secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ヒューゴの不思議な発明

2012-03-16 20:47:10 | 映画(は)
評価点:23点/2011年/アメリカ/126分

監督:マーティン・スコセッシ

時代のせいにすんなよ、ジジイ。

第一次世界大戦後のフランス・パリ。
人々は活気あふれる駅に集まり、絶え間なく行き交っていた。
駅にある、ねじ式の時計の調整をやっていたのは、ヒューゴ・カブレ(エイサ・バターフィールド)という少年だった。
彼は時計職人の父親をもち、父親の死後、駅に住み込みで働かせられていたのだ。
彼は父親の遺した機械人形の修理を進めていた。
しかし、最も大切なハート形の鍵が見つからずにいた。
そんな中、部品をくすねようとしたところ、おもちゃ屋の主人ジョルシュ・メリエス(ベン・キングスレー)に見つかってしまい、父親が遺してくれた機械人形についてのメモ帳を奪われてしまう。

マーティン・スコセッシによるアカデミー賞作品賞最有力候補と謳われた作品。
前田有一氏のサイトでも、大絶賛で期待に胸をふくらませて見に行った。

主人公のヒューゴにはあの「縞模様のパジャマの少年」のエイサ君。
さらには次回作公開が決定している「キック・アス」のヒットガールを演じたクロエ・グレース・モレッツがヒロインとなって、映画黎明期を描く。
何度も予告編が流れていたので、知っている人も多いだろう。
この晩冬の注目作品である。
既に観たという人も多いかも知れない。

もしまだ観ていないという人は、あえて言おう。
「観なくてもいいと思うよ。」

▼以下はネタバレあり▼

(もう確認する気にもなれないけれど、)何ヶ月かぶりかに低い点数を付けなければならない映画を観てしまった。
しかも、それがオスカー候補だったなんて。
この点数は完全なる主観なので、それほど重視してもらう必要もないだろう。
けれども、敢えて言いたいのだ。
「面白くないよ、この映画」と。

父親の死後、その父親が遺した謎を息子が解き明かす。
この設定はまさに「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」の設定に酷似している。
それは前田有一氏が述べている通りだろう。
けれども、そこに込められたメッセージ性はずいぶん異なる。
完成度はもっと異なる。

物語全体について述べよう。
ヒューゴは駅の中に住んでいる。
父親が火事で亡くなったことで、孤児院おくりになるところを、おじによって救われたのだ。
しかし、そのおじも姿を見せなくなって久しくなっている。
実質一人で生きている彼は、時計の整備やねじ巻では生活できないので、物をくすねることで生き延びている。
彼は巧みに駅の壁内部を行き来することで、人々の様子を観察する。
彼は観察する者であり、見られることはほとんどない。
彼は人々から無視されている存在なのだ。
だからラストで「人は何かの役に立っているのだ」というメッセージを受け取ることで課題を克服するのである。
この映画は「ヒューゴが自分の社会的価値を見出す物語」なのである。

世界恐慌前後の、もっともヨーロッパの貧富の差が拡大した時代であることが興味深い。
現代のギリシアの経済危機とどうしても二重写しになる。
自分の価値を見出しにくい時代なのだろう。

また、もう一つの物語は、老人ジョルシュが体験する物語である。
どちらかというと、この映画の軸はこちらにある。
映画に対する溢れる愛を感じさせる、この老人の物語は、「映画による感動を体験する物語」とでも言えるだろうか。
3D映像になったことで、観客は映画を体験する感動を初心に戻って味わえる。
老人は一時、映画から遠ざかってしまうが、少年に背中を押されることで映画の素晴らしさ、「映画は夢を与えるのだ」という初心を思い出す。
アカデミー賞会員たちが、泣いて喜ぶ物語なのだ。

僕は敢えて言いたい。
「だからなんなの?」と。

僕にはこの映画の登場人物に誰一人感情移入することはできなかった。
そして、ドキドキワクワク感を一瞬たりとも感じることができなかった。
その理由の一つが、テンポの悪いカット割りだ。
間延びしたように感じるカットが多く、緊張感がない。
映像の綺麗さに比べて、劇的なシークエンスも少ないので、公安官とのチェイスも子供だましに見えてしまう。
駅構内がどのように構成されているかも分らないカットばかりなので、ハラハラしようもない。
とにかく3Dで撮ることに苦心したのか、物語内部に入っていけるような情報が少なすぎる。

