「カラヴァッジョ展」 あべのハルカス美術館

2020年02月12日 | 美術
今年もあっという間に2月です。

今日は大阪のあべのハルカス美術館で開催している「カラヴァッジョ展」と国立国際美術館の「インポッシブル・アーキテクチャー」「現代日本の美術意識」を梯子です。
展覧会も久々ですが、カラヴァッジョは東京に来ないのです。《執筆する聖ヒエロニムス》《歯を抜く人》等なかなかな見られない作品と同時代の作家の作品も並べられ、イタリアでも揃わないだろう展覧会でした。
また、「インポッシブル…」もコンペで採用されなかった設計やミース・ファンデル・ローエから安藤忠雄まで幅広く展示。あの国立競技場で残念ながら採用とならなかったザハ・ハディドの模型模型興味深く、こちらだったら日本のイメージも変わったのにと思う。

国立国際美術館




「印象派への旅 海運王の夢 バレル・コレクション」

2019年05月21日 | 美術
イギリス、グラスゴーでしか公開されていないバレル・コレクションが改装工事のため一時的に日本にきている。

印象派のドガ、セザンヌ、ルノワール、など有名な作家はもちろんだが、
ブーダン、ヤーコブ・マリス、アンリ・ファンタン=ラトゥールの作品はウィリアム・バレルの審美眼の賜物でどれも素晴らしく、当時の生活を切り取ったものだったり経済的に発展していたイギリスの勢いだったり、小さな生物への慈しみだったりを丁寧に描いている。
また、ここで、大好きなドーミエの政治や時世を切り取ったような絵に出会えたのも喜びだった!

海運で財を成したバレルがこの作品たちをグラスゴーより他に出さないのも、それぞれの作品に思い入れがあるからこそ。
今でこそ自宅にいて美術館の作品を見られる時代に、そこに行かなければ感じられないものが自然だけではなくあることの大切さを感じる。

この貴重な機会をゆっくり堪能できて本当に幸せ。《一人》で自由な時間を持てることが私には絶対必要なんだと思う。

ヤーコプ・マリス《ドルドレヒトの思い出》

「マルセル・デュシャンと日本美術」東京国立博物館

2018年12月06日 | 美術

久しぶりの東博。それもデュシャンなんて!終わる前にと、時間作っていきました。

以前キュビズムの美術展のなかで、《階段を降りる裸体No.2》が展示されたことはあったが、こんなにまとまって作品が公開されるなんて❗フィラデルフィア美術館との交流企画なので、説明も時系列で「デュシャン 人と作品」(マシュー・アフロン著)に添ったものが展示されていてわかりやすい。

じっくりと見るほどにデュシャンの特別な感性と思考、知的なエッセンス、何事にもとらわれない表現の幅に驚かされる。2度の戦争を挟んで混乱の世界の混沌を自由にいきた人。
老いて高みに取り上げられても、密かに制作されて死後に公開された《遺作》で投げかけられた表現の衝撃のなんと大きかったことか!

中学生のころにデュシャンに出会い芸術は自由なんだと思わせ、自身を表現する事で解放したいと思わせてくれた。
描くことだけではない、演じること、時に性を越えても自由でありたいと。

窮屈な田舎の暮らしから都会に憧れていた陳腐な女の子が少しだけ大人になった瞬間にデュシャンがあった。

懐かしさと嬉しさと驚きと感情がごちゃ混ぜになった一時でした。

それにしても日本美術との対比は面白かったけど取って付けたようで、別にいらなかったかな?と思う。


「建築の日本展」 森美術館

2018年09月04日 | 美術

《住居(丹下健三邸)模型》

森美術館で「建築の日本展」を観賞。というよりは体感してきた。

はじめの展示から巨大な木組。伝統的な日本建築の美からはじまり、陰影、侘びさび、出雲大社、外国から発見された様式美、海外建築家の作品の模型、今は無い丹下健三自宅の模型、SANNA、安藤忠雄などの現代建築家に至るまで、盛りだくさん。

あらゆる視点から見ることができ一部は写真撮影も可能。建築のすばらしさをじっくり堪能できる。古代から現代まで日本人の美意識のDNAはどこかで受け継がれていることを体感できた。

