夕暮菜日記

私的日記、教育、社会、音楽、等々について

ネパール紀行譚:アートセラピー

2010年02月17日 01時46分50秒 | ネパール紀行譚
ネパールには、物見遊山に行ったのではない。
目的あってのことだった。

中国のチベット自治区では、中国政府によるチベット仏教への弾圧が今も厳しく続いている。
その弾圧の一環として中国政府は、チベットの子ども達に漢民族としての教育を強制し、チベット語、チベット仏教などのチベット人としての教育を禁止する、ということをやっている。
「せめて子どもだけには、チベット人としての教育を受けさせたい」と願う親が、少なからぬ金額を亡命ブローカーに託し、子どもだけをネパールに亡命させる。
ネパールには、そんな亡命した子ども達の生活、勉強の世話をしている日本人がいる。
今回私は縁あって、そこで子ども達にアートセラピーを提供することになった。
それが、今回のネパール行の目的である。
観光もしたけど、それはあくまで、ついでの話。

この記事では、そのアートセラピーの様子を紹介したいのだが、、、、
一つだけお断りを。
中国政府が、チベット難民、世界中のチベット難民を支援する団体・個人等のwebページを監視しているとの話があるのだ。
そのためこのブログでは、具体的なことが何も書けないのである。
ネパールでチベットの子ども達を世話している日本人は、本当に素敵な人で、その人のことを、私は書きたくて仕方がないのだが、何が災いするかわからないので、残念ながら書かない。
写真も、子どもの顔ははっきりわからないよう、処理してある。
ご了承のほどを。

アートセラピーは昼食後に行ったのだが、冒頭の写真は、昼食時に撮影。
アートセラピー何日か前に、子ども達の間でアタマシラミが大発生して、頭髪にシラミの卵が見つかった子は、全員丸坊主にさせられたのだ。
写真の中央の子は、女の子なのに丸坊主にされてしまった。
かわいそうだが、しかたない。
かわいそうだけど。


これは昼食後の写真。
私の帽子をかぶってご満悦。

このとき子ども達は「日本語で数を数えられるようになった」と言って、10まで数えるのをみんなで披露してくれた。
「大きな栗の木の下で」も歌ってくれた。
(チベットには『歌』に相当するものがない、とのこと。『歌』っぽいものはお経しかないため、子ども達には『歌』そのものが新鮮にかんじられるとのこと。)

アートセラピーは、日本から持参したゴム風船を使ったプログラムだった。
風船を膨らませたり、踏みつけて割ったり、お尻で乗っかって割ったり、細長い風船をひねって、いろいろなカタチを作ったりして楽しんだ。
日本語を勉強しているから、という理由で教示はすべて日本語で行った。
セラピーの最中は、アートワークに夢中になっていたので、写真はほとんど撮れなかった。


割れた風船をつないでなわ跳び。
女の子には国を問わず、こういう遊びがうけるらしい。


一枚目の写真の丸坊主の女の子に、カメラを渡して彼女が撮影した写真。
この女の子は、チベットから飛行機で亡命してきた。
そのとき見たキャビンアテンダントに憧れ、将来はキャビンアテンダントになるのが夢だという。

アートセラピーは一日だけの予定だったのだが、翌日『バンダ』というストライキが始まってしまい、タクシーを含むすべての交通機関がストップしてしまった。
そのため、観光のしようがない。
しかしおかげで、もう一日子ども達と触れ合うことができた。


一日目のアートワークで風船は使い切ったと思っていたのだが、この日、なぜか子ども達が風船を持っている。
実は多くの子ども達が、ポケットに未使用の風船を忍ばせていたのだった。
流石というか、見事というか、強かというか(笑)。


何度も登場している、丸坊主の女の子。
細く裂いたスズランテープを髪に見立てて、頭に張り付けて、手ぐしで鋤いている。
やっぱり女の子!!


最後に皆で集合写真。
中央の女の子は「男の子に風船をとられた」と言って泣いている。
う~ん、日本の子どもとおんなじじゃん。

この子ども達、私が行ったときは、確かに日本の子どもと、大きくかわることはなかった。

しかし、亡命してきたばかりの頃は、画用紙とパステルを渡されても『描く』ということがわからず、画用紙を引き裂いてしまったり、パステルで文字ばかりを書いていたそうだ。
その後、毎月一回のペースで日本から4~5人のアートセラピーのチームが訪問し、セラペーを提供してきた。
私のチームで4回目。
このセラピーの積み重ねのおかげで、「日本の子どもとおんなじじゃん」と思う事ができたのだと思う。

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