人の間・時の間・空の間:B面

今日も 【 間 】 を縫って進もう、自分の港へ。

2007-10-31 13:02:14 | 時の間:B面
芸術の都パリへ
常夏の楽園ハワイへ
たとえばどこかへ旅に出るとしましょう。

ひとたび行き先を決めたら、
休暇届を出し、チケットを手配し、トランクに荷物を詰め、
・・・とダンドリよく進められるでしょう?
たとえ当日強い雨が降っていても、出かけるのをあきらめたりはしないでしょう?
「電車がいつも通り走るかな?」「飛行機は落ちないかな?」
なんて心配をして、前に進めなくなるなんてこともないでしょう?

なぜなら・・・【 そこへ行きたいから 】

人生の目的地も、そんなふうに考えられたらいいのに。
【 たどり着きたいから 】
ただ、その想いだけを胸に雨ニモマケズ、風ニモマケズ ひたすらに。
不安な気持ちを振り払って、軽やかにしなやかに。

田麦山の震災スケッチ展

2007-10-25 06:19:22 | 中越地震
中越大震災の激震地、新潟県川口町(現在は市)田麦山ご出身で
埼玉県在住の森山勇さんのスケッチ展に行ってきました。

震災直後の故郷の惨状ををつぶざにスケッチし、
コメントとともに記録されています。

倒壊した家屋や土砂崩れなどの様子をパシャっと一瞬で撮る写真と違って、
手描きのスケッチは、その線の一本一本に様々な思いが宿っているようで
写真の迫力とは違う、胸に迫るような感慨がありました。

未曾有の震災を過去のものとせず、教訓として胸に刻むために
このスケッチ展を開催されたとのことですが、
頂いた資料の中に森山さんはこう結んでいます。

「遥か遠く、大和朝廷の時代より歴史の続く田麦山。幾多の天変地異を経て今見る村に計り知れない郷愁を感じる。この長い歴史の中に、私が確かにこの村に居た、その僅かな証に絵を描き続けているのかもしれない、ふとそう思うこともあった。大変な悲しみの中、スケッチする事をお許し戴いた村の方々にお詫びとお礼を申し上げます。」

森山さんは今も田麦山に通い、自然学校の運営に関わるなど、
被災後の故郷を見守り続けています。



本当の船出

2007-10-23 16:32:20 | 中越地震
新潟県中越大震災から今日で3年目。
どなたにとっても長く大変な道のりだったことでしょう。

それにしても・・・
3年経っても仮設暮らしの方が89世帯、248人ってご存知でしたか?
年内には全員退去ということですが、山に戻れる人、他へ移る人、様々でしょう。
希望どおりか否かは別として、これでひとまずすべての人が船出をするわけです。
それぞれの航海が、どうかどうか幸せの港に着きますように。

中越ひこばえ展でお世話になった池谷集落のIさん。
今もまだ陽光台の仮設にいらっしゃいますが、
お正月は山古志の新しい家で迎えられるそうです。

現実の山古志は、多くの村人が去り、人々の注目も去り、ボランティアも去り、
きっとこれまでにも増して、静かで寂しいことでしょう。
これからが本当のふんばり時なのかもしれません。

ずっと応援しています。

絶対忘れません。

日本のどこかで誰かが気にかけていることを、
どうかどうか忘れずにいてください。







像を結ぶ瞬間

2007-10-22 06:37:47 | 空の間:B面
長い長い時間をかけて

ほんの一瞬フラッシュのように閃く無数の想いが

いくつも連なって線となり

やがて、ひとつの像を結ぶ。

その瞬間のストンと胸のおくに何かが納まる感覚
はっきりとしたカタチになって、またはストーリーになって。


立ち向かえ!または逃げろ!

