1月31日(土)の朝8時過ぎ、ジェーンが天に召されていきました。
それまでの数日は体調が急激に悪くなってきて、私も熟睡できない日々でした。
心臓が悪いため、静かに寝かせて往診を何度もお願いし、点滴や注射をしてもらっていましたが、30日(金)の夜は異常なほど鳴きました。
ふだんは声が出ない子で、メマイで倒れるときだけ悲痛な叫び声をあげるのでしたが、その夜は度々叫び、そのたびにそばへ行ってスポイトで水を流し込んでやったりマッサージをしたりして落ち着かせていました。 二階の寝室は不便なので、居間のソファーで仮眠をとりながらジェーンを見ていました。
31日の朝、朝食の準備をしていたときの叫び声は、まるで私を呼んでいるようで、「ママ、ママ~」と言っているように聞こえました。 グッタリしているジェーンの頭を抱き上げて水や流動食を少し流し込んで、撫でていると、ずっと苦しそうに呼吸していた回数が急に減り、危ないと感じたので娘を呼びました。
鼓動を確かめながら呼びかけていると、数回手足を痙攣させて呼吸が止まりました。
私は涙や鼻水でグチャグチャになりながら、「ママここにいるよ。 Fもそばにいるよ。」と言った数秒後、激しかった心臓の動きが止まりました。 私と娘に撫でられながら、もう苦しそうではなく、穏やかな顔で逝きました。
先日からずっと、お祈りしていました。
「あまりひどく苦しまないように連れていってください。でも、私がそばにいるときにお願いします。」と。
望んだとおりの最期でしたから、神様に感謝しました。
ジェーンの呼吸が止まる前に、ジェーンにも何度もお礼を言いました。
うちの子でいてくれてありがとう。
長い間、幸せにしてくれてありがとう。
苦しいのに我慢してがんばってくれてありがとう。
ちゃんとママを呼んでくれてありがとう。
娘と二人で思い切り泣きました。
その日は、珍しく家族三人そろっていました。 夫は雨になる予報だからとゴルフに行かなかったし、娘は出勤前だったし。
獣医さんに連絡すると、可愛い色のお花が届きました。
娘と息子が昔使っていたハンカチと私のお気に入りのハンカチを首に。
掛け布団代わりにしていた私の大好きなボーダーのセーターを体に。
きれいなピンクの新しいガーゼタオルで全身を包んでやりました。
ジェーンは瀬戸っ子だからと、瀬戸市の火葬場を探したら、隣の市にしか見つからず、仕方なく予約してみたら、事務所とは違って火葬場は瀬戸市だったのでした。
大きな観音様が立っているきれいな墓地。
火葬場へ行って帰ってくるまで、雨になるという天気予報を裏切って、不思議なほど暖かく穏やかに晴れていました。
何もかも承知していたようなジェーンの、親孝行な最期でした。
葬儀もお墓も断って、お骨だけかわいい骨壷に入れてもらってきました。
ジェーンが走り回っていた庭に、かわいいお墓を作るつもりです。
その後、私はわざと一所懸命忙しく家事をしたり絵本を描いたりしていますが、すぐにジェーンを探してしまいます。 物音がしたらジェーン部屋を見に行ったり、名前を呼んでみたり。 家や車の中に、まだジェーンの匂いが残っています。
居間に座ると、散歩の催促をするジェーンが首をかしげてベランダから覗いているような気がします。
外出先から急いで帰るクセがついていて、急いで帰ってきたら、門のところにジェーンが迎えにきているような気がします。
玄関ドアにもたれて座っていることが多かったので、玄関ドアをそぉっとゆっくり開けるクセも。
親孝行だったし、ひどい苦しみから解放されたのだし、天国にいるはずの私の父親に会えただろうし、・・・悲しんでばかりいてはいけないとわかっていますが・・・悲しみというより、なんだか悪夢の中にいるようで、涙の沁みる腫れた目をしてフラフラしています。
さよなら、ジェーン。
