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人の間・時の間・空の間:B面

今日も 【 間 】 を縫って進もう、自分の港へ。

いつやるか? 今じゃないでしょ!

2013-03-05 11:32:29 | 時の間:B面
オリンピック東京招致に向けての活発な動きがありますね。

「1964年の感動と活気と団結をもう一度!」ということなのかもしれませんが、
どーも今ひとつしっくりこないのです。

今この時に? それも東京に??? 400億円使って????? はっきり言って幻想じゃね?

どうしても日本で開催を!というのなら、
いっそのこと何も手の付けられていない東北被災地の更地に、
インフラ整備も兼ねて、素晴らしい新しい街を作ったらどうですか?

“ 日本の復活のために ”とのことですが、夢を語る前にやることやってからにしようよ。

オリンピックそのものや選手の方たちの前向きな姿勢を批判するわけではありませんが、
少なくとも「 今じゃないでしょ・・・ 」ましてや東京じゃないでしょ・・・・

洋館で箏でイイコト

2013-02-17 13:02:13 | 時の間:B面
西洋館ベーリックホールで箏と尺八の演奏会を聴いてきました。



横浜山手の西洋館を拠点に行われているアートフェスティバルの一環で
「増田厚司KotoチャレンジLive2013」と銘打って行われた演奏会です。

増田厚司さんの箏と坂田梁山さんの尺八で
オリジナル曲から古典やポピュラーまで8曲をお聴きしました。

17弦箏の音色を初めて生で聴きましたが、それはそれは素晴らしいものでした。
楽器にかかわらず低音の好きな私には、17弦箏の低い音はもう!シビレルゥ~のひと言!
大好きな尺八の音色と共にお聴きする「黒いオルフェ」や現代邦楽曲は
もうカッコイイのひと言で、思わずブラボ~~と叫びそうになりましたよ。

また、お二人ともとてもハンサムでお話もおもしろいんです。
関西のご出身だそうで、MCのたびに笑いが起こるほど。
とても楽しい夜になりました。


箏プレーヤー増田厚司さんは箏プレーヤーとして活躍する傍ら、EcKotoという前衛的な箏事務所をされています。
「箏でイイコト」を合言葉に、日本の伝統楽器「箏-Koto-」の未来を考えるとても情熱的な方です。

EcKotoについては、こちらをどうぞ。





もう少しで惨事?

2013-02-14 15:53:01 | 時の間:B面
ここ半年ほど不思議なことが起こっています。
朝、目覚めると、ネジ巻式のアンティークのボンボン時計が、
どういうわけかいつも午前3時で止まっているのです。



数えてはいませんが、おそらく5,6回は続いているでしょうか・・・

最初は偶然だろうと気にも留めていませんでしたが、
さすがにこう続くと何か意味でもあるのか????と気味悪くなります。

「3時だから、甘いもの食べすぎ注意かな?」とか
「大惨事(だい三時)の前ぶれかな?」とかいろいろ言い合っています。

この時計、ほんとに気まぐれで、普段は全く鳴らないのですが、
突然思い出したように、20回以上もなり続けることもあります。
それも長い針が12や6になくても!

何かメカ的なことなのか、それともスピリチュアル的なことなのか皆目わかりませんが、
なんだか不思議で、カワイイ時計です。





時代変われば・・・か。

2013-02-06 10:08:29 | 時の間:B面
スポーツ界で指導者による体罰が問題となっていますね。
何ごとも突き詰めれば、心と心の問題ですから、
体罰云々の前に、信頼関係が築けていなかったということなのかもしれませんね。

昭和生まれの私からすれば、誤解を恐れずに言えば
「言って分からなければ、あとはもう!」という感覚は普通に持っていました。
現に子育ての中で、真意が伝わらず、たまらずに手をあげ、
そのあと子供と抱き合ってお互いにワンワン泣く・・・という経験も何度かあります。

ちろん親子と他人である指導者の立場は違うし、考え方に個人差もあるでしょうが、
「体罰などあり得ない!」という強い論調には、少々違和感を感じずにはいられません。

私なんかもう!
定規で頭を叩かれたり、耳を引っ張られたり、足蹴りにされたり、椅子を投げつけられたり・・・
いろいろありましたよ、はいっ!
・・・っていったいどんな学生だったのでしょう?
振り返ると「ちょっとやりすぎじゃね?」という先生も確かにいましたが、
でもやっぱり、私自身の指導を受ける者としての態度がなっちょらんかったのだと思います。

