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Pianist 池田みどり

ピアニスト池田みどりの四苦八苦をまるごとお見せします。
http://www.hi-ho.ne.jp/~midopi/

原子炉で何が起きていたのか?~炉心溶融・水素爆発の真相に迫る

2011-09-24 | 東日本大震災
9月3日放送分のサイエンスZERO。
未だに福島原発事故は収束していない。
現在も原子炉内部は放射能が高く、実際にどうなっているかを確認できない状態である。
事故原因の検証が進む中、半年経って見えて来たものとは…

【メルトダウンはどのようにして起こったのか】
●内藤正則エネルギー総合工学研究所部長による詳細なデータからのシミレーション(計算方法サムソンによる)
3月11日14:46)震度6を感知、1号機では燃料集合体には制御棒が挿入され原子炉は緊急停止される。
しかし燃料内の原子は放射線は出し続け、崩壊熱が発生。原子炉圧力容器は高熱になるため、非常用の冷却装置ICが働く。
14:52)冷却機能は働いていたと思われる。急激な冷却を防ぐため、
15:03)手動でICを停止している。この時点ではまだ冷温停止が可能と考えられていた。
15:37)高さ15mの津波によって、1号機の電源はすべてを喪失。原子炉内の状態を確認できなくなる。
ここからはシミュレーションによるもの:
燃料冷却用の水位が下がり、燃料全体がむき出しになり、空焚きの状態となる。
17:03)2900度まで熱せられた燃料は溶けだし、40分続いた後、メルトダウンが始まった。
溶けだした燃料は圧力容器の底部に溜まり、底部を貫通する炉内計装管が溶け、直径5㎝の穴が開く。
19:37)格納容器に燃料が漏れだし、メルトスルーが起きる。
21:21)燃料はすべて溶け、85%の燃料は格納容器の底に落ちるメルトスルーが起きていた。

【水素爆発を招いた原子炉の弱点】
●日本原子力研究開発機構 平野雅司センター長による解明:
3月12日14:30)格納容器の圧力は設計上最高圧力の約2倍の7.4に達して安定していることから、水素が漏れ出していたと考えられる。同時に屋外でも高い放射能が検知されている。
1970年代から格納容器の水素が漏れ出す設計上の欠点が指摘されていた。
格納器ヘッド部分は燃料交換のために開けられる構造になっており、シリコンゴムをボルトで締めて蓋をしている。しかし圧力が限界を超えると隙間ができ、高温によりシリコンゴムが劣化し気体が漏れ出す。他にもいくつか漏れ出す原因がある。

福島の人たちの心に重くのしかかったままの原発事故の影響。
見えない放射能、見えない方針、見えない未来…
※サイエンスZERO http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp358.html

***************
今日の日記です。

【9月23日 13:00~】会員になっている小僧SNS村のインタビューを受けました。
小僧SNSを紹介してくれたのは、なんとニューヨークで出会ったある男性。
その人と小僧事務局の女性がつながってました。
それだけでなく、とんでもないところでも彼女とつながっていて、びっくり。
小僧のメンバーには、コメントなどいつも励まされています。
ここの人材はすばらしい。飲み会などもよく行われて、フェイス・トゥ・フェイスが大切にされているSNSです。
記事は来週、「私の小僧ライフ」にアップされる予定。
※小僧SNS村「私の小僧ライフ」 http://www.kozocom.com/html/kozolife/

【9月23日 20:00~】ヨコハマ経済新聞編集長でもある杉浦裕樹氏発行の、”デイリー yokohamalab”紙で、昨日の私のブログ「Why not ワーグナー?〜イスラエル室内管弦楽団の60日」がワールドのカテゴリーで取り上げられました。
※デイリーyokohamalab  http://paper.li/sgiur/yokohamalab#

大槌町に行って来ました

2011-08-31 | 東日本大震災
”Tokyo de Volunteer”のボランティア要員として、今回初参加し、被災地・大槌町に行って来ました。”Tokyo de Volunteer”は高齢者の方々にメイクアップやヘアーカットを提供し、心に張りを取り戻して頂く非営利団体。美容中はみなさん、心をほぐしていろいろなお話をされるようです。傾聴活動にもつながるかもしれません。

29日夜、横浜を発ち東京からのメンバーと合流。仙台からのボランティアとも合流して、総勢22名がバスで移動。車内泊です。このバスはコスメのファンケルさんが提供。同社からはボランティアが数名参加しています。
時間調整もあり、大槌町に到着したのは、12時間後の8時すぎ。

 大槌町は、村長さん一同村役場が津波の被害に会い、もっとも復旧の遅れている地区です。バスがこの地域に入ると瓦礫の山と、被害のままの状態が目の前に広がり、言葉を失います。

 写真は広地に見えますが、一面が住宅の跡です。ここからは海さえ見えません。小高い丘のような場所でさえ、家ごと波にさらわれました。
 副村長さんが震災後復旧に努めて来ましたが、体調を崩し、新しい村長さんが決まったばかりのようです。町民の強い希望で選挙も行なわれることになりました。

 さて、ここで2斑に分かれ、最初のグループは仮設住宅での、ビューティーケア、私たちのグループは「ケアプラザおおつち」に向かいました。ここで働く女性の娘さんが、今回この施設を紹介して下さって、ボランティアに参加しています。入居者は約百数名、介護に携わる人は約60名と、手厚い対応です。

 メイクさんは2箇所、ヘアカットは1箇所に分かれ、早速ビューティーケアが始まります。
 
 私はあまり使ったことがないというピアノの鍵を開けて、ジャズで、まずはBGM。すぐに幾人かの方々が集まって来ました。さて、それでは、ご一緒に歌いましょうと、「上を向いて歩こう」を始めると、次々に人が増えていき、合唱になりました。声が枯れそうになるまで私も熱唱。
 認知症の方々の部屋には、ピアノがありません。持参したピアニカを持って出張です。ここでも歌が始まると、部屋中のみなさん一緒になって歌ってくださいました。やっぱり音楽にはチカラがあると、実感。

 ボランティア仲間からも、音楽があると違うので、頻繁に参加して欲しいとの要望を頂きました。うれしいですね。

Tokyo de Volunteerはどなたでも気軽に参加頂けます。
http://www.nydevolunteer.org/TKdV/

Summer Time @ いわき

2011-07-11 | 東日本大震災

 いわきでのチャリティーコンサートを終えました。

 このチャリティーのきっかけは、グランパークホテルエクセルいわきの支配人がたまたま道で会った富岡高校の学生と会話をしたのがきっかけです。閉校をせざるを得なかった学生たちは、バラバラになり、約半数がサテライト校桜ケ丘高校に通っており、すべての授業を受けることができているそうです。
 コンサートは教頭先生がいらして、お礼の言葉をいただきました。
 ※グランパークホテルエクセルいわき
 http://www.grandpark-ex.jp/iwaki/

 出演する私たちにとっても、このような企画に参加させていただくがうれしくて、いつものライブとは一味違う気持ちでした。

 私たちのステージ1曲目は、Summer Timeを選びました。これについてはつい先日、”Jazz on Youtube”シリーズで楽曲について調べて書きましたので、ご覧ください。
 ※“Ella Fitzgerald - "Summertime"”
  http://www.inamori-method.com/blog/index.php?ID=99 

 その後は、暖みえこさんのジャズとカンツォーネで…。いつも歌伴のときは、かなりコントロールをするのですが、今回のディナーショーはもう少しざっくばらんな感じだったので、思いっきり弾いちゃいました。客席からも「みどりちゃん!」の歓声をいただき、さらに乗ってしまったのであります。

 ステージが終わってから、打ち上げの席ではいつの間にかセッションが始まってました。気分よく酔っ払った私は、ドラムを叩くわ、歌を歌うわ、ピアノを弾くわで、舞台の上を飛び回っておりました。

 このチャリティー資金で、来週の日曜日には、被災した富岡高校の学生たちが、グランパークホテルエクセルいわきのランチバイキングをたらふく食べる予定です。このような機会をいただいた、ホテル支配人とバー・クイーンの方々、共演したミュージシャン、そして何よりいわきのみなさんに、ありがとう!!

 ★明日7月11日は共演したギタリストの村重光敏さんが、バークイーンで今西太一さんのオープンアウトLIVEをやります。
 ※バークイーン http://www.bar-queen.jp/

 ★7月14日からは各地で、彼の家族が主演するドキュメンタリー映画、『10年後の空へ』が無料公開されます。この映画は海外で話題になっており、ウォールストリートジャーナルからの取材も受けたそうです。
 ※上映日程 http://koshiishi.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/10-2bb2.html

10年後の空へ [予告編]

 


被災者応援 チャリティーショー@いわきに出演します。

2011-07-07 | 東日本大震災

 いわきの富岡高校は被災しやむなく閉校となりました。やむなくサテライト高校として桜ケ丘高校に転校しています。生徒たちの多くは避難所暮らしをしているそうです。彼らを元気づけたいということで、グランパークホテル・エクセルいわきが企画し、生徒たちをホテルのランチバイキングにご招待しようという企画を立てました。このランチ・バイキングはランチにはもったいないほどの、盛りだくさんのおいしいメニューがずらり。おなかいっぱいになるまで食べ放題で、地元でも人気のバイキングです。


 そのための募金のためのチャリティーショーに、出演してほしいとのオファーを受けました。お客様にはホテルでのディナーを楽しんでいただいた後、地階のライブハウス バー・クイーンでのショーをご覧いただくと云う企画です。ショーは第一部がフラダンスショー。第二部にジャズ・カンツォーネショーがあります。

 被災地の方々のお役に立てる企画に参加できてうれしいです。

 
【被災者応援チャリティーショー】
●日時: 7月9日(土)18:00~
●プログラム: 18:00~ ディナータイム(ホテル3階大宴会場「さくら」)
        19:30~ (地下1階バー・クイーン)
             第1部 フラダンスショー(永山久夫とアロハトーガンズ&フラダンスチーム)
             第2部 ジャズ・カンツォーネショー(暖みえこ(Vo) 池田みどり(Pf)
●会費: 8000円
●主催:グランパークホテルエクセルいわき http://www.grandpark-ex.jp/iwaki/
●共催:バー・クイーン http://www.bar-queen.jp/
ryoukainn

※毎週土曜日出演の魔人屋は鍛冶ひろみさんがピアノです。


いわきから戻りました。

2011-07-05 | 東日本大震災
 いわきの友人のボーカル教室の発表会のため、木曜日にリハーサル~楽譜の修正・整理、日曜日に本番と2回に分けて、行ってきました。毎年やっている仕事ですが、今年は特に生徒さんたちの音楽への思い入れが強かったように思います。リハーサルでドキドキしていた方たちが、本番では気合いが入ってすばらしい出来でした。ひとりひとりのコメントにも、「こんな時だからこそ、音楽をやりたい」という想いの深さがこもっていました。難曲も多かった中で、大きな成果を感じるコンサートになりました。

 楽しみなのはもちろん、バンドマンとの打ち上げ。これはミュージシャン世界共通でしょうね。いわきでは集まるとどうしても震災がらみか、原発がらみの話になります。それだけ彼らの心には重荷なっている話題でもあります。そして、頻繁にいわきに行っている私にとっても、毎回新しい情報を知ることになります。

 津波被害にあった他県に比べ、福島は原発の問題を抱えたままのため、復興が遅れています。道路はまだ波を打ったままの状態ですが、一部は修復されているものの、多くはまた震災が起こる可能性があるということで、そのままの状態。かなり徐行しないと危険なほどの状態のままです。

 ・小学生を子どもに持つ母親の話:給食に福島産の野菜が出る。心配なので「子どもにだけは安全な野菜を食べさせたい」と訴えたところ、「上からの決まりで、それはできない」の一点張り。困った親が弁当をもたせる場合があるが、子どもたちの中で仲間外れになることもあり、問題になっている。

 ・浜岡原発近くに福島ナンバーの車で行った人がいる。ガソリンスタンドでは給油を断れれた。コンビニの駐車場に止めると、「ここに止めるな」と言われ、買い物から戻ると車の窓ガラスが壊されていた。

 ・ある大工さんの話①:瓦が落ちて修理を待っている家が多くあるが、商品がないためブルーシートに土嚢で抑えている状態。2~3カ月で耐久性がなくなるため、張り替えなくてはならない。
 ・ある大工さんの話②:家屋損傷の補償の対象は厳しく決められている。たとえば外階段は補償対象にならない。外階段でないと2階に行けない家があったが、役所が取り合わず、彼が家主に代わって直談判したが、かなり上層部までかけあわないと例外さえ認めてもらえなかった。
 ・ある大工さんの話③:困っている家主たちに「すぐに修理します」と言って、名刺を渡す業者。前金数十万円を払い込むと、もう連絡が取れなくなるという詐欺が横行している。くれぐれも気をつけてください。

 ※ここで宣伝。いわきに住む友人は津波で住む家をなくしました。彼の息子「空ちゃん」はお母さんと沖縄に避難しました。受け入れてくれたのは、ある映画監督でした。子どもが主人公になり、ドキュメンタリー映画が作られました。父親はいわきを見捨てることはできないと、現地にひとり戻り、被災者のために働いています。この映画はいわきで、無料で公開されます。監督がいわきの人からお金は取れないという理由で無料になったそうです。予告編は以下をご覧ください。
 ドキュメンタリー映画『10年後の空へ』予告編

10年後の空へ [予告編]


NHKスペシャル「シリーズ 原発危機」第1回 事故はなぜ深刻化したのか

2011-06-14 | 東日本大震災
2011年6月5日(日) 21:00~21:58 再放送 6月13日
http://www.nhk.or.jp/special/onair/110605.html

今まで見ることのなかった原発内部の様子、事故当時の映像、そして責任を負う関係者へのインタビュー。時系列で出来事と当事者のインタビューをまとめており、初めて事故の全容が見えたように思います。長くなりますが、記録しました。

【遅れた緊急事態宣言】
●2011年3月11日 午後2時46分 マグニチュード9.0の大地震が発生。原子炉は緊急停止。大きな揺れにより発電所そのものが停電になる。
●午後3時42分 高さ15mの津波が襲う。非常用の発電機・バッテリーが水没し使用不可になる。国も東京電力も全電源の喪失は、想定外だった。
※原発技術者のインタビュー:電気も消えて、非常灯も消えて、「ああ、これは終わりかなと思った」
電源を失うと、核燃料を冷やす水を供給するポンプが止まり、原子炉が空焚きになるため、危険な状態になる。
★緊急対応ガイドライン)緊急事態発生の場合:東京電力は15分以内に原子力安全保安院に通報→官邸に通報し、総理大臣が直ちに原子力緊急事態宣言をすることになっている。
●午後4時45分 東京電力本店で事故対応の指揮を取っていた小森常務、国に緊急事態通報。
※小森明生(東京電力常務)インタビュー:当初、非常用の電力はまだ機能していると思った。
●午後5時30分 保安院から官邸に通報
※寺坂信昭(保安院長)インタビュー:情報の確認などに一定の時間が必要だった。
●午後6時12分 海江田大臣と菅首相との緊急事態対応会議にはいる予定が、党首会議があったため中断をすることになる。
※海江田万里(経済産業大臣)インタビュー:菅首相に緊急対応の手続きの説明をしている間に、党首会議が入ってしまった。
●午後7時3分 原子力緊急事態宣言発令

【"唯一の対策” 電源車作戦】
官邸地下の危機管理センター内で限られた人員で迅速に意思決定をすることとなる。
(総理大臣・官房長官・官房副長官・経済産業大臣・総理大臣補佐官・原子力安全保安院・原子力安全委員会・東京電力)
東京電力の要求:電源車の確保
※寺田学(総理大臣補佐官)インタビュー:事業者である東京電力からの要求なので、最善を尽くして電源車の確保にあたった。
※菅首相:電源車の確保をすべてに優先させろ
●午後9時すぎ 電源車到着 その後50台以上の電源車が集められた
※免震棟にいた技術者のインタビュー:ケーブルをつなぐのにもたついていた。電源を持ってくれば済むと思ってたんだろうけど、なかなかうまくいかなかった。
ケーブルが届かない、コネクタが合わないなどのトラブルが続出。
●午後10時すぎ 一部の電源がようやくつながる。しかし原発の電気系統自体の故障で、冷却装置は動かないことが判明。
※小森常務:「これが一番ショックでした。危機的な状況に入ってしまったと…」
※福山哲郎(内閣官房副長官):総理も私も電源を確保し冷却機能を復活させればと考えていたので、電源確保しか頭になかった。

【致命的なベントの遅れ】
原子炉建屋内での放射線量が異常に高くなったため、所長命令で立ち入り禁止に。
※免震棟にいた技術者:これは被爆は免れないと思いました。そのあたりからだんだん怖くなった。思ってたより事態は深刻だなと思った。
※斑目春樹(原子力安全委員会委員長):メルトダウンを起こさないために、一刻も早くベントを行うことを提案
★ベント)気圧を抜いて圧力を下げる操作。格納容器からつながる弁を開けるため、外部に放射能物質を飛散させ、周辺住民を被爆させる恐れがある。
●3月12日 午前0時すぎ 東京電力 ベントを決断(世界でも実施したことのない事態)
※免震棟にいた技術者:ベントは最終手段なので、ただごとではないと思った。
●午前1時半 政府 東京電力にベントを指示
●午前3時5分 海江田大臣・東京電力の共同会見にて、ベントを行うことを宣言。
しかし操作指示書には電動弁でのベント方法しか示されておらず、電源のない状態ではどのように作業するかがわからない。
設計図を開き、一から検討するしかなかった。暗闇の中で手動で弁を開く方法しかなく、そのために多くの時間が費やされた。
また周辺住民の避難の確認にも手間どっていた。
●午前4時 大熊町役場にに送信されたファックスの内容:原発から4.29Kmの地点での放射線量は最大28ミリシーベルトの被ばくが予測される。
※海江田大臣:なぜ指示を出したのにベントが行われないのかと、東京電力になんども要求したところ、大気中に放射能が飛散するというので、それでは国の責任の元でベントをしてもらおうと決断した。
●午前6時50分 政府、法律に基づきベント命令 
菅首相、現場に向かう 
※機内での菅首相と斑目委員長との会話:菅首相「ベントが遅れたらどうなるんだ」斑目委員長「化学反応が起きて水素が発生します。それでも大丈夫です。水素は格納容器に逃げます」菅首相「その水素は格納容器で爆発しないのか」斑目委員長「大丈夫です。格納容器は窒素で満たされているので爆発はしません」
※斑目委員長:私としては格納容器だけは守るべくベントをぜひやるように指示してくださいとずっと申し上げました。
★しかし、この時水素は格納容器から漏れ出していた。
●午前9時4分 ベント作業開始
放射線量は異常に高く20分しか作業できない。6人が作業に入った。作業員は最大106ミリシーベルトを被爆。
●午後2時30分 排気筒からの白い煙により、ベント実施を確認
●午後3時30分ごろ 1号機水素爆発
※斑目委員長:建物が水素爆発するとは思いませんでした。私の実力不足だと思いますが、あの時点で水素爆発を予測できた人はそんなに多くはないと思います。
※海江田大臣:こちらの意思が現場に伝えることができなかったことがたいへん残念です。

【問われる国民への情報伝達】
●午後4時ごろ 官邸:政府高官「爆発は本当なのか?」東京電力「見間違いじゃないですか?確認します」
確認が取れたのは5時ごろ。保安院に対し、官邸を通してから発表するよう厳しいチェックが入る。
※避難した女性:断水していたので、水をもらいに外で並んでいたら、背中で爆発音がした。「原発が爆発したから逃げろ」と言われた。
渋滞のため、30分で移動できる距離に4時間半かかった。放射性物質の流れる予想図は公表されなかったため、防災無線の指示に従い、放射能の高い方向に逃げてしまった。
●午後8時32分 菅首相会見:爆発の発表と避難の指示
避難指示は3Km、10Km、20Kmと拡大したが、安全に必要な情報は十分に住民に伝えられなかった。

【危機管理 止まらぬ負の連鎖】
●午後9時すぎ 菅首相、情報が錯綜する中、連携に不信感を募らせ、大学時代の友人にアドバイスを求める。
※日比野靖(内閣官房参与に任命):東京電力も保安院も原子力安全委員会も、これからどうなるかということについて、何も言わないことが、総理としては一番不満だったと思う。
●3月13日 午前5時10分 3号機冷却機能喪失
●官邸)午前11時ごろ 外部専門家たちが官邸に招集される。
※菅首相「3号機はこれからどうなるんだ」原子力プラントメーカー社長「3号機の建屋も爆発すると思います」「なんとか水素は抜けないのか」「建屋に穴を開けようとしても火花が散って引火のおそれがあります。無理です」
※東電協力会社幹部:シュミレーションでは爆発までのわずかな時間しかないという予測は出ていました。
現場でも情報が錯綜し、情報共有ができなくなっていた。
●3月14日 午前7時ごろ 自衛隊へ3号機への注水作業要請 水素爆発の危険性は伝えられず。
●午前11時1分 3号機水素爆発 
※自衛隊員:車を降りようとした瞬間、爆風が右側から来ました。次の瞬間、上から瓦礫が落ちてきました。(隊員4人が重軽傷を負う)
●午後4時すぎ 2号機で弁が開かないためベントができない。核燃料露出まで1時間という予測が出される。
その夜 吉田所長より「みなさんどうもありがとう。状況はよくない。みなさんがここから出るのは止めません」社員70名のみが残る。
※東京電力社長 清水正孝より「現場から撤退したい」と、官邸に5回に渡って電話がかかってきた。
●3月15日 午前5時35分 菅首相、東京電力に乗り込む。「お前らふざけるな。このまま放置したらどんな事態になるか わかっているはずだ。撤退は許されない。60歳以上の人間は現場に行って、自分たちでやる覚悟を持て」
官邸の指示により東京電力に統合対策本部を設置。情報共有を図る。
●午前6時10分 2号機爆発
●午前6時14分 4号機爆発・火災

●事故1か月後 政府は事故の評価を「レベル5」から「レベル7」へ上げる。
●事故2ヶ月後 1号機は”初日からメルトダウン”と発表。
●避難住民 8万8千人

※斑目春樹:「3月11日以降のことが全部取り消せるんだったら、私はなにを捨てても構いません。3月11日以降のことを全部無しにしていただきたい。それに尽きます」
※海江田万里:「結果についてはすべて政治が負わなければいけないことですから、これからしっかりした検証が行われる中で、責任は取らなければならないと思っています」

番組制作にあたった取材後記も併せて読んでいただきたい。
取材後記:NHKスペシャル「シリーズ 原発危機」 (山崎淑行記者)
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/100/85037.html

チェルノブイリ「フクシマ」への教訓〈1〉"終わりなき事故の後始末"

2011-06-09 | 東日本大震災

 友人からメールが回ってきました。今回の福島原発事故への関心が、当初に比べて、だんだんと遠のく中、まだまだ私たちが見守らなくてはならないことがありそうです。

 この映像は、ジャーナリストであり、「ジン・ネット」の代表を務める高世仁氏が、現地に赴き取材したものです。「ジン・ネット」はテレビ局などのコンテンツ制作を仕事としていますが、一部のみが採用されたり、中にはスポンサーなどの関係で不採用になるものがあります。フクシマへの教訓のためにも多くの方々に見ていただきたいという趣旨から、ネット公開されています。5本の番組がアップされています。

 今回はその第一弾、チェルノブイリの原発の石棺の様子を、中に入って取材しています。

  ※ジン・ネット  http://www.jin-net.co.jp/jinnettv.htm

チェルノブイリ「フクシマ」への教訓〈1〉"終わりなき事故の後始末"


巨大地震 次なる災害をとらえろ」

2011-06-02 | 東日本大震災
 5月14日、NHKサイエンスZEROで放送された番組。科学の視点から今回の大震災を分析。

 日本は4枚のプレートの上に乗っかっています。今回の地震は海側の太平洋プレートが、上に乗っている陸側の北米プレートの下に潜り込み、太平洋プレートが壊れた勢いで海側に引っ張られた状態です。日本では逆断層の地震が通常ですが、今回は正断層…つまり海側に引っ張られる現象が起きたことが、専門家にとっては、予想外のことでした。

 GPSによると東太平洋沖は全体に海側に最大5.3メートル移動しています。また垂直方向には約1.2m地盤沈下しています。この地震で地層ががらりと様変わりし、誘発地震を引き起こしており、予想もむずかしくなっています。

 関東の下には、関東フラグメントと言われるプレートあるという説があり、フィリピン海プレートと太平洋プレートの2枚の上に乗っかっている状態なので、動きの予測がしにくい状態です。東北地方での太平洋プレートに大きな歪が起きたことで、関東側での太平洋プレートにも影響していることには間違いはありません。

 1707年、宝永の東海地震の45日後に富士山の大規模な噴火が始まっています。今のところ噴火に直結する火山活動は、今回の地震では計測はされていませんが、注意深く見守る必要があります。

 今回の影響によって、数年、数十年の単位で余震(巨大地震周辺で起こる地震)、誘発地震(その影響で他の地域でで起こる地震)が起きる可能性が多いにあるということです。

 ※サイエンスZERO http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp346.html

音楽支援@いわき 特別養護老人ホーム・かしま荘

2011-06-02 | 東日本大震災
 いわき鹿島町・社団医療法人養生会の敷地内には、237病床を持つかしま病院、クリニックかしま、リハビリテーションセンター、グループホーム、高齢者向けマンション、デイケアセンター、在宅ケアセンター、託児所などが一か所に集まっています。その中で、高齢者の方々で比較的重症な方々が入居されているのが、特別養護老人ホーム・かしま荘です。

 ここで月1回、ボランティアの女性たちが入居者のために歌の時間を提供しています。この”杏の会”は3人で始まりました。無理のない形でボランティアを続ける彼女らは、病院の前にお食事会をするのが定例。私もご一緒させていただきました。今回は7人の女性たちが参加。多くが”浜の女”。そのパワーには舌を巻いちゃいました。話の中心は震災後の情報交換です。補償金や保険、罹災程度の評価など…こういう情報交換大切ですね。エネルギッシュに話はとどまるところなく続きます。

 もう、時間です。という合図でやっと腰を上げ、病院へ。今回は病院側の計らいもあり、デイケアセンターのご老人もご一緒。およそ30人以上の方々がみなさん車いすで、すっかり待機状態。スタッフも含め、50名程度集まりました。会場準備の間、パラパラっとピアノを弾くと、みなさんすぐに耳がダンボ。

 今まで杏の会では1時間あまりをほとんどご老人のご所望のカラオケをやってきました。今回はせっかくですから、数曲はみなさんで唱歌を歌いましょうということになりました。個人的には全部歌っていただきたいくらいですが、まずはご老人方のご希望を…こういうのはいきなりこちらの勝手で変えちゃいけません。

 30分ほどのカラオケの間、ある高齢者の女性に話しかけました。彼女は目が見えません。私がピアニストだと知ると、「ありがとう」と言って、15分もずっと手を握ってくれました。またある女性は、小さいころから手足が不自由なため施設で育ちました。彼女のもともとの人柄でしょうか、周りへの気遣いや的確な判断で人をまとめることが上手なようです。彼女からも何度も「ありがとう」をいただきました。

 後半、私の出番です。用意してきた唱歌を、私も思いっきり弾き語りました。みなさん、カラオケの時以上にまとまって歌ってくださいました。あっという間に7曲を歌い終わると、おじいちゃんから「ブラボー!」っていううれしい歓声をいただきました。

 このかしま荘も震災時は2週間以上、水も出ない、電気も来ない状態でした。今でも多くの爪痕が病院の外壁や玄関先に残っています。そんな中、ひとりのご老人を家に帰すことなく、介護を続けました。りっぱに成長したというスタッフの方々のためにも、また、音楽を届けに行きます。

 かしま病院 ホームページ http://www.kashima.jp/
 かしま荘 ホームページ http://www.kashima.jp/kashimasou/CSS/index.html

報告:音楽キャラバン隊@いわき

2011-05-17 | 東日本大震災
 5月15日(日)ジャムズネット東京主催としての初めてのイベント、「音楽キャラバン隊@いわき」を開催しました。企画側としては、いわきの在住の方々による、いわきの方々のためのイベントにしたいと思っていました。

 この企画の話をすると、いわき駅前のライブハウスBar QUEENの経営者である加藤さんが、ひとつ返事で「ぜひ、やりましょう」と言ってくれました。また、当時我が家に滞在していた友人の歌手、暖みえこさんも「やりましょう」と言ってくれました。このふたりを中心に、暖さんの生徒さんたちや、加藤さんの周りの方々が全面協力してくださって、このイベントは動き出しました。ジャムズネット東京では同じく立案者である東京医科大学渡航者医療センター教授の濱田篤郎先生が、健康講話をしてくださることになりました。

 当日、70名あまりの方々が集まりました。福島民報(新聞)や福島FMでの宣伝を聞きつけて、初めてこの店にやって下さった方もいたようです。

 まずは濱田先生の健康講話ですが、「復興のための健康生活(感染症対策を中心に)」は、聞きたいことをとてもわかりやすく説明していただきました。
 そして暖みえこさんのミニコンサート。この日のために選曲してくれました。
 ここで3人の方に被災についてお話を聞きました。ひとりは津波で家を全壊された方、片や被災しなかったので、お風呂を被災者の方々に提供した方。そして病院・特別養護施設のトップの方のお話。水も電気もない日々が1週間続き、地獄のようだったということです。
 最後に、会場のみなさんと合唱をしました。ふるさとや、上に向いて歩こうなど7曲。最初からみなさん大きな声で一緒に歌ってくださって、マイクを向けるとマイクを握ってしまうほどの勢い。最後には全員立って、手をつないで、今日の日はさようならを歌いました。中には感動で涙される方々もいました。

 あの日以来、外出もできなかったが、今日来てよかった。明日から生きる力が湧いたという感想もいただきました。いわきの方々が自ら助けあって盛り上げたイベントでした。

 この模様は、福島放送(KFB)で5月26日、スーパーJチャンネル18時台に放送される予定です。