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ab Cuore 

帰国した時ノンポリだった私が見たのは≒無政府状態の日本。
ショック、怒り、希望をこのブログに書きました。

5/1 それはイワツバメの命日だったかもしれない

2021-05-02 11:18:02 | あほ


5/1 それはイワツバメの命日だったかもしれない


その日は天気がよくて、パリの私の部屋の窓は両サイドに開けてあった。

その窓の前をイワツバメたちの集団が飛んだ。

口ぐちに私に何か言った。


それで命日だったのかもって思った。

前年、朝市に買い物に出て私はイワツバメを拾った。

まだ生きていた。

ダンボールを近所の店でもらって、そこにその子を寝かした。

昼、私は近所のレストランに行った。

朝、何も買い物をしなかった。

そのレストランで小さい肉片をもらった。


帰宅してから刻んだ肉をイワツバメの口元に渡してみたけど

食べる気配はなかった。

でも水は飲んだ。

よくないと思いながら、綿棒に水を含ませて口元に持っていくと

ガツガツと飲んでくれた。

綿棒は薬か何かついているのだけど

スポイトもなくて。


夜、ベッドの足元に置いて、電気はつけておいた。

ゴソゴソ音がするたびに水をやったり

ねんねと言ったり。

そして私は眠ってしまった。

朝、はっと目覚めたとき、その子は旅立っていた。


前日の午後獣医を探して野鳥の会とかそこら中に電話した。

どこかで誰かが医者が見つかっても、医者にも何もできないって

言っていたっけ。


私が不思議に思ったのはあのひん死の中で、あの子はテレパシーで

私はここよ って信号を送っていたのだ。

さらに驚くのは、一年も経ってからあの子の家族が私の部屋まで

来たことだ。


人間ならその節は娘が・息子がお世話になりまして・・・

なんて言ったのかもしれない。


鳥ってチータンを見ていてもわかるのだけどとても律儀なのだ。


野鳥と親しくなってみませんか?

案外言葉は通じるもんです。


人間の食べ物を上げることに眉をひそめる人もいるけど

食べるかどうか決めるのは鳥だ。


ヒナコが初めて、チーパンを見つけたとき、

食べられるかなとそろそと一口ほうばって

おいしい ってニッコリしたもんだ。


おいしいものは人も、鳥もおいしいのだ。




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