ニュートン物理学では時間と空間は無関係である。
これに対して特殊相対性理論では光速は時間と空間が癒着して
一つの空間に於ける事物の状態に時間の働きが影響を及ぼす。
ユングはそこに心理作用が入る余地のない
日常世界における共時性の秩序への入り口があると考えた。
観測者は不要で操作主義的な定義と認めた。
ユングの観点から観れば物理学におけるマクロ―ミクロの次元の区別と
心理学における意識―無意識の次元の区別の間に何か手掛かりがあるか
と考えると観測問題で座標(素粒子の位置)を「運動量の概念」に
改める考え方が出て来て、空間を活性化させその内部に浸透し
時間=空間連続性を示すが
過去・現在・未来という時間の質的区別を持った時間というのはない。
超心理学考察には生命科学との関連を確立を含めた
因果との関係を考えようとするなら、
集合性的無意識を場とする共時性次元から「時間は幻想」である
という考え方も時間は等質的で往復可能な路線と考える。
アインシュタインのような大学者の悩みは我々の理解を超えるが
彼は物理法則を支配する時間は往復可能と考えるが
心理的時間は人間の経験の独自性として一方向に現在でしか進まない
「現在」には科学の範囲外に本質的に違った何かがあり
人間が時間を現実に体験する場は現在しかない。
プリコジンは科学の独自性が知的欲求の満足に価する体験の立場に立ちながら
生命体に於ける形態の発生、分化や保存の緒問題に
無機質でも起こりえる「混沌からの秩序」を産出する現象を
質的規定ばかりでない量的規定の意味として
科学は本来、人の命はその存在をどう考えるかにせよ物質と同じように
幾らでも代わりがあるという立場に立ち、
生死に関する問題は学問的知にとっては閉ざされた世界で
感覚と知的推理だけから出てくるものではないが
自己の生つまり絶対の個としての自分がこの世界に生きている
意味や価値を問うことで科学と宗教を分かつ壁となって、
科学と宗教の中間の領域によって意識と物質の関係が展開され
「物質の領域から生命の領域へ」と近づいてきた科学者の努力に期待し、
逆に精神の領域から生命の領域へと期待するのである。
「予知」のような超常現象は意識を超えているという意味で
無意識領域に潜在し感知される現象として能力と解するかどうかは微妙である。
素朴な信仰心を持つ人は素直に信じ、不安な人はすがる思いで信じ
名誉に成りそうと思う人は実践主体的に信じ
懐疑的な人はそういうことは信じないか無視するであろう。
アメリカに於いてトリックその他の批判を避けるための論法として
①感情的レベルの批判の拒絶
②哲学的トリック?(解釈法?敗走を進展とか)を用いる否定
③超心理学を非科学的信仰と同等とみなす
④超常現象はとるに足らない?心霊研究とみなす
⑤超心理学の方法論に対する中立的で冷静な批判を行う
⑥超心理学者への人身、人権攻撃の禁止(普通に犯罪だし)
⑦逸話的偶発例を証拠とする批判への客観的な反批判であること
⑧科学、社会学会専門誌への掲載拒否(精神医学関係の学会誌だけは好意的である)
哲学的には知識量が何倍も可能性を増幅してくれるので経験は僅かでも
「如何に生きるべきか」という問いを通して
想像力、創造力の命の暗在目的にまで導いてくれるだろう。
「宗教と科学の間」/ 湯浅泰雄 より
Tilly Birds - ฉันมันเป็นใคร | Band lab | First show
2023-12-10 19:57:07の再編