グルジェフの「自己観察」では、
現実の中で覚醒に導くものだけが価値を持つ。という。
人格は反応に動かされている機械で、
興味や情熱を持っている事柄は自己同一化し易いが
異常とは「我を忘れた人格」ではなく「我を忘れない本質」でいることで
自分が正しいと感じる価値装置(自尊心、虚栄心)を
破壊するか無視すると
常に容赦なく見張る狂人(敵)を解放しなければならなくなる??
苦悩や矛盾によって試された、自己を想起した偽りのない本質は
雑多な世界を突き抜け本来的な個性の根底へ、突破口へと芽が伸びる。
旅はトラブル、トリックで見せかけの世界から真実へと還らせる。
自分の行動、思考、感情に気付かせ意志するか試し、常に心掛けさせる。
今までにどれ程の愛を知れてこれただろう。忘れてきてしまったろう。
そしてそれを押しやって来て(着て)しまっただろう。
歯車を舞台セットに組み込んだり、
このPVにも時間を連想させる歯車が出てくる。
時間はちょっと前とも遠い過去とも今と交差してる。
そして未来も何かを変えなければ過去のようになり続けるだろう。
役目を達成すれば成長して関係が終了する。
次の目標、指針にとって過去の支配に悩まない、もう困らない。
それを卒業したという。
右側に壁、左側から外の灯りで照らす存在に影を与えている。
天井の灯りは弱くとも打ちぬかれ、ほとんどのドアは鍵が壊れている。
それでベッドでドアが外から開けられないようにわざと置かれている。
縦軸世界の牢獄(自我)に閉じ込められ不自由しているようで、
自己存在を「それなりでいい」有限な地平(慈愛)で
ウロウロ留まろうとしている。
意志実行が出来ないと感じることは空想の中で考えていることで
自我を完全放棄してしまっている人にとっても拘置所は楽園。
私という二種類の概念では
①生まれてから死ぬまで自己同一性を保ちつつ、
瞬間の刹那主義的時間の中の存在である達を
「似せつづけ」る努力?自然と慣性の繋がりが実体的と捉え生きる<私>
②昨日や明日の<私>はいない。
他の<私>がいないということは、昨日、今日、明日のは
無数な別々の<私>が別々な利害の主体で、
今の<私>が征服しなければならない人であったら
その不快感を未来に向け観察し、緩衝器を破壊すらする。
その苦悩、苦痛こそが<私>の理解と覚醒をもたらす。
覚醒したからといって心理的、文化的メリットがあるのか?
自分を汚いもの、或いは神聖な者という自覚があると
意識は拡大して見える世界ごと汚く見えたり神聖にも見えてくるという。
「褒め殺し」は欺瞞を助長させる。「嫉妬」は理想を卑下させる。
実際大した人間じゃないのは鏡や周りを観れば理解できるのに。
色んな人、それぞれの知識見解によっては、
新鮮だったり優しさ、面白さ、奇跡的だったりする。
水平垂直だけじゃない第三世界?
があるってことは感謝しとくべきものなのでしょうね。
瞑想が出来なくても自問自答はしていかないとと思えました。
現実問題として今の精神、生活状況では偉そうなこと言えない…
私なりに自由時間を持てて得た情報で勉強になったことを
ネットの片隅で呟いてみるくらいなら許されるでしょ。
皆様が尽力され活躍されて出会えたお陰です。
ONE OK ROCK - Deeper Deeper [Official Music Video]
2019-08-22 16:34:47の再編
2023-10-12 16:11:44に追記