昔から、何度繰り返して読んだことか・・
「長いお別れ」はレイモンド・チャンドラーの中でもフィリップ・マーロウがウェットでやさしい男としてそれまでの描き方とは一線を画している。
「ロング・グッドバイ」を今回読みすすめていくうちに、たぶん現代の表現を意識して訳したと、村上氏自身もいっているとおりに、清水訳がセピアカラーの映画とすれば、現代に置き換わったカラーのテレビドラマの感じがして、最初はなかなか気持ちが入っていかなかった。
ストーリーは確かに変わらず、確かに、あえて訳さずにいたのかわからないが、前には無かった細かい描写も含まれ、より正確なものに仕上がっているし、登場人物の言葉が幾分やわらかい表現が多い。
しかし少しの違いが全体の印象に影響しているかもしれないが、読後の印象は大差は無い。
個人的には、レノックスがマイオラノスとして最後にもう一度マーロウを尋ねてくるところが一番好きな場面だ。人として友人としてもう一度会いたい人が自分にもあるように、思わせてくれる。
それが「長いお別れ」を何度も読み返す理由かもしれない。それは「ロング・グッドバイ」になってもちっとも変わりはしないのだけれど・・
「長いお別れ」はレイモンド・チャンドラーの中でもフィリップ・マーロウがウェットでやさしい男としてそれまでの描き方とは一線を画している。
「ロング・グッドバイ」を今回読みすすめていくうちに、たぶん現代の表現を意識して訳したと、村上氏自身もいっているとおりに、清水訳がセピアカラーの映画とすれば、現代に置き換わったカラーのテレビドラマの感じがして、最初はなかなか気持ちが入っていかなかった。
ストーリーは確かに変わらず、確かに、あえて訳さずにいたのかわからないが、前には無かった細かい描写も含まれ、より正確なものに仕上がっているし、登場人物の言葉が幾分やわらかい表現が多い。
しかし少しの違いが全体の印象に影響しているかもしれないが、読後の印象は大差は無い。
個人的には、レノックスがマイオラノスとして最後にもう一度マーロウを尋ねてくるところが一番好きな場面だ。人として友人としてもう一度会いたい人が自分にもあるように、思わせてくれる。
それが「長いお別れ」を何度も読み返す理由かもしれない。それは「ロング・グッドバイ」になってもちっとも変わりはしないのだけれど・・