嫁ぐときに、ぬか床を分ける・・・そんな話を最近聞かない。
ぬかみそ臭い女房になるな!・・・そんなセリフも会話の中には出てこない。
子どもたちは、梅干し入りのおにぎりを敬遠するし、添えられたタクアンなど「食べられるよ」と教えても見向きもしない。
「三度のメシ」といえば、朝昼夕ともご飯(白米)を意味したが、最近では、朝パン食、昼はパスタなどの麺類、夕食にやっと銀シャリをいただく。場合によっては居酒屋で、つまみとチューハイで夕食の代わりという人もいるから、米の消費は落ち込むばかりなのもうなずける。
そうすると、日本の食文化=ご飯にはつきものの味噌汁とお新香のセットというのは、外食のメニューにはあったとしても、家庭の食卓からは姿を消しつつあるのかもしれない。
よく会社帰りに立ち寄るスーパーマーケットの専門店フロアから、あの「つけものの秋本」が撤退した。
それを、カミさんに「みんな漬け物を食べない世代になったから売れないのかねえ」と伝えたら「あの店、グラムで売ってるのに、切り売りとか、少量の注文を断るからよ」と答えが返ってきた。
小商いは商売の基本。
つまりは消費者のニーズに合わせられなかっただけのことらしい。
そういえば、小学4年生の頃、母が入院して、毎日の買い物を任されていた。
医療費もかかったから、生活も貧乏ゆえ、近くの小さなスーパーへ行っては、漬け物を30円分欲しいとか、ポテトフライを20円分欲しいとか頼んで買っていた子で感心してたよ。と高校生になってそのスーパーの店主から声をかけられ、恥ずかしい思いをしたことがある。
大根やきゅうりの漬け物をみると思い出す。
ぬかみそ臭い女房になるな!・・・そんなセリフも会話の中には出てこない。
子どもたちは、梅干し入りのおにぎりを敬遠するし、添えられたタクアンなど「食べられるよ」と教えても見向きもしない。
「三度のメシ」といえば、朝昼夕ともご飯(白米)を意味したが、最近では、朝パン食、昼はパスタなどの麺類、夕食にやっと銀シャリをいただく。場合によっては居酒屋で、つまみとチューハイで夕食の代わりという人もいるから、米の消費は落ち込むばかりなのもうなずける。
そうすると、日本の食文化=ご飯にはつきものの味噌汁とお新香のセットというのは、外食のメニューにはあったとしても、家庭の食卓からは姿を消しつつあるのかもしれない。
よく会社帰りに立ち寄るスーパーマーケットの専門店フロアから、あの「つけものの秋本」が撤退した。
それを、カミさんに「みんな漬け物を食べない世代になったから売れないのかねえ」と伝えたら「あの店、グラムで売ってるのに、切り売りとか、少量の注文を断るからよ」と答えが返ってきた。
小商いは商売の基本。
つまりは消費者のニーズに合わせられなかっただけのことらしい。
そういえば、小学4年生の頃、母が入院して、毎日の買い物を任されていた。
医療費もかかったから、生活も貧乏ゆえ、近くの小さなスーパーへ行っては、漬け物を30円分欲しいとか、ポテトフライを20円分欲しいとか頼んで買っていた子で感心してたよ。と高校生になってそのスーパーの店主から声をかけられ、恥ずかしい思いをしたことがある。
大根やきゅうりの漬け物をみると思い出す。
どうしても漬けたまんまを食べたくなるのが、
漬け物の宿命。
茄子や胡瓜なら1本単位でもいいけど、
大根や白菜、特にキムチは、
1本の半分でも多すぎる。
だから、その半分でと頼みたい。
年配のおじさんが売っていたときは、
その要望に気軽に応じてくれたのに、
今どきの店員は融通がきかない。
どこの売場でもそんな状況になってきた。
人情のない店・会社に、未来はない。
こども店長がいても、ハニカミ店長がいても、
たとえ減税でも、購買意欲は人情と道理で成り立つのだ。
打ちの近くにもあるので、今度、少量で注文してみようかな。