Benedeictus Iesus in sanctissimo altaris Sacramento.

いと尊き聖体の秘蹟に在し給うイエズスは、賛美せられさせ給え。

無原罪の聖母の眼差し、意志、祈り。

2013-12-09 22:19:13 | FIDEI

聖アンナの御胎に御宿りの最初の瞬間において、イエズス・キリストの十字架の御功徳により、

原罪の全ての汚れから前もって保護されていた御方、無原罪聖母の天主なる御父への眼差し、意志、祈り。

*

聖ヨアキム、聖アンナの娘として育まれた日々の・・・天主なる御父への眼差し、意志、祈り。

大天使聖ガブリエルのお告げを受けての「Fiat」・・・天主なる御父への眼差し、意志、祈り。

イエズス様御降誕の時の・・・天主なる御父への眼差し、意志、祈り。

エジプトへの御避難の時の・・・天主なる御父への眼差し、意志、祈り。

イエズス様の母として共に過ごされた日々の・・・天主なる御父への眼差し、意志、祈り。

イエズス様公生活において・・・天主なる御父への眼差し、意志、祈り。

イエズス様の御宣教の傍らにおいて・・・天主なる御父への眼差し、意志、祈り。

イエズス様の十字架の御受難を仰ぎ見て・・・天主なる御父への眼差し、意志、祈り。

悲しみを極めるイエズス様の御死去において・・・天主なる御父への眼差し、意志、祈り。

イエズス様の御復活とその歓喜において・・・天主なる御父への眼差し、意志、祈り。

イエズス様の御昇天において・・・天主なる御父への眼差し、意志、祈り。

御自身の被昇天において・・・天主なる御父への眼差し、意志、祈り。

そして、永遠の今、天使と人類の元后として・・・天主なる御父への、意志、祈り。

*

この幹に原罪の節無く自罪の皮無し。

:嗚呼、童貞マリア、御宿りに汚れ無かりき。

:我等の為に、御身の生み給いし御子の御父に祈り給え。

 Haec est virga, in qua nec nodus originalis, nec cortex actualis culpae fuit.

V:In Conceptione tua, Virigo, Immaculata fuisti;

R:Ora pro nobis Patrem, cujus Filium peperisti.


Hoc corpus quod pro vobis tradetur

2013-11-04 12:00:28 | FIDEI

Hoc est enim Corpus meum, quod pro vobis tradetur. (通常形式ミサ典文より)

汝等の為に付さるる我體なり。 (これはあなた方のために渡され私の体です。)

我がために十字架に渡されること、十字架に付けられることを燃える愛熱で望み給うた我等の主イエズス・キリスト、天主の子羊、我等を救い給え。


Regina Sacratissimi Rosari, ora pro nobis!

2013-10-01 22:54:18 | FIDEI

Ave Maria, gratia plana Dominus tecum!

*

Dignare me laudare te, Virgo sacrata:

聖なるおとめよ、私にあなたを誉め讃えさせよ。

da mihi virtutem contra hostes tuos.

あなたの敵に立ち向かう力を私に与えられよ。

*

In Conceptione caritate ignita,

御宿りのせつなより、御身の燃える愛にて、

Draconis potestas est a te contrita.

龍の力は打ち砕かれたり。

*

Benedicta tu in mulieribus, et benedictus fructus ventris tui.

ヤスナ・グラの聖母、我等の為に祈り給え。

いと尊きロザリオの元后、我等の為に祈り給え。

 

 

 


Ave Maria! 救いへの標・・・母マリアの七つの御苦しみ

2013-09-15 21:36:54 | FIDEI

Ave Maria!

