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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

それでも恋するバルセロナ(V)

2010-08-21 22:42:25 | 映画(さ)
評価点:70点/2008年/スペイン・アメリカ

監督:ウッディ・アレン

そんなあほな! の連続。

ヴィッキーとクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)はアメリカからスペインへ旅行に来た。
フィアンセのいるヴィッキーは修士論文を書くために訪れたのに、自由奔放なクリスティーナは、ファン・アントニオ(ハビエル・バルデム)という画家に口説かれて3人で見知らぬ街へ出かけた。
そこで、クリスティーナは胃潰瘍になってしまい、結局2人で街を散策することになってしまう。
第一印象の最悪だったファンだが、次第に心惹かれ、ついに一線を越えてしまう。
動揺するヴィッキーだったが、ファンは一夜限りの関係にしようと考える。

ウッディ・アレン監督のスカーレット・ヨハンソン主演の映画がいくつかあるが、その中の一つ。
描写を見る限り、本当にスカーレット・ヨハンソンのことを好きなのだと敬服してしまう。
まるでチャン・イーモウのチャン・ツィイーへの愛のようだ。
それはさておき「マッチポイント」で絶妙の男女の関係を描いたウッディ・アレンは、今度は1人の男を巡る恋騒動を描いた。

途中で出てくるペネロペ・クルスの役所が最高だ。
あまりかりかりしないで観た方が体に良いだろう。
そんなんありえへんわ! とか言わないで、気軽に観てみましょう。
中身は全くない映画なので。

▼以下はネタバレあり▼

バルセロナという土地は、もしかしたら、ちょっと全体的におかしい人種が集まっているのではないか、と疑ってしまうような映画だ。
自由奔放な自分探しの旅に出ているはずのクリスティーナがなんだか至極まともな人間のように感じてしまうほど、周りの脇を固める人物たちが個性的だ。
特にペネロペ・クルスがこの役でアカデミー賞の助演女優賞を受賞したほどのキレっぷりは楽しい。
彼女のキャラがいなければ映画として成立しなかったかもしれないというほど引き立っている。

展開は単純ではない。
若き画家ファン・アントニオをめぐる三人の女性の思いが交錯する。
フィアンセがいるヴィッキーはファンが妻に殺されそうになったうわさ話を聞いて嫌悪感を覚える。
だが、クリスティーナが病気になり、二人きりになったとき、彼のあまりのまぶしいセンスに惹かれてしまう。

ファンはそれっきりだと考えても、ヴィッキーはそうはいかない。
一度きりの過ちが自分にとって本気なのか確かめたくてしょうがない。
だが、ファンはすでにクリスティーナと住むようになる。

ここまでは普通の映画。
ここからさらにややこしくしてしまうのが、ウッディ・アレンのすごいところだ。
クリスティーナと安定して住むようになったところに、元妻のマリア・エレーナ(ペネロペ・クルス)が登場する。
なぜか心配だからといって共に住むようになる。
奇妙な三角関係だが、クリスティーナは次第に耐えられなくなる。
自由奔放な二人の生き方に、違和感を覚えたクリスティーナは、二人の元から去る決意を告げる。
再びファンとマリアだけになったことで、不安定な関係にもどった二人は、やがてうまくいかなくなる。
優れた天性をもった二人には、お互いを受け入れるということができない。
間にクリスティーナは必要だったわけだ。
クリスティーナが耐えられなくなってしまった理由も同じだろう。
彼女はお互いが対等な関係であれば安定しただろうが、才能でもなんでも一方的に与えられる側では続かない。

それを見た隣人が、結婚したヴィッキーとファンをくっつけようと画策する。
ヴィッキーはそれでも夫を選択し、恋に狂った街バルセロナを後にする。

結局、無理矢理単純化すれば、彼が女がいないと生きていけないダメ男だということをあぶり出すための映画だ。
ヴィッキーとクリスティーナは、バルセロナという非日常的な世界を堪能するだけでよかったはずなのに、そこがまるで日常の世界として有り続けるものだと勘違いしてしまった。
だから、二人は結局アメリカを去っていくしかなくなってしまう。
往来の物語構造ということは言えそうだ。

この映画の展開が、極めて不自然でありながら、なぜか説得力があるのは、バルセロナという街と、ペネロペ・クルスのキャラクターによるところが大きい。
超小顔の美人は、スペイン語でまくし立てる。
そのとんでしまったキャラクターに、なぜか惹かれてしまうのも、無理はないと思えてしまう。
バルセロナという空間よりも、彼女のキャラクターがすでに「非日常」なのだ。
だから、楽しくても「日常」に存在させることができない。

ファンが彼女から「絵」を盗んだということもうなずける。
ヴィッキーとクリスティーナがファンに惹かれたのは、ファンにある非日常的な部分、つまりマリアの部分だったわけだ。
その底がしれてしまった神秘性のないファンに、二人はもう惹かれることはない。
マリアがこの映画の全てを担っているのは、当たり前だ。

タイトルはお気軽なラヴコメディだが、中身は大違いだ。
ウッディ・アレンの異常な愛と、洗練された美的センスの集合体である。
この映画に一般論を当てはめようとすることは、無意味だ。

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