気の向くままに!

思いついたことを気の向くままに記載します。限定した話題はありません。

市民が作る法律で政治資金の疑惑をなくす。

2010-01-13 21:17:44 | Weblog
小沢一朗の政治団体「陸山会」と鹿島建設、小沢一朗の個人事務所、その他建設会社に対して東京地検は一斉に家宅捜査に乗り出したようです。政治資金の問題が昨年来取りざたされていました。これだけ本格的な捜査となれば、今後民主党に与える影響は大きな物があるのでしょう。しかし、自民党政治が良いというわけではないわけです。出なければ昨年の衆議院選挙で政権交代を行わなかったでしょう。政治資金の問題は旧政治の遺物でしょう。自民党がこの問題を追及すると述べていますが、彼らにその資格があるのでしょうか。自信の政治資金を明確にすべきでしょう。小沢一朗の肩を持つつもりはありません。同じレベルであると私は見ています。それが表面的に出ているかうまく隠しているかの差でしょう。この問題を解決する方法を誰が行えるのでしょうか。それは我々国民自身であると感じます。先日新聞に市民が作る法律という話がありました。それによりますと議会に関係なく市民が法案を作り国民投票で法律とすると言う物です。これを行える環境を作る必要があります。この方法ですと議員の利害に関係なく政治資金の規制が行えます。おそらく国会議員は諸外国のこの方法を理解していたのでしょう。市民が作る法律制度を今国会で作るべきです。そうしないと間違った権力行使を議員も官僚も今後も続けるでしょう。欧米におきましてはすでに19世紀末に制定されています。我が国もこの制度を利用するようにしましょう。

書き方

2010-01-07 13:36:20 | Weblog
昨年より機会があれば字を改めて書いてみようと思い今年からやり始めてた。じっくり書いてみると改めてこのような字であったかと見直す物ばかりである。着てきた文字のいい加減さを思い知らされているのである。一つ一つ見直して練習すると結構時間がかかる。それだけいい加減にかいてきたわけでる。平仮名と片仮名で2日間かかった。全ての時間を費やしたわけではないが結構な時間を要した。滑らかに書けない分字にぎこちなさが残り見た目にも良いと言える出来栄えではない。いつになれば手なれた字になるか気の遠い話である。気長に練習して行こう。これも高校時代の後輩の影響がるのかも知れない。彼は唯一の国家試験出るペン字一級を取得している。確かに文字はうまい。書道もやっているようである。どれだけの腕目かしらない。私が判断できるレベルではない。そこまでうまくならなくてよい。人が見て読める範囲で良いのである。

市民が作る法律。

2010-01-05 11:29:02 | Weblog
欧米では市民が直接法律を作る制度があるようです。民主党の国民の手に政治を取り戻すと言うキャッチフレーズにピッタリです。この制度を検討してみては如何でしょう。議員諸氏にはどうしても自らの事になれば甘くなります。市民が作れば膜はなりません。なんだ噛んだ言い訳できません。官僚の方にも同じ事が言えます。一向に無くならない天下り、これも市民がつくれば結構早く解決そうです。市民の知恵を結集することで解決できる事は沢山あるのではないでしょうか。議員や官僚といった人たちの権威主義がはびこらない社会こそが新しい時代にふさわしい社会であろうと考えます。どのような社会を作るかはこれからの政治によるところが大きいのです。国民一人一人が、自らの不便さをより便利にする気持ちがあれば社会は更に前進します。国民一人一人が自らの権利を大切にすることが、より良い社会になります。人の権利を侵さず自らも権利を大切にし民主主義を発展させる子持ちがあれば社会は変わるのでしょう。直接政治に参加し自らの周りを改善することができれば、さらなる発展が約束されるのでしょう。

押尾容疑者の言葉

2010-01-05 07:45:00 | Weblog
押尾容疑者は記者の質問「救急車を何故呼ばなかったか」と云う物に対し「呼んだ、人に呼ぶように頼んだ、それの人が云う通りにしなかった」「俺は救命措置を行っていた」この言葉に矛盾がある。人に頼む時間がれば自分で連絡できる。ここに救命措置を行っていたためにできないと言う彼の論理に矛盾がある。私は彼を裁く立場にはないし、彼に対して憎しみを持つ物でもない。しかし、報道された矛盾は裁判などでも追及される事になると考える。彼の言動が矛盾したものであり、無罪有罪にかかわらず疑問視される事になる。これは裁判では彼にとって有益に働かない事は事実です。

紅白歌合戦

2010-01-02 06:04:21 | Weblog
年が明けると紅白の視聴率がどれだけであったと言う話題が芸能界を制圧する。我が国の国民は大みそかに紅白を見なければ犯罪者になったかの様な話し方である。各報道機関が直接国民を批判していませんが、視聴率というもので何故見ていないのだと言わんばかりです。いま40%台の視聴率はお化けであると素人ながら感じる。多くの誘惑を払いのけ紅白を見るわけです。裏番組も数多くあります。内容も充実しています。そればかりではありません。専門チャンネルも多く存在し当然趣味の番組にチャンネルを合わせるなと言っても無理であろう。その上インターネットまで登場し40%台は驚異的な数字でしょう。昨年末にも書きましたが、多くの対抗番組を撃破し40%台を稼ぎだすわけです。それが何処が悪いと言えるのでしょう。ただ民放ではこのような番組は組めないのでしょう。歌手のステータスにもなっています。それだけ国民的な紅白でありステータスでもあるわけです。この紅白を視聴率だけで判断する時代ではなくなっていると思います。その内容に注目すべきであると考えます。私個人の話をすれば孫とゲームです。遊んでおりましたし、除夜の鐘をつきたいと言う孫と寺に出かけました。何やなんやと時間が過ぎて紅白は見なかったのです。これを予想して昨年末も紅白は見ないと宣言していたわけです。おそらく今後も年末の国民的行事として高視聴率を取り続けるのでしょう。その時代の番組視聴率の最高であれば良いとすべきであると考えます。製作者側はそのような甘いことは云っていられないのでしょう。本年も昨年以上の内容ある紅白を生み出すのでしょう。