなかいっぱい?」と私が聞いても
「味が薄いから」とか文句を言って残す。
味が薄いからじゃなく、食べたくないor食べられないくせに
なんでいちいち何かのせいにするのだろうと私は心の中で思っていた。

しかし、私もラーメンを注文したのだが
4日からのストレスで
食欲があまりわかなかった。

事実、4日以降いそがしいのもあって
何度かお昼を食べなかった日があったが
それでもぜんぜん平気だった。
食べたいという気持ちが薄れていた。


父がご飯を食べたくなくなっていったのは
そういうことが始まりだったのかもしれないと
ふと思った。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Tさんを訪ねる。

2013-09-11 10:18:49 | ブログを書くきっかけになったサイアクな日々のこと。
8月7日の午後。

Tさんと連絡が付いたので、家を訪ねる。

財布や免許証はすでに受け取っていたが
それ以外の、他人にはごみにしか見えないブツを受け取る。

パソコンのバッテリーや
ミキサーの部品
それらの電化製品の箱、説明書、保証書・・。



自転車移動していた姉は
これらをみんな持っていたのか

驚くほどの量である。

そして落としたことに気づかないまま
あちこち移動していたんだ・・・





本当に、なんという病気だろう。

こんなになる病気があるんだ。

そんな人を家族にもって、これから私は一体どうして行けばいいのだろうと
よりいっそう不安になった。

それがもし父母であれば
生み育ててもらった親だから
子供として面倒を見るのは当たり前だと思えるし
普通に考えれば、親のほうが先に亡くなるので
限りのあることなのだと、希望も持てるのだが

姉は・・

姉が亡くなるまで
私に責任がかかってくるのか?

もし私が先に死んだら
わたしのだんなや私の子供に迷惑かけるんじゃないのか?

だんなは血のつながりはないが
私の子と、私の姉は切っても切れない関係なのか?
どうしたらいいのか!!!???



不安が募るばかりだった。






訳のわからない行動をとる姉自身のことも心配だし
姉の生活や、入院したときや
もしかして今回のように散在したときの金銭的な心配も。








Tさんの話に戻るが

以前奥様が母に踊りを習っていたとき
Tさんも母に会ったことがあるそうだ。
今回財布を届けたときに会った母はまるで別人で
最初は母の母かと思ったそうだ。

それぐらいウツになって半年の間に
母の姿は変わっていた。


Tさんに
母がウツになり
財布を落とした姉も精神的な病であることを告げると
実は・・とTさんの奥様もウツであると話してくださった。
そのとき奥様も一緒に話をしていたのだが・・

ごく普通に対応してくださり、
とてもうつ病であるようには見えなかったので
びっくりした。

3年目になったが
最初はやはり何も食べられなくなり大変だったと。
今もここまでになったけれど
実は出かけられなくてこもっているのだと教えてくれた。

元気だったときの母を知っているTさん夫婦は
大変でしょうががんばってくださいと
言ってくれた。




とんでもないことの連続で
何もかも嫌になっていたが

最悪の誕生日の日から初めてうれしいと思った出来事だった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月7日。

