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気分は南米?~多文化&SDGs日記

四国を経て、浜松に三度漂着したかっぱの近況

サンバ三昧!のシュハスコ大会

2009-06-15 09:14:05 | 多文化共生
日曜日は朝から椎ノ木谷で草刈作業。高校生たちも参加していたが「海ブドウがくっついたー!」と騒いでいて何だろうと思ったら、軍手にヤエムグラの実がポチポチポチ…たしかに海ブドウそっくりだわ(笑)。


昼からは天竜川河畔でサンバチームのシュハスコ大会。会場についたら50人以上の人がいて、メンバー以外のブラジル人もうじゃうじゃ。串肉、ステーキ、鶏ハツ、鶏手羽と次々肉を焼き、ビールを飲み、語らい、叩き、踊る、典型的な南米の休日を過ごした。

私もタンボリン(小さな手持ち太鼓)を持参して叩いていたら、ブラジル人に「こうやって叩くんだよ!」と指導された。岡崎から来たホベルトさんで、サンパウロ、リオでサンバを覚えたという、日系人には珍しい「現地育ちのサンビスタ」。
彼が叩くと同じ楽器と思えない音とリズムが紡ぎ出されて「ほぉ~~」と見入ってしまった。
楽器をやっているのは日本人が多いのだが、歌も入ると踊る人も増えて、6月の爽やかな木陰でみんなで踊る、歌う、叩く~~♪♪ 幸せな日曜日 だった。


左からヘピニキ、タンボリン、ショカーリオ、スルド。

静岡や焼津、磐田からもサンバ仲間が集まっていて、最終的には70~80人いたようだ。肉はなんと40kgも焼いたらしい!!それでも参加費600円(飲み物は持参)!
それらのメンバーの大半を招きよせ、取り仕切っているエベルソンの人脈と仕事ぶりも素晴らしかった。日本人に積極的にブラジル人を紹介したり、いろんな人に声をかけて踊りに誘ったり。
「みんな仕事は大丈夫なの?」と聞いたら「ここにいる人たちは大丈夫!帰った人もほとんどいない」とのこと。

別の日本人の仲間によると「ここに来ているブラジル人たちは優秀な人が多いよ。日本語もできるから、日本人の信頼も厚い」と言っていた。なんでも100人いて95人が首を切られた職場で5人に残ったというメンバーもいるそうな。
たしかに、準備も片付けも実にきっちりやっていて、半日肉を焼き続けたレアンドロたちには感謝感謝。(昔はこんな勤勉だって知らなかったよ~、ごめん)
高校を卒業して専門学校で公務員の勉強をしているマリアーネも就職がんばれ!!


大学の講座の受講生には、同じ街に住みながらブラジル人と話したことが全くない、ブラジルの店があることも知らない、という人も少なくない。一般市民ならまだしも、多文化共生に関心があって受講している人ですら、である。それだけ「平行社会」で“見えない存在”になっているのだろうか。
こんなに楽しい時間を過ごして帰ってくると「ああ~もったいない…」と思ってしまう。外国人と仲良くしなきゃ、とは全く思わないけれど、豊かな文化を持つ人たちが近所にたくさんいるのに、ネガティブなイメージばかりが先行しているのは悔しくて。
この距離、溝をもっと縮めるにはどうしたらよいのだろうか。

とりあえず、来週は受講生と一緒にブラジル・レストランで昼食会を企画。3週連続でブラジル飯ざんす。

磐田の小学校で、外国人親子会

2009-06-15 09:11:01 | 多文化共生
土曜日は磐田市の小学校へ、外国人親子の七夕イベントに参加。1年生から6年生まで約20人の親子とG大の日本語教員養成の受講生などボランティアが6名。
紙芝居の上映、短冊や飾りを作って竹に飾り、おやつを食べて解散。大人も一緒に折り紙を折ったりして、子どもと一緒に楽しんだ。

終わった後、イベントを企画したM先生と昼食をとりながら生徒の様子などについて話を伺った。
公営団地がある地区の小学校に比べると、転入転居の移動が多いこと、帰国が決まった子は落ち着きがなくて大変なこと、校費が払えない子もいるけれど、帰国や求職が定まらないために、就学援助がなかなか受けられないこと、親の離婚再婚・別居同居など、親の不安定な状況がもろに子どもたちに影響しているとのこと。

