真言はただ唱えるのではなく、持念するという。
これは自分の中心となる真言を決めて日々唱えていると、だんだん自分と離れることがなくなってくる。
日常生活のなかでも、無意識的に心の中で真言を唱えているようになる。
朝起きた時に寝床の中ですぐに真言が出てくる。
そうすればしめたもので、真言の功徳が身についてきている。
故上山春平氏は、虚空蔵菩薩の真言百万遍唱えた経験からこれはまるで、貝の中に真珠の核ができたようなものだと言っている。
後は修行を積み続けていけば段々とその核が大きくなっていく。
ちなみに中心となる真言以外の縁のある真言も唱えて良い。
それはその真言を助けるという意味がある。
しかし、初心者は中心となるものが決まっていることが大切である。