国内にあるその建築物(例えばイサム・ノグチ、安藤忠雄らの)を自分の目で見に行ってみたくなる展覧会だった。

「再興第100回日本美術院 院展」  東京都美術館

2015年09月18日 | 美術
 久しぶりに展覧会へ。
 またまた最終日の飛び込みで、あまり時間がなかった中、たくさんの素敵な作品に出会えました。

 秋は大作が多いので、見るのも時間がかかる。
 今回は同人の方々は分散して展示しているため、メリハリがあってよかった。
 また、最後に《特別展示表紙絵》を最後に展示していて、院展の長い歴史とその時代を感じられた。

 今回気になった作品は、

 同人より、      清水達三《海霧》、西田俊英《森の住人》、松村公嗣《うず潮》
 無鑑査ではやはりこの三人は安定している。
            武部雅子《あずける》(大観賞)、染谷香里《一葉の躊躇い》(奨励賞)、守みどり《幕間》(奨励賞)

 こんかいは同人よりもそのほかの作品に心惹かれるものが多く、
 これからの日本画の楽しみを期待させてくれるひとばかり・・・。
 
            玉井伸弥《祀》(初入選)、本多翔《玉樹》(初入選)、村上里沙《沁み入る》、
            山口裕子《きらきらひかる》、山佳代《月ノウエ 月ノシタ》、𠮷村佳洋《時の囁き》

 特に、村上里沙の水と植物の表現には、そのゆらめきとざわめきに、心が静かに引き込まれるよう。
 また、山佳代の絵には、一見何もないようなところから浮かび上る夜の深みと月の光の対比が感じられる。
 二人ともこれから注目していきたい作家です。

 いつもあーだこーだ偉そうに言うけれど、結局はすべての作品から、毎回大きな感動をいただいて、日々の活力になっているのです。
 感謝感謝です。


 
 
 

「マグリット展」 国立新美術館

2015年06月04日 | 美術
美術館にいくのも本当にごぶさたでしたので、行き方すら忘れてしまうほど

雨のせいかさほど混雑していなかったので、ゆっくり見られてよかった。

マグリットはシュールレアリスムの代表的な画家で有名だけど、
初期は、ポスターや挿絵をみればわかるように、すぐれたデザインによる
知的でエロティックな感覚の、デザイナーのようだった。

ブルトンの影響他で、のちのシュールの道に邁進するも
彼の心にも戦争の闇は深くかかわっていたのかと思うのは、戦後一時期の
印象派のような作風にも、混乱した心が逆に表れているようで、哀しい。
このころは周囲からの評価もかなり悪かったのも、仕方ないのだろう。

いつも印象に残るのは、空の青さと雲の白さを切り取った、《呪い》の
モチーフがいずれ、大作の《大家族》にも表れるように、数多くの作品の
中に使われていることだ。

明るい光と裏腹の彼の感覚に、今の私の気持ちが呼応したような一日だった。

展覧会 あれこれ、ともいえず。

2014年11月18日 | 美術
あっという間に11がつも後半になってしまい、憂鬱が日に日に増大していく。

それをなんとかやり過ごしていくしかない。


9月   「再興第99回院展」 東京都美術館
        
10月  「菱田春草展」    東京国立近代美術館

できるだけ行けてもこれだけ。とほほ・・・
でもどちらも素晴らしい空間を享受できたことをうれしく思う。

この数か月間私は何をしているのだろう。

「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である」展 ヤゲオ財団コレクションより

2014年08月19日 | 美術
面白くて、ためになることを探しているなら、ぜひ見てほしい展覧会。

台湾のヤゲオ財団のコレクションは日本で見られないような力を持った作品ばかり。
それが実際、個人の部屋やオフィスに普通に置かれている写真を見せられると、
ますます圧倒される。

