人の間・時の間・空の間:B面

今日も 【 間 】 を縫って進もう、自分の港へ。

糸でんわ

2005-08-27 06:03:42 | 人の間:B面
切れてしまったと思っていた糸が
そぉ~っとたぐり寄せたら繋がっていました。
うれしい・・・

今度は
強く引っ張り過ぎないように気を付けて、
伝えるときは大きな声になり過ぎないように、
聞く時はしっかり紙コップに耳を付けて、

糸でんわのように、緩やかに通信しあえる関係でいられますように・・・


地震・身をもって体験

2005-08-24 07:40:43 | 中越地震
8月21日 新潟へ
仕事を兼ねての帰郷の際に震度5の地震を体験しました。

とある美術館にて学芸員の方とお話している最中、
スチールのドアが「ゴーン」と鳴ったので、
てっきり空調がいっせいに入ったのかなと思った途端大きな縦揺れが・・・
以前父母が「中越の地震は、はじめに“ドーンッ”とくる音が怖い」とよく言っていましたが、初めて身をもって体験しました。

さっそくカフェのテレビをつけてもらうと
小国、小千谷が震度5・・・生まれ故郷が震源です。
実家の父母にも電話がつながらない・・・
慌てふためく私の横で「もう、こんげん揺れには慣れましたて」とあっさりおっしゃる地元の方たち。
平然となさっていても“慣れる”こと自体、知らず知らずのうちにストレスになっていらっしゃるのだろうと思います。

いったいいつになったら安心して暮らせる日が来るのでしょうか・・・

生き急ぐ地球。

2005-08-17 05:32:29 | 時の間:B面
8月16日 宮城県で大きな地震がありました。

昨年の中越大震災から一年も経たないのに福岡、千葉、宮城・・・
立て続けに大きな地震が起きています。
日本だけでなく世界中で様々な災害も起こっています。

何だか地球そのものが、生き急いでいる感じがしてなりません。




人って多面体

2005-08-15 16:51:54 | 人の間:B面
ご縁のある方のバレエの公演を観てきました。
踊りが素晴らしかったのはもちろんなのですが、
なにより感動したのは、よい意味でイメージを裏切られたこと。
“妖精”のような人だと思っていたので、「カルメン」で“生身の女性”を見事に演じていらっしゃるのを拝見して、鳥肌が立つほど感動しました。

それとは関係ないのですが、以前「ご近所のただのおじさま」と思っていた方が、人知れず素晴らしい“創造活動”をされていることを知って、大感動したことを思い出しました。

人って一面ではないのですね。
どの人にも、たくさんの面があってミラーボールのように小さくキラキラ輝いている・・・
そんな世の中っていいなぁと思います。



懐かしい山鳩

2005-08-12 05:39:25 | 時の間:B面
今年になって初めて“山鳩”の声をききました。
夏の訪れを感じさせるのどかな声。

懐かしいその声に、小学生の夏休み、目覚めて起き上がるまでの時間を山鳩の鳴き声をぼんやり聞きながら過ごした場面に一瞬引き戻されました。

新潟では
「どでっーぽっぽ どでっーぽっぽ」と表現するけど、
丹沢でこの話題になったとき
「ぼーすか ぼーすか」と言っていた人がいました。

いろいろですね。
 


夜明前

2005-08-09 04:24:01 | 時の間:B面
午前4時。

誰にも邪魔されない夜明前の時間を
自分のために使うようになって10年以上になります。
こんな都会にいても、静寂と澄んだ空気を味わうことが出来ます。

あれこれ考えていると日中には出てこない、よいアイディアが浮かんだりします。
それと不思議なのはとても素直な発想が出来ることです。
前向きで、誠実で、自分を信じる心にあふれています。
“夜明前”という時間の持つエネルギーのようなものを感じます。

だから私は重要なこと(特に仕事の)は、
だいたいこの夜明前に考えるようにしています。
ポジティブな心で1日の段取りをし、日中にそれを実行します。

・・・とは言っても日が昇り現実の生活が始まると、
夜明前の勇気とやる気を持ち続けるのはけっこう難しくて
「今日中に実行しよう」と思っていたことの3分の1くらいは出来ません。
ここが“凡人”の辛いところですね。

聞こえているかすかな虫の音に代わって、
セミが鳴き始めると暑苦しい現実のスタートです。

忘れない

2005-08-08 06:43:22 | 中越地震
生まれ故郷で昨年10月に起こった新潟県中越大震災。
その時のことを被災者の方が書き記した俳句、短文集を読み返してみました。

「雨水で洗ふ鍋釜冬ざるる」
「ぼろぎれの如き顔並め夜食喰ふ」
      ------阿部静雄

「紅葉山背にして村の孤立せり」
「給水の列が曲がりて枯野まで」
      ------桜峰

当時の切ない思いがこみ上げてきて涙があふれます。
故郷の惨状を前に、何も出来なかった自分の無力さ。
移り変わるニュースに、故郷が忘れ去られ取り残されるのではないかという焦りと苛立ち。

同じ思いは二度としたくないと切実に思います。
何も出来なかった・・・という後悔を残したくないのです。
時間は戻せないのだから。

まもなく震災から10ヶ月。
離れて暮らす自分に今から何が出来るでしょう?

この胸のチクリとする痛みを忘れないこと。
「どうしているだろう?」と被災地に思いを馳せること。

まずは、そこから始めてみようと思っています。

時間はいつのまにか

2005-08-07 11:03:54 | 時の間:B面
14歳になる息子と出かける機会がありました。
予定通り“反抗期”真っ只中の彼は母親と並んで歩こうとせず30メートルほど先を行きます。
いつもよりきちっとした服装をしているせいもあるけれど、後姿は立派な青年です。
いつの間にあんなに大きくなったんだろう?

考えてみれば私も人生の折り返し地点を過ぎました。

私に残された“時間”という資源が後どれくらいあるか分からないけど、大切に使っても無駄に使っても“時間”は同じに過ぎて行くもの。

手書きのはがき

2005-08-04 05:49:13 | 人の間:B面
Tさんから暑中見舞いをいただきました。
いつも手書きで心のこもったハガキやお手紙をくださいます。
筆跡のひとつひとつから彼女の誠実さが伝わってきます。

電子メールを使い始めた頃は「なんて便利な道具なんだろう!」と感激しました。
送る方も送られる方も時間を気にせず通信できるなんて、と。
でもいつしか、電子メールに慣れるほど「直接お会いする」ことの大切さを痛感するようになりました。

便利な道具としてITを素直に正読みすることも大切ですが、ITを逆読み、つまり情報技術が進歩するほど、同じ時間と空間の共有を通して「生身に交流する」ことが求められるようになってくる気がしています。

やはり、何でも“人の手”の感じられるものは安心するし、私は大好きです。