北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

納豆の話;京北は納豆発祥の地?

2006-09-09 00:31:29 | 歴史・社寺・史跡など
我が郷里では昔から納豆が愛食されてきた.今も小生の脳裏には、納豆餅用に作った、平べったい鏡餅、の形をした餅を親父や兄と囲炉裏で焼き、お袋がそこに自家製の納豆をいれ、でっか~い柏餅状の「納豆餅」を作ってくれ、これを食して新年を祝ったお正月の朝の記憶がよみがえる.新春を祝う膳は雑煮でなくこの納豆餅であった.

秋祭りも済んだ候、大きな釜で大豆を煮、藁苞に包んで小屋に運んでいたお袋の姿も懐かしい.

4月3日に友人から頂いた藁苞納豆についてかきました.<←このページです> やっぱりこの味はひと味もふた味も違う美味しいものです\(^o^)/

納豆の健康食品としての評価は高く、小生もほぼ毎日食べる好物であるが、この納豆の歴史を調べていると.興味ある話題がいっぱい.

という訳で、7月2日に「貞任峠・柚の育たない里・貞任伝説」(←このページ)の中で;

京北町誌のこの項を読んでいたら;
>前九年の役の主戦場となったこの地方に、今もなお「山国納豆」の名で住民
>が納豆を保存食として常食しているところから考えても、頼義の援兵申請に
>応じて、朝廷からは禁裏御料山国庄の郷士を従軍させた際、兵糧のなかに
>「山国納豆」が陸奥の戦地まではこばれたものと思われる。
という面白い記述を発見しました。

と書きましたが、これを読んだとき、まさか~?ちょっと身びいき過ぎじゃ?などと考えました.ところがどっこい、これは無視できない記述ではなかろうか?と思う最近です.

納豆の歴史について検索してあちこちブラウズしていると、納豆発祥の地、元祖納豆、などと騒いでいる地もあるようですが、そういった観点ではなく、納豆というキーワードから京北を考えてみたいと思います.

司馬さんの街道を行く・洛北諸道の関しても、山国隊(山國隊)については、仲村研著「山国隊」(学生社)、や水口民次郎著「山國隊史」(山國護国神社)などを読んでいますので、折々書いていきたいと思っています.

蒸し暑かったですね.昼間何十年ぶりに蜂に指を刺された.夜になってもまだ痛む(*_*) なめたらあかんでよ!って諭された気持ち( ^_')


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