2007-10-16 06:03:42 | 人の間:B面
パワーハラスメントによる男性の自殺が、労災認定されました。

いじめは悪いこと。
いじめは卑怯なこと。
だからしてはいけない。

誰もがそう思っているはずなのに、いじめはこの世からなくなりません。

それもそのはず、軋轢の無い社会など在りえないし、
そのストレスが弱いところへ寄っていくのは世の常、人の常。

子どもたちにいじめの卑劣さを教えたり、
人権について考えたりするのはもちろん大切ですが、
同時に、いじめから自分を守ることを教えなければならないと思っています。

立ち向かえる相手なら牙を剥いたっていい。
勝てない相手なら逃げたっていい。
何でもいいから、なりふり構わず自分を守ること。
たとえ弱虫といわれようが、誰ひとり味方が居なくとも、
自分だけは、自分を守ってあげなくては。

残念だけど、この世からいじめは無くならない。
だけど人は無力じゃない。
状況を変える方法はいくらだってあるはず。

いじめは・・・いじめられる側の問題じゃない。
いじめる側の「生き方」の問題です。
いじめる側の愚かしい行動に、あなたが延々と付き合わされる義理はないのです。
あなたの大切な人生を、そいつに振り回される必要はありません。
サッと涼しい顔をして、踵を返す勇気を持ちましょう。







それが私なのです。

2007-10-09 06:44:32 | 時の間:B面
「何でお前さんは同じことを繰り返すかなぁ?」
「何で最後に見直さないかなぁ?」

私が作ったチラシに間違い箇所があって昨日も怒られました・・・
修正テープを貼って、ペンで書き直す作業を
このくそ忙しいのに300枚もやりました・・・
ついこの前も同じようなことをやらかしちゃったのに・・・

それになぜか間違うのはいつも大事な数字部分。日程とか、時間とか。
学生時代から数学はいつも赤点ギリギリで、
今も数字自体みるとめまいがするほどキライです。
エクセルも【表計算ソフト】っていう名前だけでさわる気にもなれません。

悪いのは、みぃ~んな“数字”です。
どれもおんなじような顔をして!
私の間違いはいつも数字のせいです!・・・ってちがうでしょ!
「で~けたっ!」と見直しもせず、鼻歌交じりでプリントアウトする
慎重さに欠け、せっかちな私が一番悪いですね。スイマセン




現ナマがいちばん

2007-10-06 04:35:56 | 時の間:B面
「使っても減らないお金」とやらで世間は騒がしいですね。
一時期にせよ何万人もの人がその虚偽通貨を使っていたことを考えると、
少なくともその人たちはエンテンとやらに貨幣としての価値を見出していたわけで、
モノが貨幣として成り立つ必要かつ十分条件の【 信用 】があったともいえます。

これを考えたとき、今私たちが手にしている紙切れや金属片をお金と呼び、
交換の媒介に使っていることも、信用で成り立っているわけで
実は相当はかなくて危ういことなのではないかと思えてきます。

まぁ、そこまで疑ってしまうと普通の生活ができなくなりますので
現在の貨幣の価値はとりあえず受け入れるとしても、
問題は、ここのところ普及しつつある『電子マネー』とやら。
私にとってアレはもっての外!ハナから信用できないものと決め付けています。
携帯電話の中で数字が増えたり減ったり・・・
ある日突然パッと消えてなくなってゼロを表示し
「申し訳ございません。あなたの預金が確認できません。」
なぁ~んてことになるような気がしてなりません。
「ポケットを軽く」なんてあたりのいい言葉で急速に電子マネー化されているのは、
世界のお金を一ヶ所に集め、根こそぎ奪い取るオソロシイ陰謀があると
みる向きもあるくらいです。冗談抜きで

とにかく私は昔から目に見えないお金を使うことに、とてつもない抵抗を感じます。
ですからクレジットカードの類も一度も持ったことがありません。
お金があれば使うし、なければ使わない。これ、基本です。

むかし・・・
おこづかいをかき集めて文房具屋へ走り、
お目当てのユニオンロータリーロック筆箱を手にしたときのウレシさ!
駄菓子やでボトルチョコを目の前にして
ポケットからジャラジャラっと出したお金が1円足りなかったときの悔しさ!

お買いものは常に実体の貨幣を伴い、
また、こういう気持ちとセットでなくっちゃ!と思っています。