ご飯の前に 2020-05-22 11:28:12 | 日記 本来は修行中は食事の作法があるのだが、普通の社会生活をしているとそれはなかなか難しい。そこでご飯を食べる前にそっと手を合わせ、心の中で信仰している仏様の真言を3回唱えて、まさに自分が食べようとしているものを先に献じると良い。日本の密教の場合は、魚肉類はお供えしないで、ご飯やパン、麺類など、食事のなかの精進の部分を供えると良いでしょう。
真言念誦の功徳で許す 2020-05-22 09:45:57 | 日記 自分で自分を苦しめている。これを自縄自縛と言う。まずはそこに気づくこと。そして、それを自分で解くことができないから真言念誦をするのである真言念誦をするがゆえに、その功徳で自分を許すこととなるでも、そこに抵抗がある時には、無理に解こうとしない。自分を許せないでいる自分を認める。そして、力を抜いて後は仏様にお任せ、お清めしていただくという気持ちが大切だ。
四国遍路と南無大師遍照金剛 2020-05-22 09:28:28 | 日記 昔四国八十八ヶ所歩いてお遍路した時に、ひたすら南無大師遍照金剛を唱えていた。それ以外には何も考えられなかった。不思議だが、そうしていると様々な困難があっても乗り越えることができて、無事に結願することができた。摩訶不思議な巡り合わせもあった。その時心がけたの、どのようなお接待があっても、どのようなご縁があっても断らないということだった。人生もそれと同じで、様々な困難にあっても仏と共にいると、乗り越えることができる。同行二人とはありがたいことである。
真言を持する 2020-05-22 09:07:30 | 日記 真言はただ唱えるのではなく、持念するという。これは自分の中心となる真言を決めて日々唱えていると、だんだん自分と離れることがなくなってくる。日常生活のなかでも、無意識的に心の中で真言を唱えているようになる。朝起きた時に寝床の中ですぐに真言が出てくる。そうすればしめたもので、真言の功徳が身についてきている。故上山春平氏は、虚空蔵菩薩の真言百万遍唱えた経験からこれはまるで、貝の中に真珠の核ができたようなものだと言っている。後は修行を積み続けていけば段々とその核が大きくなっていく。ちなみに中心となる真言以外の縁のある真言も唱えて良い。それはその真言を助けるという意味がある。しかし、初心者は中心となるものが決まっていることが大切である。