救いの標・・・ 救い主イエズス・キリストの御母、原罪の汚れ無き御宿りの聖マリア、全被造物に優る女王聖マリアがかつて地上で経験した御子とともなる御苦しみの事実は、私たちの救いにおける「標」であり、重要な「徴」であります。この「徴」に秘められている玄義は今のような時代にこそ、強力な救いへの恵みをもたらしてくださいます。願わくは普及されんことを・・・。

母マリアの七つの御苦しみ(受難の主日後の金曜日、9月15日)

【解説】この金曜日は祝日というよりも、信者の敬虔が生み出したところの、聖母の御苦しみの記念日である。この日は12世紀の神秘文学で培われ、マリアの七つの御苦しみという名で、13世紀のころから「聖母マリアの下僕修道会に」よって広められた。ここに言う聖母の七つの御苦しみとは1、シメオンの預言、2、エジプトへの御避難。3、エルザレムにおけるイエズスの行方不明。34、十字架の道における御子との会合。5、十字架の下にたたずみ給う。5、イエズス十字架より降ろされ給う。7、イエズスの御埋葬である。聖母は、御子と苦しみを共にし給うた。「同感受難」のゆえに、「殉教者の元后」として崇敬される。既に中世期、聖母マリア下僕会によって、この聖母の御苦しみの祭式は行われていたが、ピオ7世教皇(1800年-23年在位)は、ナポレオンによる捕囚中におけるお苦しみと、聖母の取次ぎによって解放されたことを記念して1814年この祝日を全教会で祝うことを規定した。以前は9月の第3主日に祝われたが、1912年、聖ピオ10世教皇のとき、9月15日に祝日を移された。

ミサ聖祭(特別形式)
入祭文:
(ヨハネ19.25)イエズスの十字架の傍らには、その母と、母の姉妹と、クロパのマリアと、マグダラのマリアとが立っていた。
(ヨハネ10.26-27)イエズス、「婦人よ、あなたの子を見よ」と仰せられた。
V:願わくは聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを、始めに在りし如く、今もいつも世々に至るまで。アーメン。
(ヨハネ19.25)イエズスの十字架の傍らには、その母と、母の姉妹と、クロパのマリアと、マグダラのマリアとが立っていた。。

集祷文:
神よ、シメオンの預言にしたがって御受難の時に苦しみの剣が、光栄の聖母マリアの、やさしい御心を貫いた。願わくは、御慈悲により、敬虔にその貫かれ給うたことと、御苦しみとを記念する我らに、忠実に十字架の傍らに立った諸聖人の幸いな功徳と祈りとによって、御苦難の幸せな効果を与え給わんことを。聖父なる神と共に、聖霊との一致において、世々に生きかつ治め給う神よ、アーメン。

ユディット書の朗読(13.22,23-250)

昇階誦:
聖母マリアよ、あなたは苦しみのうちに、御子、我らの救い主、イエズスの十字架の下に立ち給う。
v:神の母マリア、全宇宙も容れ得ない御者、生命の創り主は、人間となって十字架の拷問を忍び給う。
詠誦:
聖なるマリア、天の元后、地の女王は、悲哀のうちに、我らの主イエズス・キリストの十字架の下に立ち給う。
v:(哀歌1.12)道行く人々よ、立ち止まって、私の悲哀に比べうる悲哀があるかを思え。
(年中の随意ミサと、9月15日のミサにおいては)
v:アレルヤ、アレルヤ、
v:聖なるマリア、天の元后、地の女王は、悲哀のうちに、我らの主イエズス・キリストの十字架の下に立ち給う。
(復活節の随意ミサでは、昇階誦と詠誦とが次に代わる。)
アレルヤ、アレルヤ、
v:聖なるマリア、天の元后、地の女王は、悲哀のうちに、我らの主イエズス・キリストの十字架の下に立ち給う。
v:(哀歌1.12)道行く人々よ、立ち止まって、私の悲哀に比べうる悲哀があるかを思え。
(随意ミサには続誦は唱えない。)

