人の間・時の間・空の間:B面

今日も 【 間 】 を縫って進もう、自分の港へ。

十七文字の力

2011-04-26 10:27:14 | 時の間:B面
年間購読している〔角川 俳句〕の5月号が届きました。
東日本大震災をうけて俳壇を代表する140人が送る“励ましの一句”が掲載されていました。

著作権の都合上、ここに直接ご紹介できないのが残念ですが、
鎮魂、励まし、苦悩、希望、祈り・・・
日本中の人々が犠牲者を悼み、被災者を思っていることを強く実感します。
被災地の方々にお届けできるといいんだけど・・・


今回の震災では、あまりにも惨い現状に言葉をなくし、
未熟な私は、伝えたいのに伝えられない想いだけが、
日を追うごとに澱のように積み重なっていく気がしていました。

今回の140句にふれ、あらためて俳句というものの凄さに感動しています。
わずか十七文字なのに、その向こうに無限の世界が拡がっています。
溢れる想いを削り、研くことで、言葉にし切れない念のようなものまでひしひしと感じます。
十七文字の小さな出口から、心の全てが大きな空に向かって開放されるような感覚です。
機会があったら、ぜひみなさんにも読んでいただきたいです。




気持ちをひとつに

2011-04-16 17:39:21 | 時の間:B面
『ひとつになろう、日本』 『あなたは、ひとりじゃない』 『日本の力を信じてる』
震災後こんなフレーズがあちこちで見聞きできます。

震災発生直後は、萎んでしまいそうな心を奮い立たせるのに効果的でした。
でも、発生から1ヶ月が過ぎ、その根拠のない励ましに
私たち国民は次の迷宮に迷い込んでしまいそうです。
「・・・でっ!私たちは何をどうずれば?」という気持ちになってきています。

そんな中、先ごろ設置された復興構想会議の初会合で“災害復興税”の創設が提唱されました。
これには様々な意見があるでしょうが、私は悪くないなと思っています。
かつて経験したことのない今回の災害規模を考えた時、
その支援は、莫大で、しかも長期的でなければ成り立たないはずです。
人々の善意だけでは支えきれないと思っています。
どんな方法ででも、みんなで支える“覚悟”をカタチにしなければなりません。



悲しいかな人間は、時間の経過と共に“忘れて”しまうものなのです。悪意はなくとも・・・
2004年の新潟県中越大震災で故郷が被災した際は、発生2ヶ月ほどでスマトラ沖の大地震と津波が起き、
あっという間に関心がそちらへ持っていかれた経験があります。
その時の「忘れられてしまう」という焦りが、“中越ひこばえ展”開催のきっかけになったのですが、
今回も、何か他に新しい大きなニュースが起これば、忘れられてしまいかねません。

仕方ないのです。
人間は“忘れてしまう”生き物なのです。
まして、それが自分の痛みでないのなら、なおさらのこと。

だからこそ、善意に頼らない仕組みとしての支援が、絶対に必要です。

『ひとつになろう、日本』 『あなたは、ひとりじゃない』 『日本の力を信じてる』

これを聞いた被災者の方々が「空々しい」「口先ばっかり」と思ってしまう前に、
ぜひ国民全体で支える仕組みを作っていただきたいと切に願います。

自分も役立っている、日本の国を支えているという実感を得ることは、
「何をしたらいいのか分からない」と感じている被災していない我々にも絶対必要です。


“痛み分け”

今回の震災をきっかけに、今後この言葉がキーワードになっていくだろうと確信しています。
それは、金銭的、経済的なことだけでなく、精神としての痛み分け。
“人の痛みを自分の痛みにできるか否か”“自分の幸せの一部を人のために犠牲にできるか否か”が
この国の行く末、人類の行く末を決定していくとさえ感じています。
“ 自分が!自分が! ”の時代は終わりました。

以前のこのブログに「この試練の意味を知りたい」と書きましたが、何となく分かってきました。
意味ではなく、“問い”なのではないかと。
自分の住む同じこの国に、苦しむ人々がいるこの状況下、
あらゆる場面で「さあ、あなたならどうする?」と。




民主党内では、このタイミングで菅総理辞任を要求する声が出ているようですが、
本当に政治家の先生方には絶望し、脱力します。
「日本をひとつにする前にアンタらがひとつになれっ!」と言ってやりたい気持ちです。



一歩だけでも前へ

2011-04-10 09:53:27 | 人の間:B面
朝刊に東日本大震災でなくなられた方々の一覧がありました。
お名前と年齢が全6面分

死亡 12915人

数ではないと分かっています。
1名だから大変じゃない、1万人以上だから大変だ・・・ということでは決してありません。
ただ・・・まるで地紋のように続く名前の羅列に圧倒され、
どうしようもなく泣けてきます。

76才、34才、15才、2才、47才、20才、0才、98才・・・・

自分と同い年の人もいます。
娘や息子と同じ年の人も。
この世を一世紀近く生き抜いてきた人も。
この世に生まれ出たばかりの人も。

その一つひとつの命は、今ここにいる私と同じ。
家族も友人もいて、
仕事も夢もあり、
喜びも悲しみもあり、
明日があると信じていた人。

そして更に、そこに記載できない命が未だにあるという現実。

行方不明者 14921人

一緒に暮らした犬や猫だっていたでしょう。


現実ばなれしたこの事実に、立ち尽くしてしまいそうになります。
目を瞑ってしまいそうになります。

何をどうずればいいのか・・・

けれどその間にも、現実を直視し、生き抜こうとしている人たちがいます。
被災しなかった私たちは、被災しなかった地で、どのように考え、どのように行動すべきでしょうか。

被災した方々に自分自身を重ねることから始めようと思います。
そして、今いる場所で、今の自分にできること、
思いつくままでいいから、一歩だけでも踏み出します。
それがたとえ、具体的な支援活動でなくても、
「力になりたい。」と強く願うことで、
自分の言葉を通し、一挙手一投足を通し、必ず想いは繋がっていくと信じているからです。