散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

雪の中の帰郷

2014年02月09日 | ☆神奈川県(ハマ以外)

暖かく晴れ間が見えれば、大雪の翌日でも外出できるのが都市部の便利さだ。

かといって、気軽にマイカーで外出する度胸は持ち合わせていないから、膝まであるゴム長靴を履いて、テクテク、サクサクと駅へ向かう。

午前11時前、三ツ境駅の歩道橋から眺めると、さすがにあらかた雪は溶けている。
水はけの悪いところ、地熱の低いところ、雪かきで積み上げたところ、徒歩で圧雪されたところなど、雪の残り具合は様々だ。
相鉄線は通常運行していたものの、京急線は、京成線が運休しているために、少々乱れていた。
つくづく、積雪でマヒしている成田(千葉)は都市ではないことを証明している。
成田国際空港を国家プロジェクトの最優先事項として、強硬に開港させたはずなのに、今は無用の長物としてほったらかし。
原発も同じ運命を背負っているに違いない。
話が逸れた。
さて、ダイヤの乱れをものともせず、快特はその名の通り、軽快豪快に突っ走る・・・京急はこれじゃなきゃ、京急じゃない!
次々と飛び去る雪景色の街並みを眺めているうちに、あっという間に横須賀中央駅に到着。

駅前のペデストリアンデッキは水はけが悪く、べちょべちょ。
瀬谷から来たゴム長おじさんは、じゃぶじゃぶ歩くが、ほとんどの横須賀市民は普通の靴で困り顔だった。

ハトも行き場がないのか、きっちりと並んでいる。
タクシーに乗り「蓬莱屋(ほうらいや)の前」と告げると、今はもう廃業して何もないが、それでも「もと蓬莱屋の前」で通じますよ、と運転士さんがいう。
老舗・さいか屋だって本館が跡形もなくなってしまうのだから、マイカーを使わずに行ってタクシーに乗るのも余程の時を過ごしていたことに気づく。
なんと、蓬莱屋はコイン駐車場になっていた。


実家に向かう道すがら、雪景色の中、スズメが十数羽群れていることに驚いた。
瀬谷の我が家のまわりでは、カラスが闊歩する中に、オナガドリが行きかい、和泉川にカルガモがいて、でもスズメを見かけることがない。


用事を済ませると、横須賀駅行きのバスに乗る。
坂本から汐入に向かう途中、坂本交番の横手にある校門の名称を見て「あれ?」と思う。
『桜小学校』・・・なんと安直に名づけられたものだろう。
確か、ここは青葉小学校のはず?・・・考えてみれば、『青葉』もまた安直だった。
ググってみると、平成11年に坂本小学校が廃校になり、青葉小学校と統合されたという。
桜小学校には隣接して2つの中学校がある。
坂本中学校と不入斗(いりやまず)中学校がそれだ。
ここには、昔、砲兵連隊があった。
横須賀港で陸揚げされた砲門や弾薬を、徴用された牛馬が、急坂を喘ぎながら引き上げる姿をよく見かけたという。
その坂の途中には、墓石のようなものがいくつもあって、子ども心に何の墓だろうと思っていたが、斃死した牛馬を供養する石塔だと知ったのは、歴史に興味を持ち始めた高校生の頃だった。

以来、気にし続けているのだが、幸いなことに、今も大切にされているらしい。

京急線に乗っていつも気になるのは、金沢八景の変電所と茅葺屋根の家、金沢文庫・東急車両の新幹線0系(下写真)に、日ノ出町のタイル貼りの柱、旧平沼駅のホーム、横浜駅に入ろうとするときにJR根岸線の下をくぐって掘割の水に突入するのではないかと錯覚する瞬間。


三ツ境駅に戻ってきて、歩道橋から眺める景色を見ると、家に帰ってきたんだと実感する。
寒いのがつくづく嫌なのに、凍てつく空気を吸い込んだ途端に「やっぱ瀬谷だなぁ」と、つい富士山の姿を探す自分がいる。


不在の間、娘が自宅まわりの雪かきをしてくれていた。
そのアピールなのか、玄関に雪うさぎ(見出し写真)が置かれていた。
一緒に写っているわら草履は、青森ねぶた祭りのとき、ハネトが履くわら草履をスリッパ代わりにしているものだ。


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