美術館では収蔵しないだろう作品も、コレクターの審美眼?オメガネにかなったとなるや、
現代アートの歴史を刻む渦の中に飲み込まれる。

キーファー、ウォーホル、マーク・ロスコ、ゲルハルト・リヒター、杉本博司、
リウ・ウェイ、サンユウ、ザオ・ウーキー、フランシス・ベーコン・・・・

現代アートに詳しくなくても、流れを追っていくと、世界近代史が学べるし、
何より、アーティストの平和への希求の強さが表れていて、感動する。

常設展でも、企画展に合わせたように戦時中の藤田嗣治、岩田専太郎の大作(戦後米国に接収されのちに返還されたもの)からchim↑pomまでを一堂にみることができる。

これをこの夏休みの時期に展示できた、東京国立近代美術館におおいに拍手を送りたい。

ちなみにこれは、東近の眺めのいい部屋から撮ったお堀とビル群です。

アンドロ・エルリッヒ―ありきたりの? 金沢21世紀美術館

2014年08月05日 | 美術
《スイミング・プール》で有名になったレアンドロ・エルリッヒは金沢21世紀美術館になくてはならないアーティストの一人だが、今回の作品で益々その名を知らしめることとなるだろう。
現在、体験型の美術館が人気で、夏休みのためか子どもにも楽しめるこの美術館は、金沢の人気スポットである。
美術館というと硬いイメージを持つ人も、わけがわからないなりに錯覚の迷宮に迷いこみアーティストの術中にはまって、現代アートの虜になっていく。
《階段》では終わらない螺旋階段がずっと奥まで続くとみせて、横の扉から仕掛けがわかり、愕然とする。

《見えない庭》では反対側に写る自分によって漸く鏡だと気づきながも、その構造がわからずモヤモヤ。
《雲》の連作ではどこからどこまで厚みなのかわからずモヤモヤ。
彼の作品は、楽しく悩みながら、芸術じゃなくアートを体感して人々を魅力する一端を担っている。
それが、受け入れられたのは、古都金沢の地であるからこそだろう。
兼六園や金沢城のすぐ側で耀く現代建築の雄が、誇らしげに建っている様は、古の前田候もかくありなんと、思っているに違いない!




「非日常からの呼び声」展 ー平野啓一郎が選ぶ西洋美術の名品ー  国立西洋美術館

2014年06月25日 | 美術
外は雨。本日3番目の展覧会は、西洋美術館の収蔵作品より平野啓一郎氏がセレクトして解説するという珍しい展覧会。

いつもの学芸員のコメントとは一味違う、美術に造詣が深い作家としての視線は、作品をより面白く見ることがきて楽しい。
作家の声と芸術家との声が両方聞こえてくるようで、昔から鑑賞している収蔵作品も違った作品に思えてくる。

何度も常設展で目にしたデューラー、モローに混じって、あまり目にすることのないムンク作《雪の中の労働者たち》(個人像・寄託)や、ドーミエ作《マグダラのマリア》などを鑑賞できたことがうれしい。

そして、様々なテーマを経て最後に展示されていたクールベ作《波》。これこそが私の西洋美術鑑賞の原点。小6のころに初めて訪れた西美で、様々な絵画に触れた中、心を掴んだあの《波》。

同時に、あの時そばにいた二人の人を思い出し、涙が溢れそうになった。雨の美術館。

「ジャック・カロ展」    国立西洋美術館

2014年06月25日 | 美術
「リアリズムと奇想の劇場」なんて副題は不要。

見ればわかる。

17世紀初頭の宮廷や市民の生活情景、聖書の物語、戦争の悲惨さ、残酷な人間の性、美しく厳しい自然等々、、、細いエッチングの線一本一本に、その黒白の世界にこそ
すべてが描かれている。

ドーミエやゴヤの版画と同様、すべてを表現しようとするカロの筆致には圧倒される。

会場にムシメガネが用意されていて、細かいところまでじっくり鑑賞することができたおかげで、現代の私たちが覗く先にも、ルネサンスの時代より普遍的な人間の営みが感じられる。
美も醜も表裏一体、善悪も同様。脈々と続く人間の業を、まっすぐな視線でカロは描いている。


東京都美術館での「バルティス展」も見たが、今の私の心にはバルティスの美意識、世界観より、カロの写実が訴えるもののほうががストレートに響いた。

アントニオ・ロペス展   Bunkamura ザ・ミュージアム

2013年05月05日 | 美術
渋谷に用があって、時間が余ったので立ち寄ってみた。

アントニオ・ロペスは現代スペイン美術を代表するアーティストであり、リアリズム芸術家で世界的名声を得ている・・・らしい。日本ではこれが最初の個人としての展覧会だそうだ。

写実=リアリズムではなく、彼の作品は長い時間をかけて移り行く時間を、描いているようだ。
一番よかったのは代表作《マルメロの木》と、そのデッサンや、静物の素描。彼の芸術の高さや技術の正確さを知ることができる。

家族や友人を描いた物も多く、温かく明るい。内戦や第二次大戦を経て近代化していくスペインの街を描いた《トーレス・ブランからのマドリード》は長い時間をかけてその時の流れを切り取っている。これも又柔らかな光の中である。

それはスペインという光溢れる地形のせいか、ロペスが画家の伯父に導かれ芸術の世界に進み若くして恵まれた道を歩んできたからか、・・・あまり曇りが無く妙にあっけらかんと温かい光。
どの絵も、あまりに幸せすぎて、かえって哀しくなる。なぜか怒りすら覚えるのは自分に無いものを描いている妬みからくるのだろうか?

