朝、ラジオ聴いてたら、黙食とか、一人でご飯食べる子供とかあるけど、
食べたものの感想とか、オイシイとかマズいとか嫌いとかこうしたらいいとかどうしたらいいとか、
そういう話をする習慣が無いと、表現力とかボキャブラリとか気持ちを相手に伝える力とかが向上しないから、ダメ、的な話をゲストさんがしてた。
そうかも知れないなーとは思う。
うちは食事中に会話の無い家庭だったので、結婚して義理の両親が良くも悪くも旨いだのマズいだの味付けが薄いだのアレを入れたらいいだのこんなもん食えるかだの言いあってるのが軽く衝撃的だったりしたのですが。
あと、ツイッターで、何か重要な決断をする前は大好物(その人は唐揚げ)を食べて、いつも通りオイシイと思ったら自分の判断は間違いないと思い、何か美味しくない・・・と思ったら精神的にどこか参っているのでそんな時に大事な事を決めるべきではない、と判断している、という話を見た。
そうかも知れないなーと、思う。
「美味しい」は正義、かも知れない、などとどうでもいいことを思う、在宅勤務の朝でした。
食べたものの感想とか、オイシイとかマズいとか嫌いとかこうしたらいいとかどうしたらいいとか、
そういう話をする習慣が無いと、表現力とかボキャブラリとか気持ちを相手に伝える力とかが向上しないから、ダメ、的な話をゲストさんがしてた。
そうかも知れないなーとは思う。
うちは食事中に会話の無い家庭だったので、結婚して義理の両親が良くも悪くも旨いだのマズいだの味付けが薄いだのアレを入れたらいいだのこんなもん食えるかだの言いあってるのが軽く衝撃的だったりしたのですが。
あと、ツイッターで、何か重要な決断をする前は大好物(その人は唐揚げ)を食べて、いつも通りオイシイと思ったら自分の判断は間違いないと思い、何か美味しくない・・・と思ったら精神的にどこか参っているのでそんな時に大事な事を決めるべきではない、と判断している、という話を見た。
そうかも知れないなーと、思う。
「美味しい」は正義、かも知れない、などとどうでもいいことを思う、在宅勤務の朝でした。