なかなか日本語をしゃべらない子がいたり、いうことを全く聞かなくて通訳の人も手を焼いたことなど、現場の大変さが垣間見えた。M先生は「今日来た親は子どもや学校に関心がある人たちだけれど、外国人の親同士のつながりは弱い。学校が媒介となって親同士のネットワークをつくり、学校や地域の情報が伝わっていくようになれば…」と話していた。

帰りはボランティアで参加していた朝鮮系中国人の趙さんと異文化・多文化の話で盛り上がりながら浜松へ戻った。

日・中・ポルトガル語と格闘中

2009-05-27 23:49:19 | 多文化共生
仕事で大学で社会人向けの講座をやっているが(私は教員ではなくて事務職員)、20人の受講生の中にはブラジル人や中国人もいるので、資料の翻訳作業も仕事の一つ。
受講の前提が「高卒または同等の学力があること」なので日本語は堪能だし、漢字の読み書きもできる方たちなのだが、大学の講義だけあって資料は学習言語どころか日本語ネイティブでも難しい専門用語のオンパレード!

これじゃキツかろうと、ルビと難解な単語に訳を入れている。中国人は漢字である程度わかるからルビだけでいいかと思っていたら「カタカナ用語がわからない~」とのことで、ネット翻訳で訳語を探してコピペしている。
ポルトガル語はネット翻訳+辞書で調べているが、日本語の意味がわからなくて日本語の辞書を引くこともしばしば。

会計用語には特に苦労した。買掛金、固定長期適合率、受取手形… 手形なんて見たことないし、そもそもなんで手形って言うのさ??
講座には私も毎回出ているので、おかげで損益計算書や貸借対照表の読み方がわかった。今年のNPOの総会はしっかりチェックしてみよう。

会計を担当した先生には「大学にはブラジル人の学生もいるけれど、意味がよくわからないみたいで、翻訳資料ができたらぜひ欲しい」と言われて、大学生にも役立つとしたら嬉しい。大学に入れる日本語力があっても、何の支援も配慮もない中で学術用語を理解するのは大変だと思う。
(でも大学まで行ける子たちの第一言語は日本語で、むしろ母語にハンデを抱える子も多いんじゃないかとも思う…)

翻訳作業は辞書と首っ引きで、あーでもないこーでもないと手間のかかる作業だが、私も勉強になっている。「パソコン」を中国語に変換したら「個人電脳」になったのは思わず噴いたし、今日は「ノルマ」がロシア語で「第二次大戦後、シベリア抑留者が日本に伝えた」ということを知って14へぇ~、だった。

余談だが、キオスク“Kiosk”ロシア語語源なのは知ってたけど…と調べてみたら、トルコ原産説もあり。スペイン語だとquiosco、ポルトガル語にもquioske(kioske)で駅や広場の小さな売店を指す言葉が普通に使われているし、もしかして世界的に使われている?

路上演劇祭・浜松2009

2009-05-24 23:30:04 | 多文化共生
朝方雨がぱらついていて、急遽砂山サザンクロスのアーケードへ場所が変更になった。
「ぼくらのひいおじいさんは日本兵だった」はオランダに支配されるインドネシア農民、オランダ兵を蹴散らした日本兵、だけどやっぱり働かされる農民、玉音放送と終戦、ふたたびオランダ兵がやってくるが、それを阻止する残留日本兵…といったストーリーで、ナレーションを入れながらインドネシア&ブラジルの子ども若者7人+日本人5人で演じた。

一緒に見ていた友人が「完成度高いね!」とびっくりしていたが、実は前日覗いた練習の最後からさらに進化していた(それだけ未完成だったんですよぅ)。
他の演劇団体に比べたら表現もつたないけれど、劇を作る段階で自分のルーツを調べたり、インドネシアの地理や歴史をみんなで学んだり、大勢の前で発表するだけでなく子どもにとっても大人にとっても興味深い学びがあったように思う。