物語の真相もすごくカタルシスに欠ける。
予告編では空を飛ぶような機械人形の描写は、実は機械人形が宙に舞っただけだった。
それを最大の見せ場であるかのようにスローモーションで見せられても、手に汗握るような興奮は得られない。
挙げ句の果てに、機械人形は機械人形であり、父親が残したメッセージというにはあまりにも「動かない」。
ミステリアスな伏線がいくつもあるわりには、あっさり鍵も見つかり、修理も完了してしまう。
夜中に見るニューゴの夢が一番怖いくらいだ。

老人が映画を捨てた理由が本当にひどい。
「第一次世界大戦が終って、誰も映画に見向きもしなくなった。
次第に忘れられ、スタジオを売り払い、おもちゃ屋をやるようになった」
この真相のどこに泣けばいいのか、感動すればいいのか、カタルシスを感じればいいのか。
彼の話を要約すると、「俺が悪いのではない、時代が悪かったんだ」ということだろう。
彼が部屋いっぱい散らばった構想メモの紙を見て泣くシークエンスはなんだったのだろう。
僕には全く彼が置かれた状況に感情移入できないし、再起しようとする決意に感動することもできない。
彼は何も乗り越えていないからだ。

そんな老人のトラウマを克服した程度では、ヒューゴの自己肯定の答えが見出せたとは到底思えない。

ちりばめられた脇役のキャラクターたちが繰り広げる茶番にも面白さは見出せない。
「俺も昔孤児院にいたからわかる。あそこで色々学んだんだ」という一言で公安官の悲しみが描けるわけではない。
ラスト、そもそも彼の脚をあんなにしたのはヒューゴなのだから、ギプスを開発してもらって感謝している彼の姿は感動的であるどころか、滑稽ですらある。

僕は映画の早い段階で結論付けた。
「マーティン・スコセッシはユーモアのセンスが皆無である」と。
笑いをとろうとしているところで、尽く違和を感じる。
これは子供だましなのか、大人だましなのか。
とにかく面白くない。

その笑いのテンポの悪さ、カット割りのリズム感のなさ、真相の貧弱さ、全てが僕にこの物語世界に移入することを拒んでいた。
とにかく、面白くない。

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2 コメント

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評価が分かれるのも妙味 (iina)
2012-03-23 18:29:21
ご立腹の態に、・・・たしかにそんな見方もあります。
監督は、「Hugo」を下敷きにして、映画の黎明期を活写してみたかったのではないでしょうか。
古いフィルムをフラッシュさせ、その時代最先端な工夫を3Dとダブらせ、中の技巧を作品中にも多用
したのに似ています。それ故、アカデミー賞のメンバーに受け5部門で受賞したのでしょう。
受賞と大衆に受けることとはイコールではありませんが、iinaのように懐かしがる者がいたり、けなす
方がいるというのも、愉快です。
返信する
体調が最低です。 (menfith)
2012-03-28 07:39:19
管理人のmenfithです。
返信遅れて大変申し訳ありません。
実は先週から体調がすこぶる悪く、それなのに、どうしても外せない会合が立て続けにあって、さらに悪化しております。
かなりまずい状態です。

>iinaさん
書き込みとトラックバック、ありがとうございます。
体調が回復ししだい、こちらからもトラックバックさせていただきます。

ヒューゴ、個人的にはとても期待していたのですが。
本当に不思議なくらい、酷評している人と、絶賛している人の温度差が大きい映画ですね。
そうなると大体僕は面白いという方に手を上げるのですが、今回は無理でした。
もう一度見直せば、もしかしたら理解できるのかもしれませんが。

映画の黎明期をほとんど体験していない(鑑賞していない)ので、それが大きな理由かもしれません。

昨年の「英国王」にしても、ここ2年のアカデミーとの相性は悪いようです。
こうなると、「アーティスト」もなんだか危ない気配がしてきました。
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