あの日から18年

2013-01-17 04:36:35 | 時の間:B面
阪神大震災から18年目の朝です。
当日は、静かに座っていたこともあって、横浜でもかすかな揺れを感じたのを覚えています。
「めまいかな?」と思うほどの小さな揺れでした。
ラジオで関西の方が震源と知り、珍しいなぁ・・・と感じたことを思い出しました。

その日生まれた赤ちゃんが18歳になり、
街もきっと元どおり整えられたでしょう。

“ やっと ”“ まだまだ ”

感じることは人それぞれでしょうが、その方たちの心が少しでも静かであることを祈ります。

静かな時間

2013-01-12 04:53:10 | 時の間:B面
[ 朝型 ]の生活にやっと戻ることができました。
朝3時起きを15年以上続けていたのですが、昨年あたりから夜更かしの癖がついて起きられずにいました。
年始から少しずつ早起きし、4時起きがようやく定着しつつあります。
自分だけの静かな時間を持つか否かで、その日いちにちの充実感が全然違うのです。
コーヒーを飲みながら音楽を聴いたり、本を読んだり、ボーッとしたり、当日の段取りをしたり。


昨日1月11日はカガミビラキでしたので、朝から小豆を煮ながら写経をしました。

般若心経には“ 無 ”の文字が21回、“ 空 ”の文字が7回でてきます。
“ 無 ”は何ごとにもとらわれぬようにという意味があり、
“ 空 ”は空っぽなのではなく無限に拡がっているイメージだと聞いたことがあります。

東日本大震災から1年10か月。

大震災だけでなく、トンネル天井崩落事故、冬山での遭難、教師による体罰を原因とする自殺、
その他、報道されない数々の事件や事故

亡くなった後の魂が、どこへいくのか・・・
そもそも行き着く先があるのかさえ私には分かりませんが、
せめて静かであってほしいと祈りながら書き写します。

毎月11日の朝は写経をすると決めました。








雪だより:エピローグ

2013-01-09 05:44:38 | 時の間:B面
2013年1月7日(月) 雪国・小千谷から横浜へ

休暇も今日で終わり。
雪だよりの最後に美しい雪景色をご紹介します。

家の前の杉林に新雪が降り積もりました。


市街地を一望できる川沿いの大好きな場所へ。帰省した際は必ず立ち寄ります。




冬木についた花のような雪。
関東の厳しい表情の冬木とは、ずいぶん違います。


見渡す限りの雪原です。遠く雪山も見えています。
水墨画風に加工した画像ではないですよ


他にも美しい冬の風景はたくさんあります。
たとえば、夜半に降る雪が街灯に照らされる様子や
雪原に続く小さな動物の足跡・・・ウサギ?顛?とにかくカワイイんです
技術がなくてお伝えできないのが悔しいです。

新幹線は関越トンネルを抜け、雪も山もない街へと到着です。





今回の帰省で改めて感じたこと。

この風景を見ずして“ 美 ”を語ることはおそらく不可能または、不完全であろうということ。
言葉にしてしまうと、とたんに軽薄になってしまうのですが、
雪の白さ、やわらかさ、表面の煌めき、静かさ、冷たさ、楽しさ、受け入れること、抗うこと、待つこと、戦うこと、
身体を使った遊び、身体を使った労働、畏れること、感謝すること・・・
これら雪国の環境は、美意識と情緒の ある一面を確実に形成しうると確信します。

雪にまつわる美を、何とか表現したいと強く思いました。
雪国に生まれ育ち、雪のない土地に暮らす私は、それを伝える難しさも知っています。
ご覧のとおり写真のセンスは全くないし、トミオカホワイトのような絵の才能もない、小説も書けないし・・・
勉強しはじめた俳句で、いつか自分の世界を表現することができたら素晴らしいだろうな。
ガンバルゾォ~


