難しいことは考えなくてもいくて、ゆず子が今日もゆっくり眠れてお腹いっぱいご飯食べられることが平和ってやつなの
今日はたまたま人間ドックの日だったので、
平和祈念式典をじっくり観ることができました。
その時間になると、これまでに観た映画やドキュメンタリーの記憶を総動員して、あの日の今、こんなことが起きて、それからどうなるのか、
一生懸命ココロの中で再現してみる。
全然足りないし、全然ぬるいとは思うけど。
世の中はややこしいし、単純には出来ていないし、自分たちの日常が何かの犠牲の上に立っているんだと言われると確かにそうなんだろうなとも思うし、
でもねー、核兵器ってやつを使ったらどうなるのか、は、みんな知っておくべきじゃないのかな、とは、思います。
あと、式典の近くで騒いでいるヒトたち、別の日に出直してきてください。
核を持つも、持たぬも
でも、それがどういうものかは知っておくべきです
それと、対抗策・対処策がないものを使うのはダメだと思ってます
あと、戦争とかそれにまつわるアレコレに、どんな感情を持とうが、持つまいがいいけども、そこに「死」があったのなら、厳かな気持ちにはなって欲しいとおもってしまいます
今、たくさんの方が、ここを旅の目的地として来館されるんですよね。
これがたとえ一時的なことだったとしても、それを一度でも観た人と一生目にしない人とでは全く違うので、本当にありがたいことだと思います。
で、こういう土地なので政治的な活動が多いのは仕方ないとして、昔から公園内の抗議活動は「座り込み」や「ダイ・イン」のような静かな祈りを貫いて来たわけですよ。
それがここ数年この騒動。あ、言っておきますが、あの人達は、他県から来てる人ですからー。