2,3日前の新聞に「子どもの話をよく聞こう」という記事が出ていた。
と、言うことは、忙しいかどうかして、子どもの話をよく聞いてやれないお宅があるということかと思う。
しかし、家では孫の言うことをしっかり聞いている。
それから「良い子」に育てようとよく言われるが、私は「良い子」でなくて良いと思う。
ここで言われる「良い子」が、しばしば大人にとって都合の「良い子」であることが多いからである。
先ほど孫がいたずらして私の大事な新聞をくしゃくしゃにした。そこで、「ごめんなさいと言いなさい」というのだが、孫にも面子があってなかなか言わない。私はこれでいいと思うのである。簡単に謝って、一件落着というような安易な考えも、人間としては軽薄この上ないからである。
と、言うことは、忙しいかどうかして、子どもの話をよく聞いてやれないお宅があるということかと思う。
しかし、家では孫の言うことをしっかり聞いている。
それから「良い子」に育てようとよく言われるが、私は「良い子」でなくて良いと思う。
ここで言われる「良い子」が、しばしば大人にとって都合の「良い子」であることが多いからである。
先ほど孫がいたずらして私の大事な新聞をくしゃくしゃにした。そこで、「ごめんなさいと言いなさい」というのだが、孫にも面子があってなかなか言わない。私はこれでいいと思うのである。簡単に謝って、一件落着というような安易な考えも、人間としては軽薄この上ないからである。