2013-09-11 09:47:06 | ブログを書くきっかけになったサイアクな日々のこと。
この日は、Tさんの家に御礼を持っていこうと思いお菓子を購入。


実家へいろいろな報告に行くと
ちょうど姉からが入る。
興奮状態で入院したのに
本人が自由?に電話が出来ることに驚いたが
それは普通のことらしい。

母が出たのだが
姉はワアワア話しまくり
母はウツで、ワアワア言ってる姉の話が聞き取れず
電話を代わる。

「病院が寒いから長袖長ズボンを持って来て!
靴下も持ってきて!」

ようするにそういうことを言っているのだが
興奮しているのでだんだん訳がわからなくなるし叫んだりしてる。
そこでようやく看護師さん?が電話に出た。


「エアコンが効いていて寒いらしいので
羽織る物を持ってきてください。
あと失禁して下着が足りないので持ってきてください。」
ということだった。

失禁・・

こういう病気の酷い状態のときは
良くあることなのか知らないけど
ショックと言うか、衝撃と言うか
情けないと言うか・・。

姉の部屋から服を探してみるけど
何度も言うがまるでごみ屋敷の中から
目的の物が出てくるわけもなく。

服屋で買って持っていくことにする。



その後姉の入院している病院へ行く。
保険証と保険限度額の認定証を持っていく。
証書は受付で渡せばよいのだが
服は病棟まで持っていかないといけない。

閉鎖病棟である。



そこへ行くのは初めてではない。
母がウツで入院したときも、その病棟だった。

ただ、母は病棟内なら自由にしていい状態だったが。

姉は当然鍵付きの部屋。

面会室で看護師さんに服を渡す。
本人にお会いしますか?と聞かれるが・・

そもそも興奮しているのに会っていいものなのかと思った。

まあ、精神病じゃなかったら
家族だったら入院している家族に面会するのは普通のことか・・。

でもさあ、普通じゃないさあ・・などと心で思っていたそのときの私。



「いいです」と断ったら
勝手に涙が出てきた。


看護師さんが心配そうに
「こういう状態のお姉さん、初めて見ましたか?」と聞く。

そういうことじゃない。
初めてだからショックで涙が出たんじゃない。
ギャーギャー暴れたりする姉なんて
コレまでも何度もみたことはある。

だけど
勝手にお金を下ろし
見境もなく使いまくり
部屋があんな汚部屋になったのは初めてだ。

もういやだ
どうなるんだ
という気持ちで勝手に涙が出たのだ。


「今は病気のせいであんなふうですけど
わたしは普段のお姉さんも知っていますけど
優しい方です。
ひどいことを言うのも病気のせいだし。
入院してからも、5歳年下のかわいい妹がいるって話もしていましたしね」

看護師さんは
私を慰めようとそんな風に言ったのだろうが



私の心には響かなかった。







病院を出て
おばの家を訪ねる。

おばは、ウチの実家の様子は良く知っている。
母のことも心配してくれて、時々たずねてくれている。

4日の日は・・
姉が朝6時頃おばの家を訪ねてきて
お風呂に入ってないので入らせて欲しいとやってきたのだと。

(それだけで大迷惑 おばさんはよく受け入れてくれたと思う)

洗濯機も借りたとか。
(それで一枚だけ下着がそこに残ってて、おばはそれをうちに届けてくれたのだ)

風呂に入っているときも、訳のわからないことをずっと話し続けていたというし
そもそも、おばの家を訪ねたとき裸足だったらしい・・・。

で、なぜか荷物の中に
外用か家用か知らないが健康サンダルがあったので
裸足で出歩かないでそれを履きなよねと言ってくれたらしい。
(うちに来たとき、たしかにそのサンダルを履いていた)




おばはよくあの状態の姉に対して
冷静に対応してくれたと思う。


実は母とそのおばの姉である
別のおばも・・・・

病名はよく分からないが
精神的な病を抱えていて
妹であるおばは何度も迷惑な目にあっているらしい。
怒鳴られたり、夜中何度も電話してきたり・・。


それでも、何度か病院へ連れて行ってあげたり
たずねたり

わたしもおなじ妹の立場として
おばのことを尊敬すると同時に

私はそこまで姉には尽したくない
でもしなければいけないのか・・・という不安でいっぱいになった。


*****

説明

母は女5人姉妹の四女。
父母(私にとって祖父母)と、長女はがんで亡くなっている。
次女が日記に出てきた精神的な病を抱えた姉のこと。一人暮らし。(娘が二人いるが嫁いでいる)
三女は東京で夫と暮らしている。私たちが住む市に小さいが別荘があり、時々長期滞在する。ウチの母と一番仲が良いが、酷い喧嘩もよくする。
四女が私の母。
五女が私の家の近くに住んでいるおば。夫と息子と三人暮らし。もう一人の息子と娘は結婚して独立。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月6日。

2013-09-10 16:29:31 | ブログを書くきっかけになったサイアクな日々のこと。
今日は次女の誕生日。




しかし遊びに連れて行くとか
そんなことはしていられない。

この日は市役所に行った。

病院からいろいろな補助があるからと入院時に説明を受けたので
それの確認のために。


限度額適用認定書というのがあると
入院費の請求がおさえられるらしい。

すでに交付されているらしいが
実家のあの散乱したところから
発掘される可能性は・・・

再交付してもらった。

(でも実はあとで奇跡的に見つかった。最初に交付されたのものは処分した。)

