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奥山景布子「葵の残葉」

2022年12月31日 | あ行の作家


文藝春秋
2017年12月 第1刷発行
296頁

徳川傍系である高須松平家に生まれた四人の男子
次男、徳川慶勝、尾張藩14代、17代藩主
五男、徳川茂栄、美濃国高須藩11代藩主、尾張藩15代藩主、徳川一橋家10代当主
六男、松平容保、陸奥国会津藩9代藩主、京都守護職
八男、松平定敬、伊勢国桑名藩4代藩主、京都所司代

世に有名な『高須四兄弟』が幕末から維新の動乱の中、維新派と佐幕派とに分れながら歴史を大きく動かしていく様を尾張藩主・徳川慶勝の視点で描きます

内容はおよそ知っていることばかりで新鮮さには欠けますが復習、という意味で読んで良かったです
ただ、尾張藩の内情については知らない方も多いと思いますので興味のある方は是非手に取ってもらえたら、と思います

知らなかったこと
慶勝は廃藩置県の後、愛知県旧名古屋藩士を困窮から救うため、北海道の渡島半島北部で開拓を推し進めました
入植後、慶勝が豊かで平和な理想郷建設を願い、熱田神宮の祭神須佐之男命が読んだ日本最古の和歌「八雲立つ 出雲八雲垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」を引用して八雲村と名付けられたそうで、現在の北海道二海郡八雲町へと受け継がれています
明治19年(1886年)に創建された八雲神社は全国初の熱田神宮の分社となり、大正15年(1926年)には慶勝の合祀も行われたそうです

20年以上前、家族旅行の際にハーベスター八雲に立ち寄りました
覚えているのはお天気がイマイチで満喫できなかった、です
その時、入植のことを知っていればまた違う感想を持てたことでしょう


徳川最後の将軍、慶喜が何を考え、行動していたのか
慶勝と同じく、私も問い糺したいです
慶喜は大河ドラマになったことがありますが、慶喜より慶勝のほうが余程劇的な人生を送ったのではないかしら
考えてみましたが大河ドラマに仕立てるには地味ですかねぇ

慶喜や高須四兄弟が残した『影』
葵の葉が残る限り、その影も残る
我等が成してきたことが負であったと指弾されるのなら、次の新たな葉にその償いを託していくしかない
それが葵に生まれた者の宿命なのだ


ラストでタイトルの意味が分かります
大きな時代のうねりの中
葵の家紋を背負って生まれた者たちが何を考え、生きたのか
想像するだに切なくなります


12/29 熱田神宮へ年末詣に出かけてきました
今年は国内も海外も暗い話題が多かったですが
来年こそは明るい年になりますように
 

皆さま、よい年をお迎えください!



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