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初夏の歌舞伎座:屋上庭園から五右衛門階段を通り抜けて四階回廊へ PART2

2013年06月15日 09時00分00秒 | 中央区全域・銀座


5階・屋上庭園から四階回廊へ降りることが出来る「五右衛門階段」から、歌舞伎座の建物の瓦屋根を撮影してみました。五右衛門階段の手すりは、歌舞伎座のシンボルでもある色鮮やかな赤色に塗られています。




三州瓦を積み上げて構成されている瓦屋根を真横から撮影してみました。こうしてみると、ものすごく複雑な造りになっているのが解ります。




瓦屋根全体の緩やかなラインを作るために1枚1枚すべての形が違うのだそうです。屋根のラインも直線ではなく、確かに緩やかなウェイブを描いていますね。




歌舞伎座の瓦屋根を眺める際は、天気がいい快晴の日を選んだほうがいいかもしれません。太陽の位置によって、光のあたる部分と影の部分との陰影がものすごく綺麗でした。




五右衛門階段を下から見上げて撮影してみました。瓦屋根と手すりが真っ赤に染められている五右衛門階段との対比が素晴らしいと思いました。




歌舞伎座のシンボルマークとして有名な「鳳凰丸」、歌舞伎座の屋根瓦にも刻まれているのです。




ズームで撮影してみると、鳳凰丸が一列に並んでいるのが見えました。この後は五右衛門階段を下りて「四階回廊」へ向かうことにします。




4階フロアには「一幕見席」と、「四回回廊~想い出の歌舞伎座~」の展示エリアが設置されています。このフロアの床も、歌舞伎座のシンボルである色鮮やかな赤色の絨毯が敷いてありました。




四階回廊には第一期から第四期までの歌舞伎座の建物模型が設置してあります。明治時代初期の演劇改良運動の提唱者の一人でジャーナリストの福地源一郎と金融業者の千葉勝五郎の共同経営で、1889年(明治22年)に東京市京橋区木挽町に第一期の歌舞伎座が開設されました。




1911年(明治44年)に開場した帝国劇場に対抗するため劇場の改修工事を行い、これが第二期の歌舞伎座となります。1921年(大正10年)に漏電により歌舞伎座は焼失し、直ちに再建工事始まりますが工事中に関東大震災が発生して工事はしばらく中断することになります。




1925年(大正14年)に工事は竣工し、新築の大劇場で開場式が行われました。舞台も約15間とさらに広がり、豪華な施設は関東大震災から復興した東京の新名所となりました。これが第三期の歌舞伎座です。しかし1945年(昭和20年)の東京大空襲で破壊されてしまうことになります。




戦後しばらく、歌舞伎座は廃墟の姿をさらしていたのですが、1949年(昭和24年)に株式会社歌舞伎座が設立され、松竹から建物を譲り受けて復興工事を行いました(土地所有及び歌舞伎興行は松竹が行う)。




第四期の歌舞伎座は1950年(昭和25年)に竣工し、翌1952年(昭和26年)1から歌舞伎などの演劇興行を再開しました。その後歌舞伎座も老朽化が目立つようになり、また耐震性の問題や段差解消の必要性なども指摘されるようになっていきます。2010年4月30日に閉鎖され、建て替えの再開発工事が始まることになるのです。




歌舞伎座の見学を終え、晴海通りをJR有楽町駅方向へ歩いていきます。しばらく歩くと和光銀座の時計台がシンボルである「銀座四丁目交差点」が見えてきました。




平日午前10時半過ぎの時間帯の銀座四丁目交差点です。銀座界隈の百貨店や専門店などの開店時間となり、段々人通りが多くなってきました。これで初夏の歌舞伎座の散策は終わりです。



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