そのあと福祉課へ行く。
どのような補助が受けられるのか
これまでも色々受けていたのだろうが
入院中の姉に聞いても
今の父や母に聞いても埒が明かないと思ったので。

通院のみ助成されるものと
入院・通院が助成されるものがあるようだ。

通院のみは10パーセントの負担。
入院・通院のは支払った額の1/3を助成してくれるのだとか。

調べてくれたのだが
1/3を助成してくれるものもコレまで申請はあったらしい。
しかし昨年の11月を最後にしていないらしい。

請求書があれば2年前までさかのぼって助成されるということだ。

そして姉は障害者手帳を持っていたのだが
写真部分と表紙部分を残して紛失。
残った部分も雨の中適当に持ち歩いたのか
ぼろぼろ。

福祉課の人は再交付も出来ますが
写真が必要なので
それは本人が退院してから、ということになる。





その後実家へ行く。

Tさんが拾ってくれた財布を確認する。
お金が数千円。
そして免許書!
さらに保険証!!

何もかも持ち歩いて
そして何もかも落としてくれていたんだな

その後、部屋からたまたま見つかった
図書館で借りたらしき本を返却。
調べてもらったら、返した本以外には借りていない模様。良かった。



家に帰宅したら

おば(母の妹)からポストに
姉の忘れ物だと言う下着とポーチが入っていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月5日。3

2013-09-10 16:13:50 | ブログを書くきっかけになったサイアクな日々のこと。
Tさんはとても優しい方だった。



Tさんの奥様が
以前に母に踊りを習っていたことがあり
それで姉の財布に入っていた何か?から
持ち主が分かったようで届けてくれたのだ。


話を聞くと・・
財布がちょこんと落ちていたのではなかった。

Tさんの家の近くの道路に
ダンボールやらなにやら
不法投棄か?と思われるものが落ちていたとのこと。

しょうがないので
片付けていると
たまたまその中から財布があり
落ちている物をよくよく見てみると
取扱説明書や
ミキサーの一部(一人暮らしをするといって買ったあのミキサー)や
パソコンの付属品(このパソコンも躁状態で使いもしないのに買ったもの)があったそうだ。

財布もおちていたし
Tさんはもしかして何か事件があったのか?とも思ったらしい。
しかし、落としてからその後結構な雨が降ったため
それらの品物がぐちゃぐちゃでごみ状態だったので
事件だ!とは思わず警察に連絡されなかったのだろう。