それから東京は蒲田のペルー&日本人劇団「セロ・ウワチパ」の「naufragos(漂流者たち)」。これは2006年の都立大森高校定時制の「国際理解ウィーク」で上演したのを見て、今回は2回目。
無人島に漂流したサラリーマンのこーたさんが日本語で、ペルー人のセサルさんがスペイン語でやりとりするものだが、デフォルメされた「日本人像」は何度見ても苦笑そして爆笑。写真は2人+アルボル(やしの木)の熱演。

これらの多文化劇を見ながら、昨日の「対等性」の議論を思い出していた。
「まちの路上で、二つの社会の閉ざされたドアを、笑いとユーモアを交えて開けないか。ふだんは出会わない人と人が、エネルギーや知恵を出し合い、ぶつかり、協力しながら何かを創り、他の人に伝える活動を通して新しい自己に出会う機会にしたい。
路上演劇の祝祭性、芸術性によって、市民に開かれた公共空間の新しい利用方法を提案し、音楽の都市を目指す浜松市に“多文化な表現芸術”が生まれる契機を提供したい。」これは2001年の主催者の言葉だ。

今回の主催者、里見のぞみさんが「ぜひ来年も」と力強く宣言して、若者たちもやる気満々?!のようだったが、次回は私も出演者で参加したい。
2002年世田谷で上演した「砂山全芸人」の仲間たちとすっごく久しぶりに再会できたのもよかった。しかし代表のKさんはなぜいなかったのだろう?

多文化における対等性の保障とは

2009-05-24 22:17:06 | 多文化共生
昨日は「外国人生徒を中心としたカリキュラムづくり」の講演会へ。大和市のいちょう団地を学区とする中学校で、外国人は全員選択の「選択国際」の科目をつくり、それぞれの出身国の地理や歴史を勉強するようになるまでの経緯や子どもたちが置かれている環境や人間関係についての話だった。
柿本先生の暖かいまなざしとユーモアを交えた話し口に引き込まれたが、日本人側、教師側の「マジョリティによる無意識な抑圧」「対等性をどのように担保するのか」という問いかけはぐさっと刺さった。

「対等性の条件は、仲良くなることではない。フラットな対立関係が保障されること」そのために必要なのは外国人が外国人であること「日本人にはわかりっこないよ」、そして先生自身に対して「くそったれ日本人」という言葉を生徒が発した時に「よくぞ、ここまで辿り着いた!と嬉しく思った」という話は非常に印象的だった。

以前、4年間NPOの専従スタッフとして多文化共生事業を担当していた時に、自分を含めた日本人の考える「多文化共生」と、外国人・マイノリティの求める「多文化共生」の齟齬を埋められなくなり、一体誰のための何のための「多文化」なのか、自分でもわからなくなって行き詰ってしまった。
この仕事に復帰するにあたっても、自分の立場やスタンスを明確にできないままであることに悩んでいたけれど、先生の「日本人であり、教師であることの立場を常に問い直しながらやっている」という言葉に励まされた。

「選択国際」をやっていた中学校は建替え+学区再編成でなくなってしまい、現在学校の中では行われていないが、現在は「すたんどばいみー」という当事者の若者組織で行っているそうだ。学校内で公的に取り組んだこともすごいが、当事者自身がやっていることも意味がある。
「選択国際」を選択した日本人生徒の扱いや、外国人生徒たちの進学問題、インドシナ3国との文化習慣の違い、多数への奉仕を強要するイベント的な国際理解教育の問題点など、興味深い話は尽きなかった。講師のみなさん、企画者の方々にも感謝!

講演会には約90人が参加していたが、3年ぶりの再会☆がここでも。
できたばかりの「はままつ多文化共生教材~ともに生きる浜松の未来」を入手し、作成に知り合いがたくさん関わっていて「こんな教材が欲しかった!」という資料と「外国人児童生徒を主体とした」内容に感動。早速月曜日の中学校の講座に使わせていただきまーす。
さて、これから教材づくり、がんばるぞーっ!!

