カズオ・イシグロ 「わたしを離さないで」

2011年07月08日 | 読書

 キャシー・Hの独白の形をとって語られる物語は、懐かしいヘールシャムで一緒に学んだトミーとルースの友情の物語なのかと思っていると、見事に裏切られる。

 一人称で語られるのは、キャシーの性格のように常に冷静で抑制がきいていて、ヘールシャムの奇妙な生活や変わった教師たち、友人たちとの日々の会話、トラブル、子供に起こりがちなさまざまな事件とはいえないほどの出来事を、走馬灯のように思い出しながら描き出す。

 しかしそのヘールシャムがどのような場所で、生徒たちが何を目的に集められているかが少しずつ見えてくると、この小説の恐ろしさが際立ってくる。

 最初にキャシーが今している仕事について語ることがヒントにはなるが、トミーやルースが「提供者」になってキャシーと再会する第三章では、「介護人」であるキャシーと「提供者」であるトミー、ルースとの間の微妙な空気間が、運命の時がくるのを予感させながらも、ゆったり流れ、希望と絶望がごちゃ混ぜになった日々を描くことによって、より一層哀しさを描き出す。

 カズオ・イシグロの常に冷静な筆致は、どのような人物も川の流れのようにゆったり、おおらかに表現されるので、登場人物のまわりで起こっている事象は、よその世界のようにしか見えないことがある。しかし実際このような時代が来ないとは限らず、私たちは現在の科学でできることを知っているから、立場が変われば私たちは「提供者」のことを考えないようになり、近い将来、このような世界を作ってしまうかもしれない恐怖を、この小説に感じることができる。
 
 3・11のようなことが起こると、まさかこんな世界があってはならないと思うかもしれないが、自分や家族のことでいっぱいになると人間なんてどのように動くかわからない。不謹慎だが、科学が何でも可能にする時代だからこそ、起こるべくして起こったこともあるのかと思う。
かといって宗教に走るように描かないところが、カズオ・イシグロの血なのかなぁ・・と勝手に解釈している。

 あえて今いろいろな人に読んでいただきたい一冊である。