漫画屋の離れ

本ブログ「漫画屋日記」の離れブログです。構想中の作品メモに利用。

漫画の神様

2006-06-25 21:12:13 | 漫画屋としての一人言
まず、漫画の神様などというモノは存在しない。便宜上、自分の中で勝手に設けただけの話である。

一応、17才の時に漫画家を志してから自分なりに誠実に漫画というモノと向き合ってきた。しかし、最近はそうでもない。今なお、かくあるべしと確信しながら、やや斜めから、ひねくれた態度でいる自分をただすことが出来ずにいる。

最初に「漫画の神様」をおのれの中に設けたのはサンデー時代であろうか。新しい連載企画を提出しながら、待てど暮らせど返答がなく、いたずらに月日を重ねていた時期があった。なんにも出来ず、ただただ時間だけが流れ、貯金だけが無くなっていく・・・(この頃は利殖など知るべくも無い、生活これ漫画100%の頃・・・。)。

時間がもったいないと、別の企画を提出してもまだ時が余る。自分から働きかけて、やれることが何もない!何もないのに、返答はなく精神は追いつめられる。その状況で出来ることと言ったら・・・「祈る」くらいしか思いつかなかったのである。

打ち合わせのあと、『(漫画の)神様、頼むッ!連載させてくれッッ!!』と電車の出入り口の端のポール掴みつつ祈り、玄関で編集さんと電話で話した後(当時は玄関にFax付き電話を設置していた。)、祈っていた。


サンデーを離れ、あちこちで描くようになった頃、「今は目立たずに力を貯め、数年後のチャンスを待って、勝負をかける・・・!」と雌伏の思いでエネルギーを貯めていた。その頃は気づいてなかったが(当たり前のモノだったのだ)この2つの時期に前提としてあるのは、「自分の漫画家としての能力に対する信用および肯定」である。他の誰でもない、本人が自分を信じてこそ気力というモノがわき、自分を支えるのだと思う。

今、その前提が崩れている。2年ほど前、自分の思い描いたようなチャンスが来て、勝負に出た。最後のチャンスと判断しての大勝負だ。しかし、その勝負は表に出ることもなく、信じがたい段階で戦う前に泡と消えた。どんな形であれ、勝ち負けで言えば、どハッキリと『負け』た。

『漫画の神様、お前は何を考えている!?俺をおちょくって、そんなに面白いのか!?』

他の誰でもない、自分自身が「岸みきお」という作家に対する信用を失ってしまった。自分をごまかしつつ、仕事してきたがしだいに自分をごまかしきれなくなってきた。幸い?にも5月の末で仕事が途絶えた。どうなるか知らないけど、およそ積極的に仕事をする気分ではない。信用していない自分を売り込む営業は、相手に失礼だしやめよう・・・・。


今、また自分の中に『漫画の神様』が現れている。どうとでもなれッッ!と思った矢先に、どういうわけか仕事の話がやたらと来ている。かつての自分なら、「これは俺に頑張れと言うことか。」と『漫画の神様』の計らい?を素直に受け取れたのだが、今はそうは行かない。

『フン、また俺をその気にさせて、からかうつもりか・・・。』

と、どうしても、ひねた態度で斜めからモノを見てしまう。神様うんぬんとは別に、そもそも「最後のチャンスと思ったんなら、次なんてあるわけ無いだろう。」という当たり前な考えもある。最後と思ってダメだったのに、ホイホイと次の勝負とか言うのは調子が良すぎるという考えだ。だったら、大勝負と思ったアレは何だったのか。

漫画家は誰でも彼でもなれる職業ではなく、己の能力と意にそぐわず捨てざるを得ない人が大勢いるのは分かるし、知っている。自分が恵まれていることも分かっている。だが、素直にはなれない。この不遜な態度に『漫画の神様』はどのような仕打ちを返すのであろうか・・・わかっていながら、それをすることが出来ないでいる。

ただ請け負った仕事に対しては(現状での)全力を尽くす。それが読者と漫画に対する最低限の誠意だ。それをしなくては己の中にある、『漫画の神様』に文句を言う資格を失う。自分が信用していない作家の描く原稿に対して全力を尽くすという矛盾を抱えつつだが。

失った自分に対する信用は、失った原因でこそ取り返し得る。取り戻したかったら、自分には漫画を描くしかないとわかってはいるのだが・・・・。


いずれにせよ、以前とは漫画に対するつき合いを変えざるを得ない。これまでも変えてきたが・・・、『漫画の神様』と新しいつき合い方を見つけない限り、この職業を継続していくのは難しいであろう。とりあえず今の自分にはその辺が全く見えない。ただ、先の絵図ももたずに目の前のコトと向かい合うくらいしか出来ない・・・。

繰り返しになるけど『漫画の神様』などというものは存在しない。自分の中で便宜上設けているだけのモノである。

21:37...
ひと言で言って、「無様な話」ですな・・・。

最新の画像もっと見る