3年半ぶりのサンバ・パレード

2009-05-04 22:20:34 | 多文化共生
今日は静岡のサンバ・パレードに参加。久々にサンバを堪能してきた。

日本でサンバというと「ブラジル人」「裸のおネエちゃん」「マツケン」というイメージが強いが、「ブラジル人=サンバ」というのは「日本人=空手」みたいなもので、ブラジル人がみんなサンバを踊れるわけじゃないし、ましてや日系人の文化ではない。浜松のチームはブラジル人も多いが「日本に来てからサンバを始めた」人も少なくない。
サンバ=へそ出しダンサー、というのも偏見で、露出が高いのはチームのごく一部に過ぎないし、サンバ隊の心臓部はバテリアと呼ばれる打楽器隊であって、ダンサーではない。

日本における「サンバ・パレード」はそれらの誤解や偏見、ステレオタイプを増長するもので好きでないのだが、それをおいても「サンバが好き!」なのだから困ってしまう。
ブラジルのサンバについて説明してると夜が明けてしまうけれど、一言で言うならば「総合芸術」で、日本人の一般的なイメージとはかなり異なる。

今回はチーム練習に一回も出られなくて出場を迷っていたけれど、仲間の「大丈夫だからおいで!」の一言ですべりこみ出場。
私が使うのは「タンボリン」という直径16cmほどの小さな太鼓で、「カンカンカン」と一番高い音で複雑なリズムパターンを素早く叩く。叩くのも1年ぶりだし、日本人には馴染みの薄いシンコペーションを、正確に周囲と合わせて音を刻むのはかなり難しい。
自分で叩きながら「ああ~音がずれてるーっ」と焦りながらも、少しずつ音が揃っていくのが気持ちいい~。終盤はピッチ上がりすぎでキツかったー。

チームのメンバーは、おんぶ+だっこのコブつきで叩いているツワモノもいれば、以前子連れで来ていたメンバーが「子どもは部活で忙しくて」と子離れしてしまった人もいて、3年間のブランクを感じた。
幸い、ブラジル人メンバーは不況で帰国した人はいないようで、元気そうだったのは安心した。さらに、1年前の練習にたまたま連れていった専門学校の元教え子がしっかり居ついてメンバーになっていたのはびっくり!

復帰がいきなりパレードになってしまい、体はヨレヨレ~だけど、サンバからいろんなエネルギーをもらった。

外は浜松まつりの太鼓と笛の音が。GWの浜松の夜は賑やかに更けていく…。

保見団地~リトル・ブラジルのはずが…

2009-04-20 23:55:46 | 多文化共生
日曜日は大学の日本語コースの人たちと5人で保見団地の日本語教室へ、片道2時間かけて行ってきた。
保見団地は豊田市の中心部から結構離れていて、里山の中に突然現れた70年代の大型団地で、住人の半数近くが外国人という集住地区である。浜松の団地も外国人が多いが、これほどではない。

一体、どんなブラジルタウンなんだろう?と期待して行ったが、朝9:30に着いたせいか人通りも少なく、団地内の表示や看板が日ポ2ヶ国語併記であることをのそけば、見た目はごく普通の団地である。
日本語教室は団地の人ばかりかと思いきや、団地外から来ている人が多かった。学習者は12~3名ぐらいで、入門、初中級、子どもの学習の3つのグループに分かれ、入門は「あなたの好きな場所、お店」をテーマにマンツーマンで会話して、後でグループ発表。中級は新聞の「血液型~B型はうんざりしている」の記事を元にディスカッション、中学生は黙々と数学や世界史を勉強していた。

私は入門グループに入ったが、結構話せる人ばかりでペアになった女性も日本に8年いるとのこと。ボランティアもポル語を話せるので、2ヶ国語でおしゃべりがはずみ、sente ciumes やきもちを焼く、という単語を覚えた(笑)。
最後は教室全員で「今日学んだこと」を共有。

スタッフミーティングでは「不況の影響でよその日本語教室では学習者が激増しているが、交流に重きをおいてきたここの教室も履歴書の書き方や面接など就労支援の日本語をやった方がいいのか?」という問題提起もあった。
愛知県立大の実習生10名は保見団地の第一印象を発表。大きな団地に驚いている人が多かったけれど、大型団地で生まれ育った私にはむしろ既視感が。

会場の集会場は3つのNPOが使っていて、保見ヶ丘国際交流センターは日曜の日本語教室、子どもの国は放課後学習支援、トルシーダは平日午前に不就学対象、と連携しながら住み分けている。他にも、団地内にラテンアメリカセンターというブラジル人学校もあり、4つのNPOが活動している。

