緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

12月の日本橋:地下鉄東西線茅場町駅前から日本橋兜町(東京証券取引所前)まで

2012年12月12日 10時57分50秒 | 中央区全域・銀座


12月の初旬の平日、東京地下鉄東西線の茅場町(かやばちょうえき)駅にやってきました。千葉県の北西部のベッドタウンに住んでいて、東京へのアクセスとして常に東西線に乗っている緑としては、茅場町・日本橋地区は東京の玄関口に相応しい街でもあります。そんな日本橋の町並みを散策していきたいと思います。




茅場町駅の地上出口から「永代通り」を東京駅方面へ向かって散策を開始します。大通りに沿って銀行や証券会社などが密集して建ち並んでいる中を歩いていきます。日本橋茅場町地区に隣接している日本橋地区や兜町地区の銀行・証券街が拡大してきているような雰囲気です。




永代通りと平成通りが交差している「茅場町交差点」です。「茅場町」の地名の由来は江戸城拡張工事の時、神田橋付近の茅商人をここに移し、市街を開いたので、茅場町の名が生まれたとされています。




交差点からズームで大手町方向を撮影してみると、正面には旧東急百貨店日本橋店の跡地に建設された「COREDO日本橋」の巨大な高層ビルが見えました。大手町や日本橋地区では現在再開発工事による高層ビルの建設ラッシュが続いていますが、ここ茅場町地区では特に高層化などの話題はありません。




茅場町地区も古びた部類のオフィスビルが数多く建っている状況なので、近い将来に高層化による建て替え工事などが始まるのかもしれません。




茅場町交差点から平成通りに入り、東京証券取引所へ向かって歩いていきます。この通り沿いも証券会社などのオフィス街となっています。この平成通りから西側の区域は「中央区の日本橋兜町地区」と呼ばれていて、兜町の地名は東京証券取引所が設置されていることで全国的にも有名です。




日本橋兜町は経済・ビジネスとしての色が強い街で、東京証券取引所を中心とした日本を代表する金融街となっています。ロンドンのシティ、ニューヨークのウォール街、香港の中環などと並ぶ世界屈指の金融センターの一つとなっており、金融業界(特に証券業界)や、日本と世界の株式相場の代名詞ともなっています。




「兜町」は平将門の兜を埋めて塚にした所を兜山と云ったところから由来していると言われています。兜神社の縁起は平將門の兜が一番古い(伝承の中での起源)縁起ですが、他に兜神社の由来は源義家が奥州往きの途中に暴風に出会い鎧を沈めて竜神に祈って無事を祈った場所に、都への帰途兜を埋めて塚を築き埋めて神を祭ったという故事を縁起とするものもあります。




かつては沼地だった兜町付近ですが、江戸時代に入ると江戸城築城のために埋め立てが行われ、周辺は大名屋敷が立ち並びます。その時に兜橋、兜の渡しなどの地名ができました。明治に入ると明治維新の恩賞として、兜町周辺の土地を三井家等が受け取り、「兜町」と名づけられます。




渋沢栄一を中心に1871年に第一国立銀行本店が、1878年には東京証券取引所の前身である東京株式取引所が設立され、商業(金融)の街へと急速に発展していきます。1923年の関東大震災により辺りは焼け野原となりますが、震災後は近代的な街並みに一変しました。




しばらく歩くといよいよ「東京証券取引所」の建物が見えてきました。日本橋川の鎧橋の脇に建っている真っ白な大理石風の建物であり、建物の周辺は意外とひっそりとした雰囲気に包まれていました。平日の午前中の時間帯であっても活気あふれるような空気ではなかったことが少し意外です。




1949年4月1日に証券業者(後の証券会社。現在の金融商品取引業者)を会員とする東京証券取引所として設立しました。設立以来、大阪証券取引所及び名古屋証券取引所と共に「三市場」と称され、日本を代表する金融商品取引所として日本経済の成長に貢献してきました。




東京証券取引所の脇には神田川の分流である「日本橋川」が流れていて、「鎧橋」が架橋されています。日本橋川の上空には首都高速6号向島線の高架橋が走っていて、交通量が多いことが地上からでも見て取れました。




鎧橋の橋上から撮影した東京証券取引所の建物の全景です。世界的に見てもニューヨーク証券取引所やロンドン証券取引所と並んで「世界三大市場」に挙げられ、世界経済の中枢の一角を担ってきました。ただ今日では香港を「世界三大金融センター」と評価するケースが世界的に主流になっていることや、年間ベースの売買代金で上海証券取引所に抜かれています。




東京証券取引所の前身的存在である「東京株式取引所」が設立されたのは1878年(明治11年)のことです。渋沢栄一らが東京株式取引所の設立を出願し、大蔵卿大隈重信から免許を受け、正式に成立しました。1943年に全国の11株式取引所が統合され日本証券取引所となり廃止されます。旧東京株式取引所は日本証券取引所の本所となり、戦後は東京証券取引所として新たに事業を開始します。




東京証券取引所の北側を伸びている通りを歩いて江戸橋方面へ散策していきたいと思います。




鎧橋の上から振り返って茅場町方向を撮影してみました。見渡す限り、どこまでもオフィスビル街が続いているのがわかります。




地下鉄茅場町駅前から永代通りを東京駅方向へ進み、地図の中心点である茅場町交差点から平成通りを北へ進むと東京証券取引所が見えてきます。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 初冬の月島:佃大橋を渡って... | トップ | 12月の日本橋:江戸橋を通... »
最新の画像もっと見る

中央区全域・銀座」カテゴリの最新記事