多くの苦しみを経てきたスペインの人たちは、ロペスの絵をどう評価しているのか聞いてみたい。


春の院展  

2013年04月24日 | 美術
すっかり葉桜となり、季節はいよいよ連休モード。
疲れがたまってブログも滞りがちですが、少しづつ始めましょうか・・

久しぶりに「春の院展」(三越新館)。

4月8日、最終日となったこの日は結構な混雑で、狭い空間に相変わらず詰め込みの展示。
せっかくのよい作品もゆっくり鑑賞できず。若手の有望な作品も見逃しかねない場所に展示していて、あまりに気の毒。
いっそ会場は三越をやめてはどうだろうか?いろいろなしがらみやいきさつがあるのだろうが、三越でこれを見せられる者としては、大いに不満である。

今回の作品の中で光っていたのは。
同人では、
 手塚雄二《花夜》 清水達三《早春》 西田俊英《晨明》、宮北千織《ねがい星》が安定した筆致で、小さい画面を大きく感じさせる。
そのほか、
 実力派の、狩俣公介《凛烈》、松村公太《段》
 絹本が珍しい 中尾泰斗《捨身飼鯉図》(初入選)、
 個性がだんだん定着してきた 古谷照美《澪つくし》、荒木みどりこ《朝》
これからの日本画を牽引するだろう
 染谷香理《on/off》、武部雅子《菜の陽》、宮下真理子《水面の呼吸》
 
以上が今回の収穫でした。もう少し新人ががんばって欲しいと思う。




「フランシス・ベーコン展」   東京国立近代美術館

2013年04月03日 | 美術
3月14日。強風の中、東近の「フランシス・ベーコン展」へ行ってきました。

あまり知識をいれずに見てきたのだが、アイルランド出身で独学で絵画を学び、独特の肖像画を描き時の人となった彼の人物を見る目が、荒涼としたアイルランドの自然を彷彿と浮かびあがらせたように感じた。

その表現は、人体をいろいろな方向から不自然なかっこうをさせて、ありえない状態を描いたり、、顔の中に穴をあけたり、白抜きにしたりと特徴的な描き方だ。

ピカソのような抽象まで行き着かず、その少し手前で人物の特徴をわざとゆがめて描くことで、独特の人物像が浮かび上がる。
色使いも鮮やかなものもあるが、ほとんどが黒、グレー、白、青、ベージュをベースにしていて、《教皇のための習作Ⅵ》《スフィンクスⅢ》などからは対象を描く際にベーコンが重きを置いていたものは、色ではなくその質感とあるがままのものとしての、自然だったことがわかる。

また、身近な人物等を描いた作品《ジョージ・ダイアの三習作》《ジョージ・エドワーズの肖像のための三習作》のように三枚一組の描き方は、角度や時間、光、表情を変えながらも、その人物を通じて、その時々の自分の中の孤独や不安を表現しているように思える。

ストレートに感情が伝わるようで、心をゆさぶられた時間だった。

たまたまだが、来場者も外国人が多く、英国にいるような感じを抱かせたのかもしれないが、会場の雰囲気が無機質で冷たく感じられたのに反し、外に出たら皇居のお堀と春の生暖かい強風が日本を強く感じさせ、妙な違和感を感じる一日だった。

芸術か否か?

2013年02月07日 | 美術
有名な写真家が逮捕されたり、会田誠の展覧会が非難を浴びたり、このところの芸術の捉え方は、昭和に戻ったかのような扱いだ。
今ごろ草葉の蔭で大島渚監督は怒っていることだろう。

確かに児童ポルノはいけないし、公共の場での露出はいかんいかん。。。

だが、見る人が自分で判断することのできる成熟した大人の社会に、日本はいつなるのだろう。ルネサンス時代、それよりずっと以前の古代ローマ時代には芸術なんて言い方じゃなく、純粋な美に対する畏敬の念があったはず。
三島由紀夫の戯曲や谷崎潤一郎の小説を、今否定する人はいないだろう。

安倍政権になって文化にまで保守的な風が吹き始めたなら、この国は終わりだ!