『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』の著者トルストイは非暴力主義として知られています。この番組では日露戦争(1904-1905)の勃発にあたって、投稿した40ページにもわたる論文『汝、殺すなかれ』を中心に、トルストイが貫いた姿勢を探っていきます。
「また戦争だ。また誰にも必要のない苦しみだ。人間の野獣化だ。かたや殺生を禁じられている仏教徒、かたや友愛を旨とするキリスト教徒。双方が野獣のように残酷に殺し合い苦しめるために、お互いを探し回る」
トルストイはロシア帝政時代、由緒正しい伯爵家の子息として生まれました。しかしその生活に彼は馴染めず、農民の生活にむしろあこがれます。土を愛し、そのときに初めて呼吸ができるような気持ちにさえなったようです。しかし彼の生い立ちゆえにそれは許されることなく、ジレンマの中で苦しみます。文壇で成功をおさめた後も、その立場は変わることなく、農民の解放を訴え続け、非暴力を説き続けます。当時、ロマノフ王朝ニコライ2世ともロシア正教とも真っ向から対立しますが、彼には世論という見方があり、ロシアには2人の皇帝がいるとまで言われました。
「皇帝は軍隊を閲兵し、表彰し、新聞は恥知らずの敗北を勝利だと偽っている。日本においても同様だ。兵士は戦闘を止め、新聞は扇動を止め、この絶望から脱却しよう。不幸な両国の国民たちが、家族から引き離され苦しんでいる。無慈悲で神を畏れぬ皇帝たち、大臣たちのお前たちが、砲弾の中に行け!だが我々はごめんだ。行きはせぬ!」
論文はロシアでは発行が禁じられますが、イギリスのタイムズ紙に掲載され、世界中に大きな反響を呼び起こします。トルストイに大きな影響を受けたガンジーは、非暴力主義を貫き、南アフリカにトルストイ農園を作っています。
徳富蘆花がトルストイ宅に5日間滞在したときのトルストイの言葉です。
「土を耕し他の力に頼ることなく生活するものが国の力である。ロシアの国力は兵力ではない。その鍬(くわ)である。私がロシアを愛し、信じるのはそのためである」
※ETV特集「殺すことなかれ~没後100年 トルストイの遺言~」
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
「また戦争だ。また誰にも必要のない苦しみだ。人間の野獣化だ。かたや殺生を禁じられている仏教徒、かたや友愛を旨とするキリスト教徒。双方が野獣のように残酷に殺し合い苦しめるために、お互いを探し回る」
トルストイはロシア帝政時代、由緒正しい伯爵家の子息として生まれました。しかしその生活に彼は馴染めず、農民の生活にむしろあこがれます。土を愛し、そのときに初めて呼吸ができるような気持ちにさえなったようです。しかし彼の生い立ちゆえにそれは許されることなく、ジレンマの中で苦しみます。文壇で成功をおさめた後も、その立場は変わることなく、農民の解放を訴え続け、非暴力を説き続けます。当時、ロマノフ王朝ニコライ2世ともロシア正教とも真っ向から対立しますが、彼には世論という見方があり、ロシアには2人の皇帝がいるとまで言われました。
「皇帝は軍隊を閲兵し、表彰し、新聞は恥知らずの敗北を勝利だと偽っている。日本においても同様だ。兵士は戦闘を止め、新聞は扇動を止め、この絶望から脱却しよう。不幸な両国の国民たちが、家族から引き離され苦しんでいる。無慈悲で神を畏れぬ皇帝たち、大臣たちのお前たちが、砲弾の中に行け!だが我々はごめんだ。行きはせぬ!」
論文はロシアでは発行が禁じられますが、イギリスのタイムズ紙に掲載され、世界中に大きな反響を呼び起こします。トルストイに大きな影響を受けたガンジーは、非暴力主義を貫き、南アフリカにトルストイ農園を作っています。
徳富蘆花がトルストイ宅に5日間滞在したときのトルストイの言葉です。
「土を耕し他の力に頼ることなく生活するものが国の力である。ロシアの国力は兵力ではない。その鍬(くわ)である。私がロシアを愛し、信じるのはそのためである」
※ETV特集「殺すことなかれ~没後100年 トルストイの遺言~」
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
この番組を見逃してしまったのは、かえすがえす残念です(オンデマンドは都合で利用できず、再放送の予定もない)。
トルストイの思想を実践した、北御門二郎の訳本を持っています。『イワンの馬鹿』を読むと、暴力に暴力で対してはいけないとよくわかります。
トルストイの思想を世界中の人が実践すれば、地球は平和になるのにと思わずにいられません。
トルストイについては、実はあまり知らなかったのですが、いい番組に出会えました。
非暴力については、その思想がさらに引き継がれ理解されることを願っています。