また会えるときまで、ママはがんばる。
それまでの数日は体調が急激に悪くなってきて、私も熟睡できない日々でした。
心臓が悪いため、静かに寝かせて往診を何度もお願いし、点滴や注射をしてもらっていましたが、30日(金)の夜は異常なほど鳴きました。
ふだんは声が出ない子で、メマイで倒れるときだけ悲痛な叫び声をあげるのでしたが、その夜は度々叫び、そのたびにそばへ行ってスポイトで水を流し込んでやったりマッサージをしたりして落ち着かせていました。 二階の寝室は不便なので、居間のソファーで仮眠をとりながらジェーンを見ていました。
31日の朝、朝食の準備をしていたときの叫び声は、まるで私を呼んでいるようで、「ママ、ママ~」と言っているように聞こえました。 グッタリしているジェーンの頭を抱き上げて水や流動食を少し流し込んで、撫でていると、ずっと苦しそうに呼吸していた回数が急に減り、危ないと感じたので娘を呼びました。
鼓動を確かめながら呼びかけていると、数回手足を痙攣させて呼吸が止まりました。
私は涙や鼻水でグチャグチャになりながら、「ママここにいるよ。 Fもそばにいるよ。」と言った数秒後、激しかった心臓の動きが止まりました。 私と娘に撫でられながら、もう苦しそうではなく、穏やかな顔で逝きました。
先日からずっと、お祈りしていました。
「あまりひどく苦しまないように連れていってください。でも、私がそばにいるときにお願いします。」と。
望んだとおりの最期でしたから、神様に感謝しました。
ジェーンの呼吸が止まる前に、ジェーンにも何度もお礼を言いました。
うちの子でいてくれてありがとう。
長い間、幸せにしてくれてありがとう。
苦しいのに我慢してがんばってくれてありがとう。
ちゃんとママを呼んでくれてありがとう。
娘と二人で思い切り泣きました。
その日は、珍しく家族三人そろっていました。 夫は雨になる予報だからとゴルフに行かなかったし、娘は出勤前だったし。
獣医さんに連絡すると、可愛い色のお花が届きました。
娘と息子が昔使っていたハンカチと私のお気に入りのハンカチを首に。
掛け布団代わりにしていた私の大好きなボーダーのセーターを体に。
きれいなピンクの新しいガーゼタオルで全身を包んでやりました。

ジェーンは瀬戸っ子だからと、瀬戸市の火葬場を探したら、隣の市にしか見つからず、仕方なく予約してみたら、事務所とは違って火葬場は瀬戸市だったのでした。
大きな観音様が立っているきれいな墓地。
火葬場へ行って帰ってくるまで、雨になるという天気予報を裏切って、不思議なほど暖かく穏やかに晴れていました。

何もかも承知していたようなジェーンの、親孝行な最期でした。
葬儀もお墓も断って、お骨だけかわいい骨壷に入れてもらってきました。
ジェーンが走り回っていた庭に、かわいいお墓を作るつもりです。
その後、私はわざと一所懸命忙しく家事をしたり絵本を描いたりしていますが、すぐにジェーンを探してしまいます。 物音がしたらジェーン部屋を見に行ったり、名前を呼んでみたり。 家や車の中に、まだジェーンの匂いが残っています。
居間に座ると、散歩の催促をするジェーンが首をかしげてベランダから覗いているような気がします。
外出先から急いで帰るクセがついていて、急いで帰ってきたら、門のところにジェーンが迎えにきているような気がします。
玄関ドアにもたれて座っていることが多かったので、玄関ドアをそぉっとゆっくり開けるクセも。
親孝行だったし、ひどい苦しみから解放されたのだし、天国にいるはずの私の父親に会えただろうし、・・・悲しんでばかりいてはいけないとわかっていますが・・・悲しみというより、なんだか悪夢の中にいるようで、涙の沁みる腫れた目をしてフラフラしています。
さよなら、ジェーン。
また会えるときまで、ママはがんばる。