続誦(スタバト・マーテル)
悲しみの御母は、涙にむせびつつ、御子のかかり給う十字架の下に立ち給う。
嘆き悲しむその御魂は、剣で貫かれ給う。
神の御独り子の、尊い御母は、深く悲しみ給う。
尊い御子の御苦しみを見て、慈悲深い御母は、悲しみに沈み給う。
かくも悩み給うキリストの御母を見て、ともに泣かない者があろうか。
かくも御子とともに苦しみ給うキリストの御母を見て、ともに悲しまぬ者があろうか。
御母は、御民の罪のために、イエズスが鞭打たれ、責められ給うのを見給う。
御母は、最愛の御子が、苦悶のうちに息絶え給うのを見給う。
愛の泉なる御母よ、私にも御悲しみを知らせ、ともに泣かせ給え。
神なるキリストを愛する火をわが心に燃やし、御心に相応しい者とならせ給え。
ああ御母よ、十字架に付けられ給う御子の苦悶を、私にも分かち給え。
命ある限り、あなたと共に泣き、十字架のイエズスを慰めさせ給え。
私は、十字架の下に、あなたと共に立って共に悲しもう。
童貞女のうちで最も聖なる童貞女、私をも共に悲しませ給え。
キリストの死とその苦難を私に悟らせ、その傷を覚えさせ給え。
私にも御子の傷を負わせ、その十字架と御血とで酔わせ給え。
聖なる童貞女よ、審判の日に私を守り、地獄の火より遠ざけ給え。
ああ、キリスト、私の死のとき、御母によって勝利の報いを得させ給え。
肉体は死んでも、霊魂に永福を与え給え。アメン。
(9月15日にはアレルヤを唱える。)

ヨハネによる聖福音の続誦(19.25-27)

信経

奉献文:
(エレミヤ書18.20)童貞なる神の御母よ、主の御前に立ち、我等を思い出し、神の御怒りを宥め奉るよう、とりなえ給え
密誦:
主イエズス・キリスト、我等は祈りと生贄とを捧げ奉る。御母聖マリアの、甘美な御心が貫かれたことに対して、我らの捧げる尊敬の念により、そのたえざる御取次ぎと、ともに十字架の下にいた聖人たちの取次ぎと、御死去の功徳とにより、我等にも、聖人等の報いを与え給わんことを。。聖父なる神と共に、聖霊との一致において、世々に生きかつ治め給う神よ、アーメン。

序誦:聖母マリアの序誦
聖なる主、全能の父、永遠の神よ、いつも、どこにても、主に感謝を捧げ、又、終生童貞なる聖マリアの御貫きにおいて、御身を讃え、祝し、宣言し奉ることは、実に相応しく正しい事であり、我らの義務と救いである。聖母は、聖霊の能力によって、御独り子を宿し給い、童貞性の光栄を損なうことなく、永遠の光明なる我らの主イエズス・キリストを、この世に生み給うた。彼によって、天使等は、主のみいずを誉め讃え、主天使は礼拝し、能天使は奮えおののく、天と天の力天使と、福なる熾天使は共に喜び、それを讃え奉る。願わくは、彼らの声に、我らの声をも交えさせ給え。我らは深く礼拝しつつ、こう歌うであろう。聖なるかな…

聖体拝領誦:
聖マリアの感覚は、幸いなものである。それは、主の十字架の下で、死なずしてなお殉教の報いを得た。

聖体拝領後の祈り:
主イエズス・キリスト、御母童貞聖マリアが剣で貫かれ給うたことを記念するこの日、拝領し奉った秘蹟が、慈悲により、我等にたすかりの恵みを与えんことを。聖父なる神と共に、聖霊との一致において、世々に生きかつ治め給う神よ、アーメン。 

---------------------------------------------------------------------
毎日のミサ典書 発行者:フェデリコ・バルバロ 昭和33年 ドン・ボスコ社
刊より引用


The Immaculate Queen

2013-08-22 21:17:56 | FIDEI

かつて、一人の少女が全ての時代の人類を代表して、全能永遠の創造主なる天の御父による人類救済の御事業に参与するために選ばれ、大天使聖ガブリエルから告げられたみことば・・・、「Dominus tecum・・・。( 主、御身と共に在す・・・。)」、お告げの時も、カルワリオ山上でも、今も、いつも、これからも、原罪の汚れ無き御宿りの天主の御母、終生童貞、天の女王聖マリアは唯一の天主なるイエズス・キリストと共に在られます。地上においては御聖体のイエズス様の在られるところ聖母マリア様もきわめて近くに在られます。

Ave, Maria, gratia plena, Dominus tecum; benedicta tu in mulieribus, et benedictus fructus ventris tui, Iesus. Sancta Maria, mater Dei, ora pro nobis peccatoribus, nunc et in hora mortis nostrae. Amen.

