雷みたいに落ちてきた恋は、4年越しで実り、結婚の運びとなった。
ジャズ研の部長と部員の結婚である。
もちろんそれまで平穏無事だったわけじゃない。だいたい、彼には婚約者がいたし・・・
私を選んでなぁんて、一度も言ったことないけど、彼は私と結婚する運命を感じたみたい。で、私もそうだったから、結婚を決めた。
実家の親には反対されたり、いろいろあったけど、そこらへんはまた書くことにしましょう。
さて、双方の親同士が会ってみると、話はとんとん拍子で、親のほうが乗り気になってた。
私はまだ23歳で、他人の結婚式だって出たことがないから、わけのわからないまま事は運ばれてた。
実家の母は兄より先に嫁ぐ娘を出しに、婚礼道具の買い物に精を出していた。
もともと質素な母だから、こんな買い物したことがない。普段のストレスを発散するかのように買いあさっていた。
婚礼布団を買った布団屋で見つけたのが、スケスケオーガンジーのネグリジェ。まるで昔の映画にでてくるような・・・
なぜかそんなものまで買いこんで、結婚式を待った。
あちらのご両親が九州から出てきて、お食事しましょうというので、滅多に食べたことのないステーキをご馳走になった。
その夜、なんだかたまらなく痒い。医者に見せたら「蕁麻疹だね」・・・一生に一度の蕁麻疹になった。
結婚式は青山にあった青山会館で1978年1月14日に執り行われた。
あちらの参列者は親族がずらっと並び、こちらの参列者はミュージシャンや飲み屋の常連が並び、実に対照的だった。
神前式の挙式には打ちかけと豪華絢爛。カツラ合わせをしたはずなのに、カツラがめちゃめちゃきつくて痛い。
涙目になってたら、お世話をしてくださってる従業員から「感動してらっしゃるんですねぇ」。「いえ、カツラが痛いんです!」
お色直しのウェディングドレスは若いお嬢さんに似合うパフスリーブだった。そこからのぞく細い腕には赤くただれた蕁麻疹。
ウェデングケーキ入刀の時に、いきなり会場が大きく揺れて、みんながざわめいた。ケーキも波打っていた。
それは未来を予想するような「伊豆大島近海の地震」。マグネチュード7.0の直下型の地震だった。
エレクトーン奏者が入っていたけど、あまり上手じゃなくて、私の参列者から「あなた、弾きなさいよ」って言われる始末。
代わりに新郎新婦で歌ったのが、「かえるの歌」・・・なぜだろう?なぜ「ゲッゲッゲッゲッゲッ、ゲゲゲゲゲゲゲゲゲッゲッゲッ」って歌ったんだろう?
その夜、スケスケネグリジェを着た蕁麻疹の花嫁から、逃げ回る新郎がいた。
ハリー・ニールソンの「夜のシュミルソン」というアルバムが大好きでよく聞いていた。
その中でもお気に入りだった”Making' Whoopee"。辛らつな結婚の現実を歌った歌。
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