配置によって重要度が変化するチェスの駒のように
構図や力に依って生み出される人々の位置は
心情や個性がダイナミックに動いているのではなく、
ゲームの展開を見守るダイナミックな操作へ向かわせる。
彼らは駒的であること、つまり抽象的な象徴で
その手段で非現実的な効果と機動力を持たせることによって
ありえなくもない関心へ向かわせる。
野心家(雄牛)は意欲し
懸命に何かを作り上げることに幸福を感じる。
人が考え得るより多くの望みのない労働から
救い出そうと濫用(らんよう)された動力、意志が働き
それが不条理であろうと支配されることの中によって幸福なのであり
支配から癒える術を見る。
進むこともじっとする自由もなく
ただ自分の引け目を感じジタバタするのみ。
日本が海洋国家であったことは幸いで
無縫の状態に放置されるも、愛は高邁(こうまい)で
幼年の恋を忘却の彼方に連れ去った(年季の入った運転手)
烈しい情熱は天空の泉のように意識を把持させている。
作用との関係に連れ戻させる時間地平はまだ
確立されていないことを意味している。
インフラ整備、娯楽施設運営、
医療安全保障、医薬品、高度医療機器の設置、
国家全体の学力生活レベルの維持向上には多額の投資が必要。
それに事故事件では多額の賠償支払いが求められ、
予防策としての保証にも
戦争では何の罪もなく、健康で新鮮な人間を殺める兵器開発に
莫大な資金が掛かる。
社会人を活かすも殺すも無料という訳にいかない。
合理的にコスパ良く資金調達するには
「余分な人」を「まだ用済みでない人」に「美味しそう」と
肯定的に共食いして貰って死守回転の循環調理がいいんですね。
余分な人とは弱肉強食の競争社会において確保される
必須必要人員の「どうでもいい人」で、
どうでもいい人になりたくなければ、お金より知恵を使い
動機づけを前提として時間的作用で反省された体験に注意を払い、
意識的に触発され存続させている把持が
意識を対象とする反省可能性の内的時間意識条件となっていることを
…消化不良により暫し休止。
主観性意識に主題を置いたフッサールの現象学と
客観視しようとする哲学とに共通する属性は
「人には人に如何に喜びを与え得るものがあるか?」ということ。
SiM - WHO'S NEXT (OFFICIAL VIDEO)
表現が沢山!で編集時間を割くにも困る。
2021-09-07 21:27:00追記
2021-10-01 07:40:48追記