昼食は団地内のブラジル・レストランへ。久々に肉&フェイジョアーダをたらふく食べたが、客は日本語教室関係者以外は1組だけで、日曜なのに店内はがらがら。経営は大丈夫なのか心配になってしまった。
1階のスーパーには入らなかったけれど、I.B.FOX系列らしい。他にも小さなブラジルの食品店と、団地外に不法占拠の食べ物屋?があったぐらい。

昼食後は団地内外を散策するが、新緑がまぶしい爽やかな日曜日だというのに人気がない!!洗濯物や車など人が住んでいる形跡はあるけれど、団地内に人の姿がほとんどない。時折ブラジル人が通っていくが、子どもは4~5人しか見かけなかった。
どこか出かけているにしても駐車場はほぼ一杯だし、団地を囲む道も車通りがさっぱりなくて不気味なほど静かだった。なんで???

近所の2つの小学校も外から眺めたが、日本人は少子高齢化で入学者の大多数が外国人だという。団地のエレベーターのない棟では灯油を買う時に外国人が運んであげるという話もきいたが、働き盛りの外国人世帯が地域再生のカギになるのではないだろうか。でも、日本人も外国人も姿が見えなくて、地域共生の様子はよくわからなかった。

浜松よりすごい「リトル・ブラジル」を期待してきた5人は、肩透かしをくらった気分。でもNPOの活動の様子がわかったし、やっている方たちに直接会えたし、道中にもいろいろ話をして多文化共生の課題を共有できたのは大きかった。景気の問題も含めて、問題は単純ではないけれど、少しずつ地道にやっていこう!と思った視察だった。
しかし、久々に食べる牛肉に胃もたれ~。やっぱり私の胃袋は南米向きではないようだ…。

多文化共生と演劇

2009-04-19 21:47:19 | 多文化共生
昨日は、午前中にARACEの学習支援教室を見学。小学校1年生から中学生、中学卒業生が20人ぐらいいて、日本語や学校のドリルを勉強するのを、ブラジル人や日本人のボランティアがサポート。当事者のお母さんや大学生が中心となって活動していて、活気にあふれていた。

そこで、久々にえぬぽけの元代表のYさん、理事のOさんと会って、いきなり話が弾む。というか、たまる話がありすぎ!!お互いマシンガントークで情報交換。市民活動の大先輩たちと話しているとテンション上がりますわ↑↑


午後は、静岡文芸大で5月の路上演劇祭にむけた演劇ワークショップへ。多文化な小学生~高校生たちが6~7人来ていたが「昼ごはん食べてなくて腹ペコ~~↓↓」と数人が離脱。
今後の方針に向けて話し合うのをしばし眺めていたが、日系インドネシア人の高校生のインドネシアに渡った曾祖父さんの話と写真に思わず、ズリズリっと前へ→→ 

ファシリテーターは演劇デザインギルド代表の成沢さん。えぬぽけの安間川事業や2001年の路上演劇祭でお世話になった。
今回は来られなかったが、ギルドのすずきこーたさんにはミューラル製作の時に大変お世話になり、その後も神奈川や岐阜の可児市の多文化共生演劇でも大活躍している。
他のメンバーも水俣関係ESDで度々名前を見かけており、何かと縁がある。


多文化なルーツを持つ高校生、大学生の交流会を浜松でやった時の導入に、アウグスト・ボワールの流れをくむ(弟子?)ジルソン・サントスという在浜ブラジル人による演劇ワークショップをやった。その時、初めて出会う子ども同士が、実に生き生きと体を使ってコミュニケーションをしはじめた。
それまで「演劇」というと、舞台の上で衣装を着てシナリオをしゃべる、というイメージしかなかったけれど、まるで魔法をかけたように彼らの表現を引き出した「演劇」の持つ力に驚き、興味を持った。

言葉による議論では、どうしても声の大きい人や言葉巧みな人が優勢になってしまうけれど、言葉だけに頼らない表現でコミュニケーションをする、というやり方は口下手な人や、言葉による表現が苦手な人~例えば言葉で苦労してきた外国にルーツを持つ子どもたちにとって、非常に適した手段でないかとと思う。