最後に尊敬する俳人、阿部静雄が詠んだ雪国の暮らしをいくつか。

「 ふるさとやどの窓からも雪の山 」

「 ふんはりと雪の田の畦交叉せる 」

「 雪しまく杉千本の静寂かな 」

「 雪晴れや沖見るごとく見てをりぬ 」

「 ちちははの深寝おそろし雪の底 」       第40回角川俳句賞受賞作品「雪曼荼羅」より














雪だより:その三

2013-01-06 15:19:08 | 時の間:B面
2013年1月6日 雪国・小千谷から

夜も明けきらない午前6時 檀家である慈眼寺へ歩いて向います。

興味はあったものの未体験の写経を行うためです。
本堂にて般若心経を唱え、お手本を見ながら書き写します。
私は初心者なので、既に紙にうす~く書いてあるものをトレースする用紙です。

帰りの道すがら、母に「もう少し意味が解るようになってからだと意義深いだろうね。」というと、
「般若心経の意味を本当に解る人なんていないかもよ。」と言われ「そりゃそうだ」と大笑い

商店街を通りかかると8時前だというのに老舗の和菓子屋さんが開いていました。
ラッキー!ここの豆大福は幻の品で、なかなか買うことが出来ないのです。
しっかりした歯ごたえの餅に、塩味の大豆が混ぜてあり、餡も甘くなくて美味!




話し変わって、昨日の“ 雪流し ”についてお話しましょう。
通常、幹線道路は消雪パイプのおかげで、雪が降り積もる事はありません。
消雪パイプとは、地下水をくみ上げ、地面の下から小さな噴水状の水をほぼ終日流す仕組みです。


それでも、細い路地や道路脇には順次雪が溜まります。
その雪を町内こぞって流雪溝に流すのが“ 雪流し ”です。
流雪溝とは読んで字のごとく、道路の端に掘られたかなり深い側溝で、
時間を決めて大量の水が流され、それに合わせて人が出て雪の始末をします。


自分の家の周りだけの雪を出すのではなく
「道路を使いやすいように皆で整える」という目的を持っています。
緊急自動車の進入の際に道を空けておくのはとても大切な事なのです。
強制ではないのですが、手の空いている人はこぞって参加し、協力し合います。
雪流しに関わらず、雪国では、地域の結束なくして厳しい冬をのり越える事は難しいのです。

一転眼を投じれば、屋根の雪下ろしで出来た雪山で、近所の子供たちが遊んでいました。
寒くて何かと不便もありますが、雪国でなくては味わえない楽しさもありますね。



そして何より、雪のもたらす情緒は素晴らしい。
 

この閉ざされた冬があるからこそ、強靭な精神も培われ、
そして何より、春を待つ喜びと自然への感謝を持てるのでしょう。







初詣

2013-01-03 21:35:59 | 時の間:B面
ひとりで近所の神社へ初詣に行ってきました。

山の斜面にある神社で、急な石段を上りつめると古めかしい社があります。


こじんまりした趣が、故郷の初詣を思い出させるようで好きな場所です。



帰りに高台の道を遠回りしてみたら、予想通り富士山が!
逆光で、しかも少し霞んではいましたが、その優しい風情にしばらく見とれていました。
それにしても、富士山はいつみても美しい。
若い頃、「いつか富士山の見える場所に住みたい。」と思っていたことを思いだしました。

初空

2013-01-01 07:37:53 | 時の間:B面
2013年 新しい年が明けました。
大好きなキースジャレットを流しながら、部屋から初日を眺めました。
初日そのものは見えませんでしたが、かかる金色の雲が大きく動き、
絶対的なものが、確かにそこにあるという安心感に包まれました。


今年は不思議な感覚で迎えました。
どういうわけか“新た”な感じがしなくて、
“昨日と今日はつながっている”ことを強く意識しています。

この一瞬は、連続している大きな時の流れの、ほんの一部であって特別なものではないと。
そして、その中で生命を与えられている私の人生も、ほんの一瞬なのだろうということ。
だからこそ、それを活かし、役立て、輝かせていきたいと思いました。


この初日を・・・

被災地でみているひと
家を持たずに公園でみているひと
ひとりぼっちでみているひと
どんな境遇にあろうとも

そして鳥、犬や猫、木々や花、水、家や街
この金色の光の中にある、すべてのものが、その生命を全うできますように。