涼風やさしく

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道は誰のために・・・

2009年09月23日 | 生活

ゲームの話題になりますので、何かなぁと思って閲覧されている方は目的違いですみません。

「道」は誰のために作られるのか?

誰のために作ったのか?

道と言うのは、ゲーム内で自然発生的に作られる、根拠のないルールのことです。(しかしながら、これが基本となります。)

様々な考えから、当時それがベストと思って作られたのだと思います。

昭和に生まれたゲームは、自己の思うがままにプレイ出来る、独立型(孤立型)のゲームでした。

それから、びっくりするほどゲームは進化して、ネット上でみんなとプレイする参加型(共存型)のゲームになっています。

参加型のゲーム・・・。

これらを作ったのはゲームメーカーであり、規約(ルール等)を作ったのもゲームメーカーです。

それにみんなが「同意」して、それぞれ参加していることになります。

しかしながら、非現実的な世界ではあるものの、キャラクターを通して意志の疎通が出来ます。それがこの種のゲームの醍醐味になります。

そしてネット上で知り合いになり、友達のような関係が出来上がります。

しかしながら、いくつのかの問題があります。

住んでいるところがまったく違っていたり、相手の性別がわからない。

年齢も不明、学生なのか社会人なのか、どういう方なのかは、相手が言ったことを信じるしか他ないのである。

とにかくこれらを「言葉」にしなければ、相手に伝わらないのです。

そこで、問題が発生します。(詐欺事件等は今回、話題として割愛させて頂きます。)

誰が「道」を作り、誰がそこを「道」と決めるのか。

最初は、通行量(ゲーム内のプレイヤー数)が少なく、とくに問題は起きないのだが、通行量が一気に増加すると、個々人の繋がりはまったくないことから、自分の意見を通す、通さないが、「チャットの文字」だけで理解させることになります。

声を通じて感情が表現されることはないのです。

顔を見て相手の感情を感じ取ることが出来ないのです。

そこに悲劇がまっているのです。

これらの解決は、相手を尊重する以外に、解決方法はありません。

そして問題解決の糸口になればと思い、次のことを提言します。

先にゲームをみつけプレイした方が、「道」を作ったとしたら、それは丁度、道路工事をした、建設業者(ゼネコン)にあたる方だと思います。

その整備された道路を通行するのが、後から来たプレイヤーだと思っています。

しかし、その道路を時速何キロで走るのか、停止信号の早さ、道路標示、道路標識等は、その時その時の時代に即して作られるのです。

ゲーム内の道路交通法(規則)を作ったとしても、交通事故が多発したり、道路標示(標識)があいまいだったりしたら、それをどうするのかを検討するべきだと考えます。

そして、これらを作った場合、プレイヤーに公平公正な法令順守の精神(相手を尊重する心)がなければ意味をなしません。

確実に違反となるのは、「犯罪行為」(規約違反)だけですからね。

「道」は誰のためにあるのか、よく考えてみませんか?

みんなで仲良くしましょうね。

 


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