michiruの孫の今日、この頃

2003年2月21日生の初孫Leoのリアルタイムな
成長記です。

良い子と悪い子、どっちがいい子?

2009年02月24日 | Weblog
私の知人で、東京の大学に入った息子に、司法試験と外交官試験を受けるようにと
と言って、立派なマンションを借りてやって、十分すぎる仕送りをして、一途に息子の合格を期待していた人が居た。これほど親に十分な面倒を見てもらい期待をかけられたら、息子もこれに背くわけにもいかない。ま、親の気持どおりに動いてくれる良い子であった。
しかし、1年、2年と受からず、受験浪人も長期に及び、5,6年もたち、やがて、先の展望が見えなくなったころ、息子の訃報が入った。自殺だった。知人は最愛の一人息子を失い、10年ぐらいは気持ちが晴れなかったという。それはそうだろう。
自分は司法試験に不合格であって、終生裁判所職員として、裁判官に仕える身であったから、せめて、息子に裁判官になって、生涯の屈辱的身分を息子によって晴らそうと期待したこともあって、その期待は強烈であり、自らの生き甲斐を失ったことは想像に硬くない。
しかし、この息子は、もっと、駄目なら駄目のように反抗し、親と喧嘩してでも、別の道に歩めなかったのか、親の期待に背くかもしれないが、まだ、不良仲間にでも入って彼等の価値観を身に付けた方がよかったのではないか?
勿論、親は激怒するであろうが、不良の掟は、国の中枢を行く人たちと違って、アウトローにはアウトローの生きる知恵がある。裁判官や、外交官等に価値を全く置くことなしに、煙草、シンナー、不純異性交遊などで、それなりに快楽的な生活を送っているのである。でも、彼らは、箍が元々緩いから、自殺などしない。よくいえば、落ちるところまで落ちた生活を享楽しているので、所謂親や学校、社会の束縛から逃れたところに居るので、大抵のことはなんでもない。

さて、ここで、良い子、悪い子を問うと、司法試験など長期間に亘って、受験し続けて、最後まで親の言うことを聞いて、遂に自殺した子と、家庭や、学校の束縛を早々と逃れて不良はしているが、自殺などして親を泣かせることのないアウトローの子と比べた時、やはり、前者が良い子で、後者が悪い子と言う理屈になるだろう。
ところが、前者は自殺した親不孝ものである。しかし後者は青春の1時期こうしたことはあるが、一生同じようなことをしているとはとても考え難い。彼女を作るのも速いので、結婚も速い。子も2,3人は生む。親はこうした若年結婚をはらはらしてみているだろうが、こういう輩にに限って、親、子、孫は仲良く行くのである。
貧しいながらも、幸せは後者にある。結果的に親孝行である。

さて、このようなことから、私の孫は、自分の思ったことを平気に口に出して言えるように、怒ってはいけないとか、親に反抗してはいけないとは一切言ってない。加えて、真面目になれとか、真面目にせよとも一切言わない。目下、まじめと言うことはうつ病と隣り合わせだし、人間としても面白くない。michirumの書斎とかで、述べたと思うが、のん気、おおらかであるのが良い。

孫はダンスが上手い

2009年02月18日 | Weblog
今日、夕食時に、孫はテレビの奏でる音楽にあわせて、即興でダンスを踊って見せてくれた。それがなんとも実に上手い。何処かで見たのを記憶していたにしても手足、体の動きや顔の表情まで、その着想の面白さに感心する。
今、ジャズダンスでも習わせたら覿面に上達することは間違いない。将来世界的なダンサーになるかも知れないとまで思う。
しかし、思うほど簡単になれるわけではないし、近隣に教えてくれるところもない。しかし、ダンサーでは食って行けないという不安は家族の誰でもが持ち、勧める者は居ないだろう。