ワークによってはゲーム性もあって体を動かすこと自体が楽しいし、自分でも思いがけない表現や考え方が出てくることもある。2002年の世田谷路上演劇祭に「砂山全芸人」で“ブラジル人と頑固親父のケンカ”を製作・出演した時も、演じたり議論したりを繰り返して台本を練っていくプロセスが一番面白かった。

てなわけで、今回の路上演劇祭2009も興味津々。どっぷり参加はできそうにないけれど、演劇の力をまた体感したいし、若者たちの変化を柱の影からコッソリ見守っていきたいな~と思っている。

3年間の空白を埋めながら

2009-04-11 00:30:35 | 多文化共生
仕事はとっくに始まっていて、浜松(+全国)の在住外国人や多文化共生の活動について情報収集中。3年のブランクに加え、昨今の経済不況で状況が激変してブラジル人の失業率は50%とも80%とも言われる状態で、すっかり浦島太郎状態。

昔の人脈を少しずつ解き解しながら、新たな足場も構築中。
先日はY野上さんが我が家に初来客として来て、最近の浜松の状況についてじっくり話を聞かせてもらったが、話していると3年間の空白が少しずつ埋まっていく。
思うことは山ほどある。やるべきこともやりたいことも…。
ここ3年の仕事の分野は異なるけれども、自分の中のエネルギーに点火中。

週末は3週連続で不在で、最高のシーズンに海山里のフィールドに出られていないけど、車もあるので今後じっくり攻略予定。
あ、来週は多文化フィールド3連発で、山にもサンバ練にも行けないんだった。早く生き物やさん&農業な仲間も見つけなきゃ…。

外国人の子どもの進路保障2009

2009-01-18 12:10:42 | 多文化共生
昨日は外国をルーツとする子ども(外国籍だけでなく、日本国籍のダブルや中国帰国者などを含む)のための「進学ガイダンス主催者交流会」に6年連続で参加してきた。
今回は、栃木から新しい参加者があり、埼玉、千葉、東京、神奈川、浜松の6都県から30人の参加者が集まり、各地の高校進学ガイダンスの開催状況、学習支援などのフォロー体制、高校進学の現状について、各地域からの報告を元に議論を行った。

昨年も書いたが、外国籍の子どもの高校進学率は約50~60%で、言葉の壁や制度の壁や情報の不足などから、高校に行きたくても行けない子どもたちがたくさんいる。
現在、急増している国際結婚や中国帰国者の呼び寄せ、定住傾向が年々増しているデカセギ日系南米人の子どもたちなど、日本で育ち、日本で暮らす外国をルーツとする子どもや若者が増えているが、彼らの「学ぶ機会」は保障されているとは言いがたい状況にある。

私は「高校の外国人特別枠」の分科会に参加した。ここ6年、特別枠は少しずつ増えてはいるのだが、その一方で定員割れを起こしている県もある。ニーズは増えているのに、なぜ志願者が少ないのか? それは実質的な門前払いがあったり、制度がニーズに応えたものになっていないからで、実質的な外国人枠になっていない!という大きな問題がある。

それらの課題とは、
・外国人枠のある学校・人数自体が少ない(静岡県では20人だけ)
・外国人枠のある学校が、地域的に偏りがある(外国人の多い地区にない)
・外国人枠のある学科が国際科ばかりで、理系に進学しにくい(千葉県)
・受験資格が厳しすぎる(来日3年以内の場合、4年以上は受けられない)
・日本国籍を持つ外国人(ダブル、帰化者)への配慮がない
・学校のレベルが高すぎて、学力や日本語が十分でないと受けられない
・実質的に門前払いがある
・選抜方法が適切でない(日本語ができることが大前提?)
・漢字圏と非漢字圏出身者への配慮がない(外国人枠が実質中国人枠?に)
・定員内不合格がある
・入学後のフォローが少ない 特に日本語

都県によって、制度の内容は違うが、ニーズに即した制度にしていくためには、要望書など政策提言をして行政を動かす必要がある。文部科学省へも毎年、移住連が交渉をしているが、担当者は「なぜ外国人の高校進学率のデータをとる必要があるのか?」ということすら理解していないため、さっぱり議論がかみ合わない。
浜松に帰ったら助成金を申請して、全国交流会を再び開催して突破口を作りたいと思った。

さて、これからパレスチナの映画「レインボー」の上映会に参加してきまーす。