 

 回勅 「Ad caeli Reginam」(1954.10.11 ) 教皇 ピウス12世


  聖母マリアは女王である


3913 女王としてのマリアの品位が、主として彼女が神の母あったことから生じることは明らかである。聖書には、処女が懐胎した子について、次のように記されている。「彼は大いなる者となり、最高者の子と呼ばれるであろう。主である神は、彼にその父ダヴィドの王座を与え、永遠にヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くであろう」(ルカ1.32-33)と。また、マリアは「主の母(ルカ1.43)と呼ばれている。このことから、マリアが女王であることが容易に結論される。マリアは子を生んだが、その子は懐胎の最初の瞬間から人性とみことばの位格的結合によって、王であり人間であると同時に万物の主であったからである。したがって、ダマスコの聖ヨハネスが、「マリアは創造主の母であったため、全ての被造物の女王となった」と書いたのは当然であり、正しいことである。同じように、マリアの女王としての任務を最初に天上から告げたのは大天使ガブリエルであった。

3914 しかし、処女性マリアが女王と呼ばれるのは、神の母であったばかりではなく、神の意志によって我々の永遠の救いのわざにおいて重要な役割を果たしたからである。「キリストの支配権は生まれつきの権利であると同時に、獲得した権利である」。すなわち、救いのわざによって獲得したのである。この救いの業において、処女聖マリアはキリストに密接に結ばれていた…。「キリストは我々を救ったことによって、特に我々の主であり、王である。それと同じように、聖なる処女は、子に体を与え、我々の為に自分の子をすすんで奉献することによって、また、我々の救いを特に望み、そのために祈り、その救いを与えることによって、特別に我々の救いに協力したのである。

3915 上に述べた理由から、次のように結論できる。救いのわざを果たすにあたって、ある意味で、エヴァが死の源であるアダムと結ばれていたように、マリアは神の計画によって自分の救いの源でありイエズス・キリストと結ばれていた。したがって、マリアは、我々の救いのわざを一種の「要約」によって行ったと主張することができる。人類は、処女によって死に導かれたように、処女によって救われる。さらに、この栄光に輝く女王はキリストの最愛の母であって、「人類救済のための協力者となった」。また、実際に「原罪と自罪を問わず、すべての罪から免れ、常にその子と密接に結ばれていたマリアは、ゴルゴダにおいては新しいエヴァとして、堕落によって罪に汚れているアダムのすべての子孫の為に、母としての権利と母としての愛の犠牲を合わせて、子を永遠の父にささげたのである」。したがって、次のように結論することができる。新しいアダムとしてのキリストは、神の子であるため、また、我々の救い主であるため、王と呼ばれる一種の類比によって聖なる処女は神の母であるばかりでなく、新しいエヴァとして新しいアダムと結ばれていたことによっても女王である。

3916 神であり人であるひとりのイエズス・キリストは、厳密な意味で王である。また、マリアは一種の制約を受けた意味で類比的に、神であるキリストの母として、神である救い主の協力者として、敵との戦いにおいて勝利を収める者として、王としての品位に参与する。王であるキリストとの結合から女王としての栄誉を得たのであり、それによって、すべての被造物に優っている。キリストとの結合によって女王としての権能を得たのであり、それによって、神である救い主の王国の宝を分配することができるのである。されに、キリストとの結合によって、父と子に対する母としての保護は決して尽きることがない。

3917 したがって、聖マリアの品位が全ての被造物よりも優れていること、また、自分の子の次に全てにまさって首位を占めることは明らかである。神の母が全ての被造物にまさる、この優れた品位を理解するために、神の聖なる生母が、母の胎内に宿った最初の瞬間から、全ての聖人が受けた恩恵よりも多くの恩恵を受け、恩恵に満たされていたことを思い浮かべることができる。…さらにマリアの子、我々の救い主が、人々の心と意志とを支配していると言うことができるが、聖なる処女は、キリストに次いで、最高の完徳を持ち、ある程度までキリストの支配権に参与していると言うことができる。
・・・・・デンツィンガー・シェーンメッツァーカトリック教会文書資料集(浜寛五郎訳・エンデレルレ書店)より引用