ミキサーの一部など残っている物は
まだ処分していないとのことで
あるもの全部を後日お礼も兼ねて受け取りに行くことにした。




4日の日記に書き忘れたが
電気屋で衝動買いしたテレビと洗濯機は
お金は払っていたが配達がまだで
レシートが奇跡的に残っていたのでキャンセルの手続きをした。

そのとき返ってきたお金が
15万円ほど。

このお金の中から父に承諾を得て
警察に財布を届けてくれた方へのお礼や
Tさんのお礼や
ウォーターサーバー違約金や
姉の入院に必要な物の支払いをした。


手間賃ももらいたいくらいだったが
勝手にもらったら泥棒と一緒だ。

一円たりとも姉のお金には手をつけていない。




もちろんガソリン代は自腹だよ。(怒)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月5日。2

2013-09-10 16:01:01 | ブログを書くきっかけになったサイアクな日々のこと。
子供たちを二日間もほったらかしてしまった。

それでも上の子が中学生になり
昼ごはん程度なら頼めば作れるようになっていたので
とても助かった。


病院から家に帰宅すると電話がきた。

母の踊りの生徒さんからだった。

母がウツになってからも
お見舞いを持ってきてくれたり
時々様子を見に来てくれたりしている方。

「ちょっとお願いしたいことがあるので
お会いしたいんだけど」

一体何かなと
家の近くの店の駐車場で待ち合わせた。



今日、母のところにお見舞いに行ったとき
Tさんと言う方が訪ねてきて
姉の財布を拾ったからと届けてくれたのだと。

そのTさんは、踊りをしていた母のことを知っていたようで
財布は警察に届けず、直接家に持ってきたのだとか。

しかし、対応した母が
Tさんの話がよくわからなかったらしく
ちょうどその生徒さんがいたことから
Tさんの連絡先を聞いてくれて

それで、唯一まともなわたしに知らせてくれ
お礼の連絡をしてあげてくださいということだった。

その生徒さんには
本当に感謝でいっぱいだ。

私も子供の頃から知っている方で
母をとても慕ってくれている方だ。




しかし私はその方への感謝よりも

警察に届いた財布以外にも
他にも落としていた事実にショックを受けていた・・・・・




もう疲れていて何もする気になれなかったが
そういうわけにもいかない。

Tさんに連絡を入れる。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月5日。

2013-09-10 14:52:42 | ブログを書くきっかけになったサイアクな日々のこと。
ようやく一日たった。

8月5日月曜日。

だんなはどうしても仕事が休めない。

家に子供らを残し実家へ。



立つのもままならない父だが
姉の保護者なので、病院へ一緒にいってもらわないと困る。

姉は、またずっと話しまくり
訳のわからない状態だったが
病院へ行くことは拒否しなかった。

母はまたついていくのを渋ったが
私が連れて行った。

一緒に暮らしている親が
姉の状態を医師に伝えてくれなきゃ困る。




車の中で
訳のわからないことを言う姉に
こっちもいたたまれなくなり
二人で怒鳴りあいになる。


父と母は、後ろの座席で黙っている。

あのとき、一体何を思っていたのだろうか。






看護師さんや先生の前では
普通を装おうとする姉であったが
私が、姉がどんなだったか事細かに伝えると
逆上して、叫んだり酷い状態をさらし
入院させてもらえることになった。


あの状態で
もしも入院できなかったらと思うと
今考えても恐ろしい。





父はまともに歩くことも出来ず
入院手続きで別の場所へ行くことになっても
付いてこれず、自分は待合室で待っているという。


腹が立ったが
歩けないで病院の人に車椅子に乗せられた父は
確かに足手まとい。
待っててもらった。

母と私で入院の手続きをする。


その後、一回帰宅し
入院に必要な物を母とそろえる。

父は口出しはするが
こういったことは一切手伝わない。

歩けない父にも
うつでしんどい母にも頼めそうにないので
私が一人で姉の物を病院へ持っていく。





4日、5日だけで
どんなにか絶望したか
どんなに涙を流したかわからないくらい。




2キロくらいやせていた・・。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とんでもないこと。

2013-09-10 14:43:32 | ブログを書くきっかけになったサイアクな日々のこと。
姉がしたとんでもないことの数々。


8月4日、姉が薬が効いて寝ている間に
警察から電話が来る。

だんなが対応したのだが
落し物が届いたとのこと。

本人がとても取りにいける状態じゃないので
だんなが代理で受け取りに行く。
精神障害者だと警察に言ったら
代理人でもいいと言われたらしい。

落し物はとんでもないものだった。
財布のほかに
姉名義の通帳とキャッシュカードがいくつも。
その金額は300万ほど

姉は、自分名義のものは自分の物だと
家から持ち出して、持ち歩いていたようだ。

そして一人暮らしをするのだと(勝手に)決め
電気屋で色々な物を買っていた。
そのお金は通帳から下ろした100万から払ったと
薬で寝る前の姉本人が言っていた・・。

洗濯機に、テレビに
掃除機、ミシン、レンジ、ミキサー。

それ以外にも
部屋には大量の漫画、服、CD、DVD・・

レシートがあったのだが
CD・DVDだけで10万円とか・・
パワーストーンで数万円とか・・

部屋からはウォークマンが3つ
数十もあろうかと思われるバッグ




いったいいくら使ったのか。


一緒に住んでいた父と母は
どこまで知っていたのか。

一体どうなるのか
とにかく不安で恐怖で絶望の8月4日だった。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

双極性障害。

2013-09-10 14:30:24 | ブログを書くきっかけになったサイアクな日々のこと。
姉の病気は双極性障害である。



少し前に本人が言っていたのだが
病名を知る前も、知った後も
私はなぜかその病気に興味がわかなかった。


しかし後悔している。

早いうちに、双極性障害がどんな病気なのか
知っておくべきだった。



これまでの姉は3つのパターンに分けられる。

やる気のない時期。
このときはひたすらやる気がなく
自分の部屋で寝ていることが多い。
うつになる前の母にはよく規則正しくしなさいと怒られていた模様。

普通の時期。

そして最後は話しまくる時期。
家の片づけを始めたり、夜寝つきが悪くなったり
なんでも大丈夫!やる気満々に見えて、思いつきで動いているだけの時期。

それを繰り返していて
眠れなくなるのが酷くなると
なんだか訳のわからないことを言い
言うことも聞かなくなるので入院
というパターンだった。



それが鬱と躁状態だったとは。

そしてその躁状態を抑えないととんでもないことになるとは。





今回の躁状態はいったい何時からだったのか定かではないが
父と母との話をまとめてみると、5,6月には始まっていたんだろうと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする