Pianist 池田みどり

ピアニスト池田みどりの四苦八苦をまるごとお見せします。
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「上を向いて歩こう~日本人の希望の歌~その真実」

2011-10-10 | Diary
 東日本大震災の後、よく歌われるようになった「上を向いて歩こう」。私もよくみなさんと一緒に歌います。歌詞の切なさとメロディーの親しみやすさが合体している歌です。この番組ではこの歌が生まれ、どのように世界でもっとも歌われる歌になっていったかを描いています。

 作曲・中村八大、作詞・永六輔、そして歌・坂本九。その名前に数字が入っているところから6.8.9トリオと言われます。
 この曲が発表されたのは、1961年7月21日、第3回中村八大リサイタル。当時の大スターたちの中で、新人19歳の坂本九がこの歌を歌いました。この歌は彼のために作られました。

 中村八大はジャズブームの中で彗星のように現れた天才ピアニストでした。ベーシスト渡辺晋に誘われ、彼のバンドに入り、プロのジャズピアニストになりました。彼の名前はすぐに話題になり、トップミュージシャンが4人集まる「ビッグフォー」を結成。コンサートには何万人もが集まる人気バンドとなりました。渡辺晋はそのビジネスの才能を活かし、渡辺プロダクションを設立。ザ・ピーナッツ、クレイジーキャッツ、タイガースなど日本の音楽界を牽引しました。彼はもっとも信頼する中村八大を売り出そうとしました。中村八大は作曲家として、より多くの人の心を響く音楽を作りたいと思い、渡辺晋はそれを広めようとしたのです。

 ロカビリー映画2本の音楽を依頼され、作詞家を探しているとき、当時放送作家として活躍していたまだ26歳の永六輔に会います。中村は永に「きみは作詞はできるか?」と聞きます。永は「できます」と言ったものの、ほとんど経験もなかったのです。しかしそれからふたりは机をつきあわせ、まるで流れ作業のように、次々と歌を生み出していきました。その中から第1回レコード大賞曲「黒い花びら」が選ばれました。

 1960年安保闘争に没頭した永六輔は、多くの若者と同様挫折感を味わいます。その中で生まれたのが、翌年書かれた「上を向いて歩こう」の歌詞でした。

 坂本九はエルビス・プレスリーに心酔し、ロカビリー歌手として16歳でデビュー。「ダニー飯田とパラダイスキング」で「ステキなタイミング」などの洋楽のカバーでヒット。飾らないキャラクターでブラウン管でも人気者になりました。中村八大は彼をコンサートに出すために、彼のために「上を向いて歩こう」を書きましたが、彼をイメージして音域を決め、歌い方まで指示しています。楽曲は洋楽を歌う彼のためにスタンダード曲の構成にしています。

 1961年7月のコンサートで初めて歌われた「上を向いて歩こう」は評判を呼び、音楽番組「夢であいましょう」で取り上げられるや否やヒット。10月には東芝レコードでレコーディングされ、すぐに大ヒット。翌年は映画「上を向いて歩こう」(主演:坂本九、吉永小百合)が制作されました。映画では歌詞には印刷されていない「冬の日」が歌われています。

 1962年8月には坂本九はヨーロッパツアーで、フランス国営放送に出演しています。そのほか、デンマーク、ノルウェイ、イタリア、スイスの5カ国を2週間で回っています。その仕掛け人は日本の音楽を海外に知らしめようとした元・東芝レコードの石坂範一郎。題名を海外の人にもわかりやすくと「SUKIYAKI」としました。その曲はカバーされ、ラジオで流されるや大反響があり、ヨーロッパでもこの曲はヒットします。その後米国でもあるラジオが取り上げたことで、やはり大反響を得ます。その噂を聞いたキャピトルレコードは米国での発売を決心。「SUKIYAKI」はビルボードヒットチャート3週連続第1位を記録します。戦後、米国で強制収容された日系人にとって、この曲はどれだけ心に染みたことでしょう。

 この曲を聞くと音楽には力がある、そして音楽には国境がないと思わせてくれます。  

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